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裏話:放課後シリーズ

高校の弓道部が舞台の、一応健全な学園モノです(笑)。
一番最初に書いたのは『放課後の色はオレンジ』でして、「読み物.ネット」さんの企画参加作品です。
「読み物.ネット」さんは創作物検索コミュニティサイトで、私がHPを公開して間もない右も左もわからない頃に、初めてサイト登録したところです。
BLサイトの登録は当時、少なかったんじゃないかな。最近はわかりませんけど。とにかく健全(?)なところで、企画があってもBLなんかで出すのって場違いな感じがして、それでも何か参加したくて書いたのが、『放課後の色はオレンジ』でした。

興味のある方は「続きを読む」からお入りください。
あ、その前に。
拍手、日記への返事不要のコメント、ありがとうございます♪
でも、そうなのねッ、そうなのねッ、私もです!
尚之助様役だから、ハマってしまったのですよ~~。
そして八重桜は当初、覚馬あんつぁまオンリー目当てだったんですけど、尚之助様が怒涛のまくりを展開しております(笑)。

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裏話:8月シリーズ

黄砂、ぱねぇ~。
昨日は視界が心なし…どころじゃなく、かなり黄色かったように感じました。
花粉も半端なかったと思います。苦手なマスクですが、せざるを得なかった。外すと途端にくしゃみが出るし。
今年は黄砂に混じって「良からぬもの」も飛散しているそうで、うう、辛い。

さて、過日、チラッと書きましたが、しばらく創作物のUpがないと思うので、既存作の創作秘話(あるのか、そんなの)みたいなものを、この日記内で上げていこうかと思います。
カテゴリは「自分の創作について」です。
長くなるので「続きを読む」からどうぞ。

拍手、返信不要のコメント、ありがとうございます♪


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さぶい

暦の上では春ですが、まだまだ冬真っ只中。一昨日、ちょこっと暖かかっただけに、寒さが戻ると一入身に沁みます。
例によって一作Up後の呆け期間中ですが、三月中に短編を上げたいので、今、プロット練ってます。
『温かい時間』はどうしたんだ?!…すみません、新作の短編が優先事項なので、続きはその後になります。
そんなんで連載と言えるのか。

新作を考える時、いつも攻、受どっちの視点にするか迷います。
基本的にどちら視点でも苦にならないのですが、偏っちゃいけないと思って、半々になるようにしています。
最近、「攻っぽい受」ってのが好きなので、何となく受視点が増えているような気がして数えてみました。
この前『題知らず』を入れると受視点が二作多くなりますが、まあ偏っていると言うほどではないかも。
でも少ないには違いないので、次回は攻視点にするつもりです。

私には変な癖(?)があって、苦手とか偏重とかなるべくないようにしたいと、書き出しとか、視点とか、偏らないように意識的にする傾向があります。
例えば冒頭ですが、会話文から始めるか、地の文から始めるか、後々に出てくる部分を最初に持ってくるとか。
視点を攻、受のどちらかに偏らないようにするとか。

そうやって気をつける割には、年上受が圧倒的に多かったりするんだよね(笑)。
そして一人称は少ない。
次回作は一人称にしようと思っていたのですが、まだ決めかねています。
一人称は本当に苦手だ~~。

拍手、ありがとうございます♪

憧れは神視点

何となく気忙しくって、その逃避から色々書きたいものを妄想する日々を送っております。
呆けているので行動にはなかなか移れないのですが、とりあえず『Libera me』は今年中に更新するつもりで推敲しています。
ああ、だんだん『Libera me』のストックが…。

私の書くモノは、ほとんど三人称一元視点です。
これは三人称なんだけど視点を一人に固定する書き方で、一人称とよく似ています。
でも視点者本人が見聞きし感じたことしか書けない制限のある一人称と違って、三人称一元視点にはそれがなく、視点を固定しさえすれば客観的な部分は書き手視点で補うことが出来、表現の幅が一人称より拡がります。

ただあんまり大人数を動かせないような気がする…と言えば語弊があるかも知れませんが(私に技量がないだけで)。
同じ場面に存在するそれぞれのキャラの心情を描きたい場合、私の書き方では段落を変えるか、空行を使って視点者を変えるかしないと無理です。そうなるとやたら改行が増えたり、視点が結局、あっちこっちするので、読み手が混乱しかねない。
例えば『Libera me』など、いろんな立場の人間の視点から書きたい場合、不向きなのではないかと思うのです。

そこで出てくるのが神視点。全ての人間の心情や行動を俯瞰的立場から表現する人称なのですけど、苦手な一人称以上に難しいです。
創作者が集う某SNS内の日記で「神視点の書き方がイマイチわからない」と書きましたら、「完全に作者視点で書けばいいんですよ」との助言を頂きました。
なるほどなぁと思いつつ、未だにチャレンジ出来ずにおります。

小説まがいのものを書き始めた頃は、確かに神視点で書いていたはずなのですが、振り返りまするにただ視点が揺れていただけで、本当の意味での神視点ではなかったと思われます(こっぱずかしいのと怖いのとで読み返す勇気がないけど・笑)。
これから『Libera me』はどんどん人数が増えたり、場面的に視点を一人に固定するのはしんどくなってきます。
何とか神視点をマスター出来ないものかと考える今日この頃。

拍手、ありがとうございます♪

地の文との仁義なき戦い。

やっと残り1ブロック・起承転結の「結」まで来ました。
で、ちょっと停滞中(またかよ)。
主人公とその相手役の会話が続く場面なんですが、自然でしっくりくる会話になかなかならない。
主人公達に言わせたことは決まっているのですが、どうも言葉足らずで、読み手は違和感を覚える気がする。もっと練って整理しなきゃ。
会話はキャラ達の思いがダイレクトに伝わるものですから、難しいです。
それに私には、会話文だけの進行は不安になって、どうしても地の文を挟みたくなる癖があります。
カギカッコだけが5個も続くと、「地の文、入れなきゃ」と言う強迫観念が働きまして、必要以上に地の文で埋めたくなる。
でもこの地の文で埋めるってのが、ボキャ貧なので難しい。

どうして地の文で埋めなきゃって気持ちになるかっつーと、私の創作の「始め」(小学生の時)が脚本形式だったからです。
会話文ばかりで、地の文はト書き程度に入っているだけ。
漫画ばかり読んでいた子供だったので、その影響をモロに受けていたわけでして(絵が描けなかったから字書きの道に入った)。
だんだんと地の文は増えて行きましたが、本当に小説を読んで書いている人に比べたら断然少なく、それがまたコンプレックスでもありました。
気を抜くと会話文ばかりが続くし。
そんなわけで会話文が続くと、昔の悪癖が出てきたのではないかと心配になっちゃうんですよね。
でもそれに拘るあまり、今度は地の文の割り合いが増え過ぎな気がする。
「冗長」だと言われる所以なのかも。字面も黒くなって読みにくいだろうし。
真ん中はないんかいッ(キーッ)。

さ、『映像の世紀』(ケーブルTVにて放映中のNHKスペシャル・アーカイブス)見てリフレッシュしてから続きガンバロー。

拍手、ありがとうございます♪
「何とかは風邪引かない」の言葉通り、私は元気です。
でも油断大敵。今週は寒くなるみたいですし、みなさんもお気をつけてくださいね。

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