※原作につきましてはこちら(wik・別窓)をご参照ください。



ハルとAI(第二話 Tea break   





 用意するものは、ティーポットを二つ、カップ&ソーサーを人数分、ティースプーン、茶葉、ストレーナー(茶漉し)、ティーコジー&マット、砂時計。
 茶葉はダージリンにした。と言うより、ここにはそれしかなかったからだ。缶には『セカンド・フラッシュ』とあり、五、六月に収穫される葉が加工されている。水色は少し濃いオレンジ色を発色し、芳香はマスカット・フレーバーで、ストレートティーが適しているとのこと。
 しっかりと沸騰させた湯で、ポットとカップを温める。
 ポットの湯を捨て、人数分の茶葉を入れる。一人分は三グラム。今日は併設されているオフィスがオフで、ハルと私しかいないから六グラムだが、一人分余計に入れるのが良いそうだ。ティースプーン一杯が約三グラムになっているので、三杯九グラムをポットに落とした。
 コイン大の泡が立つほどに沸騰した湯を、一人分としてティーカップ二杯半を目安に、勢いよく注ぎ込む。茶葉が湯の中で上下に対流運動(ジャンピング)し、それによって紅茶の香りが、コクと共にバランスよく抽出されるのだと言う。ポットに蓋をして、同時に砂時計をセットした。砂時計は五分計だが、抽出時間は四分半が望ましい。
 マットを敷いて、ティーコジーを被せると温度が下がりにくいので使用する。ティーコジーの素材は、表地がコットン百%、中綿はポリエステル百%のキルティング加工。色とりどりの花柄に、深緑色のリボンのパイピングがなされている。これは蒼井ミナモからマットと砂時計と共にプレゼントされた。
「久島さんの復帰祝い! あ、あ、縫い目は見ないでくださいね」
 砂時計の砂の色は青。オフィスの窓から見える海の色に近い。
 砂が落ちる約五分の間、私はその様子を凝視していた。
「何を見ているんだ?」
 猫をシャンプーしていたハルが、バスルームから出てきた。
「抽出時間を計っている。シュレディンガーは?」
「タオルドライの最中に逃げられた」 
 彼はまず顎の新しいひっかき傷を、次に出窓の辺りを差して肩をすくめた。シュレディンガーが濡れた毛を舐めて乾かしている。私達の視線を感じたのかこちらを見たが、すぐに毛づくろいに戻った。
「あと一分で紅茶が出来る」
「着替えてくるよ。あいつのおかげでびしょびしょだ」
 砂時計の砂が落ちきる前に、ティーコジーを外し、ストレーナーを使って、もう一つの温めたポットに移す。紅茶の香りが立ち上った。
 人間には紅茶党とコーヒー党がいる。ハルはどちらも飲むようだが、オフィスや自宅では来客が希望しないかぎり、紅茶が出された。オフィスではフリーズドライ・パウダー用のオートマティック・サーバーが使用されている。自宅では茶葉から抽出する昔ながらの方法がとられ、効率を重視する人工島では珍しい。確かに芳香、味の点では後者の方が勝っている。一度そちらを口にすると、オートマティック製法では物足りないかも知れなかった。
「上手く淹れられた?」
 私は今日、初めて紅茶を淹れた。波留真理に引き取られて一ヶ月が経っていたが、私にはこれと言って仕事がなかった。
 波留真理は、フリーのダイバーとして海底での仕事をしながら、ダイビング・スクールの講師をしていた。同時に電理研嘱託のメタル・ダイバーでもある。私は本来、ビジネス・アシスタント及びセクレタリとしてプログラミングされたAIなのだが、彼のオフィスにはすでに秘書用アンドロイドがいるので、もっぱらホーム・ヘルパーとしての仕事が主になっていた。つまり家事手伝いである。しかし一人暮らしに慣れ、何でも自分で出来てしまうハルは、私の手をあまり必要としなかった。
「私は何をすれば良いのだ?」
「じゃあ、紅茶を淹れてくれるかな? 葉によって色々淹れ方があるみたいなんだけど、俺はそこまで詳しくなくって」
 オフィスのオートマティック・サーバーなら失敗無く安定した味のものを楽しめたが、あまりに完璧に過ぎて、いつも同じ味がするのだそうだ。人の手で淹れる方が、癖が出て面白いとも付け加えた。それで私にその仕事が与えられたと言うわけだ。
 ハルは私が淹れたティーカップの中の紅茶を、しばらく見つめていた。
 茶葉は一人三グラムを二人分。ポット用にもう三グラムを加え、よく沸騰した湯を注いだ。抽出時間は四分半。白いティーカップに注がれた水色は濃いオレンジで、ダージリンのセカンド・フラッシュの正しい色と香りが出ているはずだ。
 彼がなかなか飲まないので、何か失敗でもしているのだろうか、と思ったら、口に含んだ。
「どうだ?」
「……懐かしい香りだ。美味いよ」
「それは良かった」
 毛づくろいを終えたシュレディンガーが、ハルの足元に擦り寄った。
「ああ、シュレ、今日はいいんだ。彼がいるだろう?」
 彼が頭を撫でるとシュレディンガーは踵を返した。尻尾を揺らしながら、先ほどまで居た出窓の方へと戻って行く。一度、こちらを振り返って、出窓に飛び乗った。
 ダージリン・ティーの香りは、マスカットと言う葡萄の香りに似ていて、上手く抽出出来れば、香りは、よりそれに近くなるらしい。私の中にはデータとしてマスカットの香りが記憶されているが、実物を見たことも、香りを嗅いだこともない。
「今度、買って来よう」
「フレッシュ・フルーツは高価だ」
「一房でも結構な量がある。いくつ食べるつもりなんだい?」
 ハルは笑った。穏やかであったり、複雑であったりする見慣れた笑顔ではなく、「子供のような」と言う形容が似合う、私が初めて見る笑顔だ。
 笑顔の彼と、それを見る私。視線が合った途端、ハルの頬が赤くなった。
「…に、二杯目はミルク・ティーにするよ」
 彼は慌てて立ち上がり、キッチンの方に足を進める。私はその後ろ姿を目で追った。
 彼の赤面の意味がわからない。もう少し、あの笑顔を見ていたかったのに、何が彼を赤面させたのだろう?
 視界の隅にシュレディンガーが入った。猫は私と目が合うと、大きく一つあくびをし、ごろりと横になった。


 
 


                                         
2008年作


            (1)  top  (3)