[ IV ] 邂 逅 (後編)



 
 アーロンは『時間』を体感する――イメージは暗黒。時折、光が高速で通り過ぎる。それは時代の欠片なのではないかとアーロンは思った。
 何千年と言う気の遠くなる時間を遡っている。細胞レベルまで還元されるかのような錯覚。刹那とも永遠ともとれる時間の波にのまれながら、この『不思議』をアーロンは感じていた。
 やがて静寂の中に微かな音が現れる。いつの間にか閉じていた目を開けた。通り過ぎるのではなく停止した光が前方に見えた。
――着いたのかな…?
 とぼんやり考えた次の瞬間、アーロンの身体は『時間』に押し出された。






「アクセスする前に、T.Sにインプットした時間軸の座標を確認するように。何らかの外的要因で、目的地点からたいていはズレる。十メートル程度だったり、最大で五百メートルだったことも報告されているから、そうなった時には慌てず、すみやかにT.Sを作動させること」
 アクセス・ルームと呼ばれる時空転送装置のある部屋で、転送技師を兼ねる時間航法の講師が、実習生にT.S=テレポート・システムを手渡しながら、確認する意味で説明した。転送は時代別に日を変えて行なわれる。今日は水晶末期組のアーロンとサイラスが転送される日であった。
 T.Sはボトムのベルト通しに装着するか、首にかける。手のひらより一回り小さい形状をしていたが、この手の機械にありがちな、大きさに不似合いな重みがあった。手渡された学生達は、誰もが一様に顔をしかめる。ゆえに首にかける者はほとんどいなかった。
「ズレた場所が安全とは限らないでしょ? 崖から落ちてる最中だったらどうするんですか? 火の中とか」
 とりあえずそれをベルトに装着しながら、サイラスが質問した。どの学生も発する質問だ。
「崖はともかく、水中や火中と言った一定レベル以下の酸素濃度の中には転送されない」
「じゃあ、崖から落ちてる時は?」
「それを一瞬で回避出来る身体能力、判断力を持った学生だからこそ選ばれた筈だよ、君達は。生命に関わる高さからの落下なら、T.Sのボタンを押すくらいの時間はあるさ。それ以外なら捻挫か、最悪で手足の骨折程度で済む」
「骨折ね、一ヶ月の楽しい実習がパアだな」
 サイラスはシニカルに笑って見せた。
 アーロンは彼らのやりとりを他人事のように聞いていた。内容を聞いていたと言うよりも、音声として聞いていたと言う方が正しい。アーロンの意識はすでに過去へと向けられていた。
 周りを最新鋭のシステムが囲む。三フロア分に相当する高さまで、様々な色が明滅していた。見上げると天井は星々を戴く天蓋のごときだった。
 ビジター・ルームにアーロンの目が止まる。見学者の中にティモシーとアナベスがいた。アーロンが自分たちを見たことに気づき、二人はガラス越しに手を振る。それに軽く手を上げて応えた時、
「アーロン・ロイド!」
と呼ぶ講師の声が聞こえた。
「余裕だな。ちゃんと聞いていないと、更に軸がズレるぞ」
「すみません」
 アーロンの手の中にあるT.Sを彼は指差した。座標を確認しろと目が指示している。小さな表示板に座標を出して、確認して見せた。
「向うに着いたら駐在研究員の指示に従うこと。水晶末期のバークレー女史は優秀な研究員だから、君たちを正しくナビゲートしてくれるはずだ。厳しいし、多少、変わり者ではあるがね」
 彼は言葉の最後の辺で笑った。アーロンとサイラスが変わり者という所に二人して反応すると、彼女が水晶末期に好んで駐在するところを上げた。それは「今回の実習生にも言えることだが」と付け足してまた笑う。
 転送時間を知らせるアラームが鳴った。講師は学生に部屋の中央、色違いに塗装された円の上に進むことを指示すると、「Good luck」と言ってオペレーション・ルームに入る。
 アーロンがサイラスの方を見ると、彼はビジター・ルームを見ていた。アナベスが少し心配そうな表情で、こちらを見ている。時空内での不可抗力による行方不明の確率は低いとは言え皆無ではない。サイラスに対して憎まれ口を叩きがちな彼女だが、やはりそのことが気になっているのだろう。今、それを指摘したら、彼女はきっとこう答える――「私はアーロンを心配しているのよ」
「何、笑ってやがる?」
 知らずに口元を綻ばせたアーロンに、サイラスは言った。
「いや、アナベスとお似合いだなと思って」
「はあ? こんな時に何考えてんだ。本当に余裕だな?」
「緊張しているよ、ちゃんと」
「どうだか」
「じゃ、わくわくして舞い上がってる」
「うん、その方がまだ妥当だ」
 二人は思わず吹き出した。「コホン、コホン」とマイクから講師の咳払いが聞こえる。ティモシーとアナベスが呆れた顔で見ていた。
「二人とも、準備はいいかい? ウィークリー・レポートの提出を忘れるなよ」
 講師の言葉を合図に、取り巻くシステムが独特の機械音を発する。二人が立つ円の外周から、無数の光が天井に向かって放たれた。
アーロンは眩しさに目を閉じる。隣に立つサイラスも同様だろう。しかしそれは確かめられなかった。光の洪水が閉じた瞼を通しても感じられる。この状態ではきっと何も見えはしない。
 次に目を開いた時には、無限とも思える闇の中を、アーロンは浮遊していた。






 闇から押し出されたアーロンは、眼下に人の姿を確認した。ベルトに装着したT.Sに手を伸ばした時にはすでに遅く、身体は彼らの上に落下した。正確にはそのうちの一人の上にだが。とっさに出した右手がどの部分よりも先に地面を捉え、鈍い痛みが手首に走り、アーロンは顔をしかめた。
「何者だ?!」
 自分に向けられた誰何の声に、アーロンは顔を上げる。フードが付いた膝丈の上着にはくすんだ臙脂色の十字マーク、腰の剣の鞘にも戒めの意味を持つ十字架が刻印され、左薬指には神への従属を誓約する鎖の一輪をはめている。長短の差はあれ、皆一様に肩より長く髪を伸ばしているのは、信じる神の姿に似せているからだ。それらは歴史書に載っていた修道騎士の出で立ちである。そして言葉は日常的に聞くスペース・スタンダード(宇宙標準語)ではなく、今回の実習の為に六ヶ月間睡眠学習で学んだファニ星の古代言語の一つだった。
 ここは目的の水晶末期なのだ。サイラスの姿はなかった。べつべつの地点にズレたのかも知れない。
「何者だと聞いている!」
 声の主は紅い瞳の少年だった。アーロンを睨みつける表情もあって、瞳は燃え盛る炎に見えた。
 自分を見ているのは後2人、淡い青い瞳と緑の瞳。紅い瞳を含めたその三人はアーロンと同じか、もしくは少し下くらいの年齢だろう。手は剣にかかっていて、いつでも抜ける体勢に入っていた。少年とは言えれっきとした騎士だと知れる。
「いつからそこに居た!? 何を聞いていたんだ!?」
 たたみ掛ける彼の言葉に、
「僕は…」
答えるより先、身体を背後から押さえ込まれた。反射的に緊張した腕の筋が、痛む手首を刺激する。もとより抵抗する気はないアーロンを察したのか、背後からの腕は少し緩んだ。
「戦意はないようだ。グレン、剣を納めろ。むやみに抜こうとするのじゃない」
 今しも抜き身になろうとしていた紅い瞳の剣に向かって、背後から声が発せられた。
「でも、フレール・ソード」
「戦意もなく武器も持たない相手に、剣を向けろと言う教えはない」
 言葉と共に腕は完全に緩み、アーロンは自由の利く身に戻った。背中を押されて立ち上がる。振り返るとここにいる誰よりも年上の青年が、ニヤリと笑った。彼も土埃を軽く掃いながら立ち上がった。アーロンは彼の上に落ちたのだ。
 アーロンの前に立つ三人は、まだ剣の柄に手をかけたままだ。梢の間から突如現れた人間を、不審な眼差しで見つめている。彼らと何も共通しない遠い未来の着衣では、その表情も仕方がない。
「名前は? 言葉はわかるか?」
 今度は緑の瞳の騎士が尋ねた。先程の紅い瞳の騎士とは違い、声音は感情を抑えている。
「アーロン・ロイド…です」
 答えてアーロンは少し顔をしかめた。右手首の痛みはどんどん酷くなる。抑えた左手に腫れの様子が伝わった。
 緑の瞳がアーロンの顔からその右手に視線を移動する。手首の腫れに気がつくと、柄から手を外し歩み寄った。「あぶない」と後の二人が口と目で注意するが、
「フレール・ソードの仰る通り、戦意はないよ。それに怪我をしている」
と答え、アーロンの右手をそっと手に取った。冷んやりとした指先が刹那、腫れによる熱を緩和した。
「落ちた時に捻ったな?」
 アーロンの背後から年長の騎士が覗き込む。
「手当てしよう」
 手を離して、緑の瞳の騎士が自分について来いと促した。
「フレール、何者かもわからないのに、救護所に連れていくのはどうかと思いますが?」
 今まで黙っていた水色の瞳の騎士が、ちらりとアーロンを見やり彼に言った。
「聖教区は中立だ。何びとであれ助けを必要としている者を、本来、拒むことは許されていない」
「ですが、今は状況が違います。それにここはコーラルアーシェですし、こちらの騎士団に引き渡しては?」
「手当てをしてからでも遅くないよ」
「じゃ、俺も一緒に行きます」
 紅い瞳の騎士がアーロンの隣に立つ。その腕を年長の騎士が引っ張った。
「おまえさんたち二人は幕舎に戻る。休憩は終わりだろう?」
「でもフレール・ソードッ…」
 反論するのを軽く右手で制した。
「まあ、グレンの心配も当然ではあるがね。シムル、殺気がないにしても少しは用心しないと、うかつだぞ」
 ソードと呼ばれた年長の彼はアーロンの身体をチェックした。武器の携帯がないかを調べているのだろう。ズボンのベルト付近で彼の手が止まった。アーロンは息を詰める。ベルトにはT.Sを装着していたからだ。この世界には、それこそ存在しない強化プラスチック製の。その異質なものに気づいた彼はベルトから取り外した。
「何だ、これは?」
 見た目には四角い箱にしか見えなかった。機械全体で指紋・掌紋を検知するようになっているので、アーロン以外の人間が触れても反応しない。ソードは振ったり覗いたりして、再度、アーロンに問うた。痛みが思考を鈍らせてアーロンは上手く答えられない。
「…お守りです」
 間抜けた答えしか返せなかったが、一番効果がありそうにも思えた。修道士にとって信仰ほど尊いものはない。神の種類はいつの時代も一つではないはずだ。サイドル王国以外にも様々な国があることは、彼らだって知っているだろう。異邦人として貫き通すしか今は手がない。
「『お守り』、ねぇ。とりあえずこれは預かっておく。他には何も持っていないようだから、シムル、連れて行っていいよ」
 その答えを信用したかどうかはわからないが、ソードはそれ以上追求せず懐にT.Sを仕舞いこむ。手首の腫れがひどくなりアーロンの額に薄っすらと汗が滲んだのを見て、もともとは修道士である彼の慈悲に訴えるものがあり、見逃してくれたのかも知れない。ソードは納得しかねる表情の紅と水色の二人を抑えて、緑の瞳の騎士――シムルを促した。
「それでは、また後ほど」
 三人に会釈を残す彼に連れられ、アーロンはその場を後にした。






 アーロンが通り過ぎると、必ず人は振り返る。あきらかに異質だった。身に付けている服装も、またその材質も、この時代にはありえないもので、視線を集めるのは仕方がない。亜空間に紛れようにもT.Sはソードと言う修道騎士に取り上げられてしまった。アーロンは戸惑いを隠せずにいた。
――サイラスは、無事にバークレーさんに会えただろうか?
 いつまで経っても現れない自分を探しているだろうか? しかしアーロンの足跡を追うにしても、あのT.Sは必要だ。どうすれば駐在員たちと合流することが出来るのだろう? 
 などと言ったことを考えながら歩いていたアーロンは、シムルと言う名の修道騎士が、いつの間にか立ち止まったことに気づかなかった。彼の肩先に軽くあたって、アーロンは止まる。
「あ、ごめんなさい」
 謝るアーロンに気にする風でもなく、シムルは手にした服を差し出した。つい先程まで彼が身に付けていた騎士仕様の修道服だ。
「それを着るといい。目立ち過ぎるから」
 反射的に受け取る。シムルはそれを確認して、また歩き始めた。アーロンはとりあえず言われたとおりに修道着を身につける。右手を袖に通した時、痛みに自然に声が漏れた。先んじていたシムルが振り返った。
「大丈夫か?」
「多分、捻挫だと思う。見た目ほど酷くはないです」
「少し冷やそう」
 シムルは庭の出口付近にある泉水を指差し、歩き出した。
 アーロンは不思議に思った。正体の知れない不審者に、何の警戒も見せない。腕を掴んで連行するでなく、常に振り返ってアーロンを確認するでもない。その背を無防備に見せて、ただ静かに歩を進めるだけだ、この騎士は。
「君は、僕が怪しいと思わないの?」
 冷たい湧き水を引いた泉水に腫れた手首を浸すと、痛みが少し緩和された。アーロンは傍らに立つシムルを見上げる。木々の梢に目をやっていた彼は、アーロンを見た。
「怪しいと思う。梢の葉が渦を巻いて、その間から落ちてきたのだから」
 闇から押し出された自分は、こちらではそう見えたのか。ならば尚更に得体が知れないだろうに。
「なのになぜ?」
「なぜって?」
「警戒しているようには見えないから。もしかしたら、敵のスパイかも知れないのに、こうしてケガを気遣ってくれる」
 あの場にいた他の若い二人は、警戒を隠さなかった。紅い瞳の騎士はそれを全身で表現し、今しもアーロンを然るべき場所に引っ立てる勢いだった。
「スパイ?」
 聞き慣れないであろう言葉に、シムルが問い返す。間諜の事だと知ると、口元が一瞬引き締まった。
「そうだとしても、ここは戦場じゃない。戦場でないところでは、いがみ合う必要はないだろう?」
と言ったところで、シムルは考える風にアーロンを見つめた。
「今更…、詭弁だな」 
 目を泉水の中に転じる際の呟きに、今度はアーロンが反応する。
「キベン?」
 今度はアーロンが聞き返す。普段、使うことのない古代言語なので意味はわからなかったが、それよりも彼の語調に微妙に含まれた翳を感じたからだ。しかしシムルは答えなかった。
 鐘が鳴り始めた。コーラルアーシェは聖教区だ。鐘が鳴るのは祈りの時間を示している。
「すまない、少し待ってくれないか」
 シムルはアーロンにそう断ると、陽の位置を確認してその場に膝立ちになり、胸の前で手を組んで俯く。修道士の祈りの姿だった。周りを見ると、あちらこちらで膝を折る騎士の姿が目に入った。
 唇が微かに動いている。祈りの言葉なのだろうがアーロンにはわからない。ただ尊い言葉だと言うことは理解できる。祈る修道騎士の姿は、誰もが真摯で清らかだった。アーロンは傍らのシムルから目を外せない――不躾にも、祈りが終わるその時まで。
 祈りは鐘の音が消えるまで続いた。時間にして十分程度。それを終えると、シムルは顔を上げて立ち上がった。
「手首はどうだ?」
 水の中のアーロンの手首を見る。
「水が冷たくて痛みは麻痺しているみたいだ」
 腫れは相変わらずだが、痛みは幾分マシになった。アーロンが答えると、シムルは腰に付けた袋の中から布切れを取り出した。それを泉水に浸す。アーロンの手首を水から上げて、腫れた部分にそれを巻いた。
「もうすぐ今日の会議が終わるはずだ。そうしたら警戒が内から外に向くから、今のうちにここを離れた方がいい。このまま西に進むとさっきとは違う林に出る、そこから抜けられる」
 布の端を縛りながら彼がその方向を目で示す。
「僕を突き出さないのか?」
「君は何か悪いことをしたのか?」
「怪しいと言ったじゃないか?」
 巻いた布の上から更に、シムルは片手ですくった泉水をかける。冷たい雫が地面に落ちて見る間に吸い込まれていった。
「何もないこの時期に、何もしていない人間に、何もしたくないんだ。もし君がどこかの間諜なのだとしたら、いずれ然るべき場所で会うだろう。何かするとしたら、その時でいい」
「今、ここで見逃したら、君たちの仇(あだ)となるかも知れないのに?」
「おかしなことを言うのだな、突き出して欲しいのか?」
「いや、それは…、遠慮します」
 アーロンの答えに、シムルは思わず笑みを零した。つられてアーロンも笑う。
「だったら、早くここを離れることだ」
 シムルは再びすくった泉水をアーロンの手首にかけ、促した。
 アーロンを見逃したことで、彼の立場は悪くはならないのだろうか? それを尋ねると「気にしなくていいから」と、今度はアーロンの肩を押した。
 アーロンが二、三歩、足を進めたのを確認すると、シムルは反対の方向に身体を返した。この庭の出入り口と思しき門にまっすぐ向かう。振り返らないまま彼は、その門を潜ってアーロンの視界から消えた。
「シムル」
 彼の名前を反芻する。一瞬見せた笑顔が、脳裏から離れない。彼の一言一言が耳の中に響いた。
 アーロンはシムルが消えた門をしばらく見つめた後、今度は複数の足音に促されて、彼が示してくれた出口に向かった。









                 (2010.03.23)



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