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桜はいつの時代も、私達を黙って見守っているのだから。

私は週刊○潮を読みます。
掲載されているエッセイがどれも面白くて、前は時々しか買わなかったのに、最近は毎週購読。
今週発売中の○潮の、藤原正彦氏の「管見妄語」を読んで、最後の数行にうなってしまった。
題名は「花見へ出よう」
自粛自粛で、被災地ばかりか、元気であるべきの非被災地までが沈滞している状況について、イギリスの葬式や、外国の友人達とのメールのやり取りを例に挙げつつ、一筆されています。
以下はその最後の抜粋。

「国民が喪に服していることは被災者のいかなる救いにもならない。街へ出よう。花見へ出よう。日本のありとあらゆる天災人災、喜びと涙を見守ってきた桜が今、咲き誇っている」

この文章に至るまでの話も面白かったです。
自粛を煽りたてなくても、「思いやり」と言う世界にない意味の言葉を持つ日本人は、応じた楽しみ方をするはず。
そんな都民を信じられない元小説家の某知事や、自粛を過度に助長することで、経済がどうなって行くのか想像出来ない政治家に、読ませてやりたいお話でした。

祭りにはもともと「慰霊」の意味があります。酒もまた、神事には欠かせないものの一つです。であるなら、古来よりもっとも日本人に愛された桜の木の下で、失くしたものを悼み、これから先の幸を祈ることが、今年の花見の役割と言えないかしら?

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