※ この作品は共にHP公開十周年のお祝いとして、神永圭様より賜りました。
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[ 隠れ谷 (上) 〜鯉蔵外伝〜]    神永 圭     





『ずいぶんやられたらしいのう』
 ひゅうひゅうと笛の音のような声を立て、でっぷりと腹に脂をのせた中年の河童が笑う。大人の雄河童で三尺くらいだから、岩にしゃがんで笑っているそれは、身の丈四尺はあろうかという大河童だ。
『だれにやられたんね』
 温泉に浸かる鯉蔵の顔を、ぎょろりとした丸い目玉を見開いて興味津津というふうに覗き込む。頭部に丸い皿を頂き、縮れた頭髪は背中の甲羅を覆うほど長く、濡れ濡れとした厚い鱗状の皮膚は苔色をしている。水の中では鰭(ひれ)を出し、水穴(すいけつ)と呼ばれる地下水脈を通ってどこへでも行く。
 人から妖怪と呼ばれ、一括りに化物扱いされているも、自らを竜神の眷属と称する河童どもは、他の妖怪どもを下賎と見下し決して交わらぬ。お高くとまった河童どもだが、どういうわけか昔から鯉蔵にだけは親しげに声を掛けてくる。そんなふうだから、幼いころはおのれを河童だと思っていた鯉蔵だ。
『なにがあったんね』
 大河童が畳み掛け、辟易として眼をとじる。思い出したくもないおのれのへまを、わざわざ語る莫迦がいるのかと逆に訊ねたくなる。
(くそッ)
 どれもこれも思い出すだに腸が煮える。沈みゆく鬼火島から脱出し、陸に戻って五日目であった。
『なんもねえろば ここへはこねろがね なにがあったんね』
「煩いぞ」
 鯉蔵は不機嫌をのせて低く云った。
 立ち上る湯気が、辺りの岩場を煙らせる。霊峰白峯の懐より湧き出るとろりとした湯は、古くから傷を治す力があるとされ、はじめは動物たちが、次に修験者たちが訪れるようになったという。
 そして鯉蔵は、笞で打たれた屈辱の傷を湯で癒している。
『まんたのむすめがたまっこぬすんだはなし しってっけ』
 諦めたのか、大河童が話の矛先を変える。
『ひとのおとこにほれて ほれ おめさんとまんたがたすけた おっきいほうのおとこらて』
 鯉蔵の柳眉が眉間に寄る。唐人屋敷で、毒矢に倒れた伊十郎を助けた親子河童がいたが、父河童はまんたというらしい。
「盗んだというのは、どういうことだ?」
『さあのう そのほれたおとこにくれてやったみてえらのう』
「くれてやった?」
 切れ上がった目蓋が上がり、ギヤマンの眸子が大河童を見る。
「娘はどうなった?」
『ぬすみのばつはかみきりらて まあ なつまではでてこらんねえろうなあ』
 やれやれというふうに短い首を掻きながら、大河童が目玉と目玉のあいだに皺を寄せる。
 鯉蔵は、伊十郎の守り鈴を娘にくれてやったのを思い出した。
(もしや、鈴の礼をするために――)
 河童の霊力でできた河童玉は、河童の宝である。しかし玉は、新月の晩でないと新たに生めぬ。手持ちの玉を唐人屋敷で使ってしまった娘は、思い余って仲間の玉を盗んだのやもしれぬ。
(罪なことをしてしまったか……)
 髪は霊力の源であり、河童にとっては皿の次に大切なものだ。ましてや年頃の娘であれば、恥ずかしくていたたまれないことだろう。なれど娘のくれた河童玉のおかげで、伊十郎らは海を渡って帰りつくことができたのだ。
『そのおとこ めっぽうつええさむらいらんろ そのおとこたすけて おめさんはとうじんやしきでたんろげ だのになんでおめさんだけここにいん そのおとこどうしたん』
 大河童が青々とした嘴の端を吊り上げる。いつのまにか、話が戻っている。
『そのきず おとこにやられたんけ』
「違う」
『ならだれに』
「もう黙れ」
 鯉蔵はざっと湯を鳴らして立ち上がった。岩に上がると、ぽうっと狐火が灯る。
 此処に昼というものはない。あるのは曙と宵と夜のみだ。黄みをおびた淡紅色の明けの空は、まだ半分ほども夜を残して仄暗い。
 絖のような白い肌から水滴を払い落とし、脱ぎおいた湯帷子へと手を伸ばす。すっきりした高い鼻梁、凛々しく整った面立ち、絵師が見たなら飛びつくだろう美貌はだが、異形である。
 湯気を纏わせたしなやかな裸身に湯帷子を付け、頭部に巻き束ねていた紅髪をばさりと下ろす。紅鞘の刀を帯に挿し、腰のあたりまでうねり流れる髪をゆらして石段を登る。
『ヨウ鯉蔵。一年振リダナ』
 石段脇の藪から、立派な角を持つ若い男鹿が声を掛ける。
『息災ダッタカ?』
「まあな」
『嫁ハモラッタカ?』
「いや」
『早ウモラッテ仔ヲツクレ。オレハマタ仔ガ増エタゾ』
「そうか」
『見二来ルカ?』
「いや、またにする」
 此所では獣も人語をしゃべる。湯気の奥から聞こえる声は、妖怪や獣のものだ。
 男鹿と別れてさらに石段を登る。硫黄の匂いが遠のいて、替わりに甘やかな梅花が薫りだす。
 硫黄や獣臭さを紛らわすのに、天狗は梅を植えるのだという――と云っても結界の外は初秋であり、梅が咲く筈もないのだが、鼻をくすぐる清々しい芳香はつくりものとは思えぬものがある。




「いくつになった?」
 侘びた廬(いおり)に入るや、渡殿(わたどの)の奥から寂声が掛かる。
 結界の主、天狗である。外から見ると荒屋だが、中に入ると風雅な寝殿造になっている。
「知らぬ」
 鯉蔵は云い捨て、泉水に架かる朱塗の太鼓橋を渡る。花々に霞む梅園のどこかで鶯が啼きだした。
 天狗が、どういった幻術を施しているのか鯉蔵は知らぬ。されど物心がついたときには此処≠ノ居たのだ。
「唐人屋敷に入って、何年になる?」
 すぐ傍らから声がするも、姿はない。
「三年」
「なれば二十一か。色気づいてもおかしゅうない年頃よ」
「童(わらべ)扱いするな」
「わしから見れば、ぬしなど赤子よ」
 天狗は、水面に建つ釣殿(つりどの)で酒を飲んでいた。いつ上ったのか、庭園の空に半月が掛かっている。
 坊主頭に渋い色目の十徳をつけた姿は好々爺という風情だが、眼光は鋭い。筋肉を盛り上げた修験者のごとき風体のときもあれば、痩せた仙人のような姿をしていることもある。ここ暫くは茶人ふうの翁姿が気に入っているものらしい。
 鯉蔵はふんと鼻を鳴らし、背を向けて湯帷子を脱いだ。廂からそそぐ仄蒼い月影に白い裸体をさらす。
「ほう、随分治ったのう。この分だと痕も残るまい」
 若紫の裾濃(すそご)を掛けた几帳ごしに天狗が云う。
 鯉蔵は臥所に横たわり、うつ伏せになった。ふと、鳥浜で別れた伊十郎を思う。肩に矢傷を負い、足を折り、満身創痍であった。よもや死ぬことはなかろうが、どうしているやら……。
(連れてくればよかったか)
「どうだ、おなごは? 相変わらず好かぬか?」
 今度は真後ろから寂声が響く。
「好かぬ」
 鯉蔵は腰を上げ、獣のように四つに這った。
「愛らしいとは思わぬか?」
「思わぬ」
「おまえとて、下腹の張ることくらいあろう」
「若衆なれば幾人か」
「抱いたのか」
「うむ」
 突きだした尻から腹へと温かな気が流れ込んでくる。天狗が陽の気≠そそいでいるのだ。知らぬものが見たら衆道の交りに見えることだろう。されど使われる陽根も後ろ門も気の通り道に過ぎぬ。
「好いたものはおるか?」
「おらぬ」
「好いてもおらぬのに抱くのか?」
「下腹が張るたびに好いていたら身がもたぬ」
「生意気なことを云う」
 後ろで天狗が笑う。
「人と云うものは、好いたものを抱くものぞ」
「皆がそうとは限るまい」
「否、獣とて好いたものと交わる」
「おれが獣に劣ると云いたいか?」
「そうは云うておらん。おまえは些か疎いのだ」
「疎い?」
「未熟と云うことじゃ。こうしてわしに尻を預けねばならぬ身だ」
 鯉蔵は唇を噛む。声変わりが始まったころだ。背がむず痒いので河童どもに見せたら、背中の痣が動くと騒ぎ立てた。天狗に告げると、身ぬちに棲む小竜が動き出したのだという。それから肌が冷たくなり、鱗のような痣が全身に浮きだした。以来こうして、天狗より陽の気をもらっているのである。
「もうよい。ぬしなどおらずともやってゆける」
「未熟者ほど身の程を知らぬもの。わしが陽の気をそそがねば、ぬしは化物に成り果てる」
「成らぬわ!」
 鯉蔵は振り向きざま、尻をもぎ離した。
「どうかな?」
 天狗が片膝を立ててにっと笑う。
「ぬしが一番分かっているのではないか? わしと此処へ来たは、なにゆえじゃ? 血が凍えてきたゆえ、まずいと思うたのだろう? さあ、尻をここへ。まだ陽の気がいるであろう」
 図星を指され、舌打ちする。背を向けて尻を突きだすと、再び陽の気が流れこんでくる。
「並の者なら、こうやって陽の気を入れたとて化物になるのを抑えられはせぬ。ぬしには力があるのだ。まだそれがうまく使えぬだけのこと」
「鬼火島の崖から飛んだとき、潮の渦が消えた。おれに力が宿ったからではないのか?」
「如何にも。されど力は宿主たるぬしを喰う。ぬしが弱ければ、力に喰われて化物になる。わしが鳥浜へ行ったのは、ぬしを始末せねばならぬと思うたからよ」
「始末?」
「ぬしはあの瞬――天地の理をねじまげた。大気の乱れが、わしを呼んだのだ」





 
  

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