[ III ] 過去標



 
(1)


 半年など、「あっ」と言う間だ。気がつけば、時間航法の実習まで一ヶ月を切っていた。論文テーマの絞り込みや資料収集と選別などの学術的準備に追われる中、実習に関する追加データが配布される。膨大な実習マニュアルをようやく読み終えようとしている学生達は、今になってまだあるのかと誰もが思ったが、内容は半年前に配られたものとは性質がまったく異なっていた。
「なんだ、こりゃ?」
 寮の部屋に戻りデータを解凍して、最初に声を発したのはサイラスだった。背中合わせでデータを見ていたアーロンは、しかし振り返らない。彼の言葉はそのままアーロンの言葉でもあったからだ。
「『時間失踪者リスト』?」
 データの中身は、相当数の学生及び駐在研究員のプロフィールだった。それもただのプロフィールではない。出身地、生年月日、家族構成、癖などお定まりのものから、三六〇度バーチャルイメージ付きのボディ・サイズ、完全守秘保護のはずのDNAデータ、指掌紋、虹彩、声紋など身体識別データ、完璧にプロファイルされた性格と行動予測――一人の人間のありとあらゆるデータで成り立つプロフィールなのである。写真は立体映像で取り出せて、どの角度からでも見ることが出来た。
「これが失踪者リストか。話には聞いてたけど、これほどとはな」
「話?」
 サイラスの独り言に、アーロンは今度は振り返った。
「時間航法の実習生には、過去の実習で行方不明になった学生を探す任務があるって話。実習直前に渡される失踪者リストは、重要指名手配の犯罪者並みに詳細だって聞いたことがある」
 時間航法の実習生は厳しい適性検査を経て選別されているにもかかわらず、実習終了時に毎年、数人の違反者を出している。ほとんどが『現在』に戻るための転送ポイントに遅刻する程度のものだったが、中にはそのまま『過去』に留まろうとして行方を絶つ者もいた。
 これは時間航法の講座を持つ大学の間で、共通の悩みである。時間逃亡は時間法の中でも記憶消去などの厳罰をもって知られていた。もちろん逃亡者を出さないことが第一なのだが、出してしまった場合の対処の仕方も重要視された。時間逃亡者を出しはしても、捜索確保率が高ければ宇宙大学としてのランクを下げることにはならなかったから、自ずと各大学は失踪者捜索に力を入れることになる。その一環として、実習生にも捜索任務を課し、年代別にリストされた失踪者データを実習時に配布した。
「時間を移動するには指定ポイントで、ティオキア(ここ)からのアプローチを待つしか手がない。逃亡者はその時代を動けないからな」
 サイラスの言葉を聞きながら、アーロンは自分が行く予定の水晶時代末期の項目をクリックした。五人のプロフィールがリストされているがこれは極最少人数である。失踪者の人数は時代選択の学生数に比例した。乱世である水晶末期を選択する学生は格段に少なかった。
――デボラの出身?
 同じデボラ星出身者が水晶末期の中にいるのを知って、アーロンはファイルを開いた。
 名前はハナ・クイス。教養課程三年次の時間航法実習で三年前に消息を絶っていた。年齢は当時まだ十三才――スキップ制度で入学したことがわかる。
――最年少でティオキアに入ったって子供がいたな。
 アーロンとハナ・クイスは同郷であった。記憶の隅から当時のニュースが蘇る。
 十一才での宇宙大学入学は宇宙大学制度実施史上最年少の快挙で、デボラ中の注目の的だった。彼が初めての長期休暇で帰国した折などマスコミが追い回し、一挙手一投足を連日報道した。それに懲りたのか、次の休暇から帰国は秘密にされた。
 そう言えば以後の消息は聞いたことがない。アーロンの記憶からはすっかり消去されていた。今、このリストを見るまで、ハナ・クイスの入学した宇宙大学がティオキアだったことすら、忘れていたくらいだ。
「へえ、俺達の行く『時間』に一番近いのはハナ・クイスか。ゲッ、十三?! まだガキじゃねぇか」
 同じデータを見たらしく、サイラスが声を上げた。
「だから不明理由が『外的要因の可能性大』ってことになってる」
 独り言のつもりで呟いたアーロンに、「確かにな」とサイラスが答えた。
 失踪時、ハナ・クイスは世間一般で言うところの子供で、何らかの宗教・思想を持っていたとは考え難いこと、実習先が法を犯してまで留まるほど魅力的な時代ではなかったことから、大学側は外的要因=時間軸から弾かれた、戦場に迷い出て巻き込まれた等の不可抗力による行方不明だと見ているらしい。
 金茶の髪に蒼い瞳。結んだ口元に幼さを残して、立体映像の少年がアーロンの前でゆっくり三六〇度ターンする。エイジング・ボタンで三年を加算すると、十六才の顔に変わった。意志の強そうな目が印象的だ。
 最年少でティオキアに入学、彼の前途は然るべき地位を約束されたも同然だった。その将来を自らの意思で十三才の少年が棄てたのだとしたら、何が彼をそうさせたのだろう――瞳や髪の色をいたずらに変えながら、アーロンはハナ・クイスの瞳に心の内で問いかけた。




(2)


「アーロンはどこに決まったの?」
 アナベスがデザートのケーキを頬張りながら、向かいに座るアーロンに話を振った。
 アーロンは同母星のアナベス・ハンプトンと同盟星系のティモシー・ウィーバーと共に、学生ラウンジでランチを取っていた。話題は三週後に迫った時間航法の実習について。彼らの中ではアーロンだけが選抜された。
「水晶末期のサイドル王国。『コーラルアーシェの決裂』って呼ばれている時期」
 アーロンの答えを聞いてアナベスは、「いつ、それ?」と再度問い返した。
「サイドル王国が国内統一を果たす『ヴィンティミリア戦役』の約一年前さ。物好きだな、アーロン?」
 アーロンの代わりに、彼女の隣に座るティモシーが答える。
「本当は『ヴィンティミリア戦役』を第一希望で出したんだけど、却下されたよ」
「それはそうだろう? あの時は激戦だったって聞くから、そんな危ないところには学生を行かせないよ。だいたいサイドル王国だなんて、百年乱世の中心じゃないか。よく許可されたね?」
「『コーラルアーシェ』は末期のサイドルで落ち着いていた時期だから」
 後世に『コーラルアーシェの決裂』と名づけられたこの時期は、水晶末期において数少ない停戦期である。王室と二大公国が聖教区を仲立ちに話し合いのテーブルに着こうと、聖教区の一つコーラルアーシェに集まったのだ。結局、話し合いは決裂し、一年後に水晶期最大にして最後のヴィンティミリア戦役へと向かうことになる――と、この頃に明るくないアナベスにティモシーが説明した。
「サイラスも一緒なんでしょ? ムカツクー、どうして寝てばっかのあいつが? 私はここに入った時から時間航法の実習狙いで、必死に勉強したのに」
 サイラスの名前を出して、アナベスは悔しそうにテーブルを指で小突いた。サイラスは同盟星系ではなかったが、アーロンと同室と言うこともあって、アナベスもティモシーも彼と親しくしていた。もっともサイラスは昼休みを図書エリアで寝て過ごすのが常で、ランチには同席しないことが多く、今日もこの場にはいなかった。
「時間航法の実習を受けるってことは、軍関係のコースに否応なしだ。希望コースに進めないなら、俺は興味ないな」
「そうだけど、生で歴史が見られるのよ? 一般人じゃ一生行けない世界だもの」
サイラス(リンドバーク)が行くから、一緒に行きたいっていうのもあるだろう?」
 ティモシーが彼女を見た。眼鏡の奥の目には、からかいを含んだ表情が浮かんでいる。
「冗談。私と彼は何ともないわよ。そりゃオフに一緒に出かけることはあるけど、私にはちゃんとフィアンセがいるんだから」
「フィアンセ? アナベス、君、いくつだよ? 太古の昔じゃあるまいし、古風だね?」
「デボラじゃ普通よ。卵子が作られる身体になったら、適性でパートナーが決められるの。男だって同じ。だからアーロンにもデジレル(他宇宙大学)にいるわ」
 アーロンは自分の名前が出て、顔を上げた。ティモシーがアナベスとアーロンを交互に見る。デボラでは日常的なことも、他では前時代的に思えるのだろう。
 彼女が説明したようにデボラの子供は第二次性徴期を迎えると、適性審査を受けてパートナーが決定される。それは単に受精卵の為の相性に過ぎず婚姻には影響はなかった。しかし連邦政府が選んだ相手に間違いはないと確信しているデボラの人々は、結婚に至るケースがほとんどだ。そしていつの間にか、その相手と結婚しないことの方が異端視されるようになっていた。
 

『卵子は提供するわ。でも結婚する気はないから。私には好きな人がいるの。彼女との間を邪魔されたくないから、言われた通りあなたと婚約するけど。だから受精卵が必要な時だけ連絡してきて』


 アーロンの耳にフィアンセのクララ・エステルの言葉が蘇った。
 お互い別々の宇宙大学に入学が決まって、母星を離れる前に引き合わされた。クララにはすでに同性のステディがいた。初対面の時、まだ彼女よりも身長が低く童顔だったアーロンに、クララは眉間の皺を隠さなかった。開口一番の言葉が「受精卵が必要な時だけ云々」で、第一印象は最悪。アーロンもパートナーに選ぶのは同性の方が良いと思っているから、二人の接点は永遠に有り得ないと言えるかも知れない。
「と言うわけでサイラスは関係ないから。彼と私の間にあるものはライバル心のみ。今回、彼が選抜されたことで水を空けられちゃったことになるから、私はすごく悔しいわけ」
「はいはい、そう言うことにしておくよ」
 我知らずムキになりつつあったアナベスに、まったくそれを信用していないことがわかる口調でティモシーは返した。
 ランチ・タイムの終わりを知らせるチャイムがラウンジに響いた。午後一番に講義がある学生は、それぞれのエリアに散って行く。アーロン達もランチのトレーを片付けると、ラウンジを後にした。




(3)


 時間航法の実習を数日後に控えて、実習生達は最後のオリエンテーションを時代別に受けていた。
 実習地はティオキア宇宙大学が所在するファニ星の唯一の大陸・ユベラ。その地で推移した『時』の中に、学生は一ヶ月間滞在することになる。
 今回の一番人気は『創世期』と名づけられた人類誕生直前。バーチャルや化石から造られたクローンなどではなく、本物の巨大哺乳類を見ることが出来る上に、知的生命体がいない環境なので、他の時代よりも規制が緩やかであることも人気の要因となっていた。そして一番の不人気は、水晶期の後半。水晶期も前半は中世の宮廷文化が華やかで安定していたから、まだしも平均値の学生数を確保している。しかし後期から末期は、北西部から始まった乱世に大陸全体が飲み込まれ混沌としていた。ゆえに毎年、ほとんど希望者がいない。
「今回は二人もいるの? 珍しいわね?」
 モニターの向う側の女性が、アーロンとサイラスにそう言って話しかけた。彼女は水晶後期に駐在する研究員で、実習の際に学生達の指導・監督にあたる現地講師でもある。彼女の黒い髪と瞳から、アーロンは知的な印象を受けた。
「それもサイドルのコーラルアーシェだなんて、なかなか勇気がある。ああ、失礼。私はゾーイ・バークレーです。これから一ヶ月、あなた達をナビゲートします、よろしく」
 学生二人が簡単に自己紹介をして、オリエンテーションが始まった。半年間にマニュアルとコンピューターの指導によって学んだことの、これが最終的な確認となる。自分たちが向かう時代についての注意事項。水晶末期は下手をすると命の危険を伴なう。あらかじめ渡されたマップには、立ち入り禁止区域が赤いマークで多数示されていた。続いて滞在する『過去』の現状、それから二大禁忌――『持ち帰らない』『干渉しない』――に関して、ゾーイ・バークレーは詳細に説明した。
「さっき俺達のこと、勇気があるって言ったけど、先生こそ勇気ありますね? 水晶後期に駐在するなんて」
 オリエンテーションの終わりに「質問は?」と聞かれ、サイラスが彼女に尋ねた。
「そうね、確かに危険な時代だけれど、駐在しているところは軸をずらした亜空間だから、外出しないかぎり安全は確保されているわ。外出時はTS(テレポート・システム)を携帯しているし。もちろんあなた達にもそれは貸与されます。それに安定していないからこそ興味深いところでもあるわね」
「僕は最初、ヴィンティミリア戦役を希望していました。TSを持たされるなら、それほど危険はないと思いますが?」
 アーロンの質問に、ゾーイは目を少し見開いた。ヴィンティミリア戦役を希望するなど、信じられないとその目は語る。
「TSだって万能ではないし、でもどちらかと言うと、精神的な危険を大学側は危惧しているの。ヴィンティミリア戦役は壮絶な戦いよ。瞬きする間に数え切れない戦死者が出たと言われるくらいにね。目の前で死に逝く人々を、干渉しないでただ見ていることしか出来ない。見ていることを全う出来るかしら? 実際、十年ほど前に別の戦役を見学した学生が干渉してしまって、修正しなくてはならなかった」
「修正?」
「助けた命を、奪うってことよ」
 表情も変えずにゾーイは言った。アーロンは唇を引き結ぶ。その口元を見て、彼女は微笑んだ。
「歴史は過去。今の時間がある限り、過去の時間は変えられない。それだけはよく覚えておきなさい。三年ぶりの実習生だから、私も楽しみにしているの。出来れば、無事に終えて欲しいわ。他に質問は?」
 学生二人は首を振った。たいていのことはマニュアルが答えてくれていたし、実習先の実践的なことは想像もつかない。文献で知る以外のことは質問のしようがなかった。研究員は二人の様子を確認すると、「それでは『過去』で」の言葉を残し、モニターの中に消えた。
「なんか、大事だな。お気楽なタイム・トラベルとは行かないようだ。一ヶ月が思いやられる」
 サイラスが仰け反るようにしてイスに身体を預け、天井を仰ぎ見て呟いた。
 オリエンテーションでの会話はすぐに保存処理される。アーロンはモニター下部に内蔵されたレコーダーからチップを二枚取り出し、一枚をサイラスに渡した。
――それだけ『過去』に入ることは罪が深いってことだ。軍事目的なら尚更に。
 アーロンはチップを一瞥する。時間航法が軍事目的だとは誰も言わない。しかし教養課程終了後のコースが軍関係と宇宙警察に限定され、以後三年毎の実習がそのコースの学生にしか許可されないところからみて、時間航法の有益性を各星域の軍部が重要視していることは自ずと知れた。チップを受け取るサイラスの表情も、シニカルな口調に似合わず複雑だ。彼もまた、そのことを知っている。
 時間航法の実習が決まってからも知らないうちに選別は行なわれていて、当該学生数はいつの間にか三分の二に減っていた。彼らに拒否権はなく、あくまでも大学側主導で進められる実習。軍部の影を意識せざるを得ない。
「とりあえず行くしかないってことだ」
 サイラスの言葉に自分の気持ちを重ねて、アーロンは頷いた。


 過去への扉は、間もなく開かれようとしている。







                 (2010.01.20)



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