恋バナ 前編



『八月三日 
 朝から曇りがちで時折雨がぱらつくけれど、お湿りにもならない。かえって蒸し暑く、ジワジワと首筋に汗が出る感じが気持ち悪い。
 雨の日は好きではないけれど、パーッと降ってくれないものか。』
 二階の張り出し窓に腰掛け日記をつけていた容子は、一旦筆を止め、団扇で首筋の辺に風を起こした。
 普通、日記は一日の終わりにつけるものだが、容子は空いた時間や何か思いつく都度に、小さな帳面に書きとめることにしている。その方が忘れないし、読み返した時に臨場感が蘇えりやすい。そんなだから蒸し暑さを文字にしたなら、ますます汗が滲んだ。
 大きく伸びをして通りを見下ろす。この辺りは商店が軒を連ねる一帯だが、人影はまばらだ。今が昼下がりの一番暑い時刻と言うのもある。しかし人通りが少ない理由はそればかりではないだろう。
 日本各地が空襲に晒される中、ここ広島市は未だにその被害を受けていない。明治時代から軍都として知られ、軍関連の施設や軍需工場を抱えていると言うのに、不気味なくらいである。今に大規模な空襲を受けるかも知れない――そんな不安が人々を疎開へと促した。空襲の際の延焼を防ぐために建物疎開も行われ、町には空地も目立つ。以前とは比べ物にならないほど寂しくなったと、細々営業を続ける商店主達から容子は聞かされた。
「容子さぁん、お電話よ」
 階下から声が聞こえ、容子は日記を片づけ降りて行った。受話器を受け取る際、「お母さんからよ」と言われ苦笑する。
 容子は東京の音楽学校の学生だが、実家は岡山県の倉敷にあった。東京を文字通り焼け野原にした三月の大空襲で焼け出され、下宿先の叔母共々帰郷したのだが、西日本を慰問巡演中の移動劇団と知り合い、彼らと一緒に行動するようになった。
「大丈夫よ、お母さん。疎開先は確保されとるし、ちぃとでも危なくなったら移動することになっとるのよ 」
 両親は移動劇団への参加するを反対していた。実家は紡績業を中心に手広く商売する大店だった。「鶴原さんのところのお嬢さん」がドサ回りのようなことをするなど、世間体が悪いと言う理由は表向きで、空襲の心配のない地域にある家から出したくないことが本音だった。それを慰問と言う崇高な目的であることと、加えて巡演先が山陰など比較的空襲の少ない地方が選ばれているのだからと説得した。
 ところが七月の半ばに広島入りし連絡先を教えてからと言うもの、母が度々電話を寄越すのだ。軍都ともなれば大規模空襲の確率が高くなる。倉敷の隣の岡山市でも六月末に空襲があり、それまで話でしか知らなかった脅威を身近に感じたことも、母の心配に拍車をかけた。
「私達が借りとるお宅は工場からも港からも離れとるの。じゃけぇ心配せんとって 」
 母がこの辺の地理に明るくないことを良いことに、さも自分が安全な場所にいるのだと、容子は電話の度に強調する。容子にしてみれば、毎日のように警報が鳴っていた東京よりもよほど長閑で安全に思えたから、言葉に真実味があった。母も一旦はそれで引くのだが、また二、三日のうちに電話をかけてくるのだ。
「たまたま今は広島だけど、もうすぐ次の巡演先に移動する予定よ。その公演が終わったら劇団は東京に一旦戻るらしいの。そのときは倉敷に帰るから。ええ、ええ、お母さんも身体に気を付けて。みなさんによろしゅう伝えてね 」
 まだ喋り足りない様子の母であったが、容子は半ば強引に電話を切った。受話器を置いて、大きなため息をつく。
 母の心配はわからないでもないし、ありがたかった。しかしこう度々では周りに対して気恥ずかしい。二十を過ぎた大人だと言うのに、過保護ではないか。それでなくとも容子には「大店のお嬢さん」の印象がついている。
 気恥ずかしさを紛らわせるため、容子は通りを挟んだ向かいの提灯舗に足を運んだ。
 小松提灯舗と言うその店は親子二人で営んでおり、若旦那=息子の英治は容子と同じ年頃で、良き話し相手だった。
「おじさんは?」
 店には英治一人で、店主である父親の姿はなかった。
「寄合に出かけたよ。ゆっても、茶飲み会みとぉなもんじゃろうけど」
 帳場の机上で開いていたノートを閉じ英治が答えた。容子は店の上がり框に腰を下ろして座った。
「容子さんは? 今日は慰問はないん?」
「坂本さん達が所用で東京に行っているの。劇団は戻られるまでお休み」
 容子は帳場にあった団扇を手にして、自分と英治に風が行くよう扇いだ。
 英治とは、容子が広島に来て劇団宿舎に入り、隣近所に挨拶して回った際に知り合った。同じ年で物腰が柔らかく気さくな彼とはすぐに打ち解け、暇が出来るとおしゃべりをしに容子は店を訪れる。英治が文理大学の学生であること、栄養不足によると思われる夜盲症と肺気腫を患って徴兵検査で外され、大学も休学して店を手伝っていることなど、親しく話すうちに知る。
 実は容子が日記をつけ始めたのは英治の影響であった。
 話し相手をしてもらいに店に顔を出すと、たいてい英治は大学ノートに向かっていた。最初は商売関係の帳簿だと思ったが、どうやら私的なことらしいとわかり、何を書いているのかと尋ねると、仕事の合間に日記をつけているとの答えが返った。
 容子は劇団に参加し見知らぬ町を回るたび、そこでの出来事などを書き記したいとは思った。しかし少し飽き性なところがあり、加えて大らかな性質でもある彼女は、日記、小遣い帳など毎日小まめにつけるものの類は、たいてい三日坊主で終わる。せっかく興味深い経験をしていると言うのに。そう嘆く容子に、
「毎日気張って書こうとするからで。何か思いついた時や見て感じた時に、一言程度でいいから書き留めればええんだ」
と英治が助言してくれたのだ。おかげで今まで何度も挫折している日記が、何とか続いている。
「英治さんはマメね」
 彼が閉じたノートを容子は指さした。
「ご覧の通り、暇だけぇ。父さんのように最初から最後まで自分一人で提灯が作れるわけじゃないし、このご時世じゃ大口の注文もなぁで。容子さんの方はどうなんだい?」
「何とか続いているわ。『三日』は越しました。でもついつい堅苦しくなってしまうの」
 英治に教わった日記の書き方で三日坊主にならずに済んでいるが、今一つ、自分の言葉ではないような気がする容子だった。読み返すと、思ったほどにはその時の気持ちが蘇えってこないことがある。自分しか読むものはいない日記なのに、どうも気取った書き方になってしまう。
「じゃったら、誰かに話すように書いてみたら? 書こうゆぅて思うたその時の気持ちを、分かち合いたい人に向けて喋っとるんじゃ思うて」
「分かち合いたい人?」
「そう。例えてゆぅたらお父さんやお母さん、兄弟とか親しい友人とかね」
「親しい友人」
 容子の脳裏に真っ先に浮かんだのは、池辺信乃夫の顔だった。音楽学校で気の合う仲間三人で結成した慰問団の仲間だ。
 池辺信乃夫はピアノ専攻の学生だった。ほぼ独学でピアノを学んだと言う変わり種で、そのため独奏者になるには技量が不足していた。しかし器用なところがあり、たいていの曲はそれなりに弾くことが出来た。整った顔立ちで女子学生の人気の的だったが、それを鼻にかけるところがなく、見かけによらずバンカラで、飄々としながらも、一本通った芯の存在を感じさせる不思議な魅力を持っていた。
 信乃夫の事を思いだし、容子は頬が熱く火照った。
「今、イイ人のことを思い浮かべとるじゃろう?」
 英治に聞かれ、容子は我に戻る。
「イ、 イイ人って、どうして?」
「じゃって、ゆでだこんように顔が真っ赤で?」
 容子は指摘され、思わず両手で頬を覆った。
「そんな、違うわ。お友達よ、お友達」
「でも特別な友達なんじゃろう? 一等最初に顔が浮かぶくらいじゃけぇ」
「と、特別だなんて」
 言い返せば言い返すほど、顔が熱くなった。英治の言う通り、きっと赤面しているに違いない。
 確かに信乃夫は容子にとって特別な存在だった。一緒に慰問で活動するうち、容子は次第に彼に対し、慰問の仲間以上の感情を抱くようになっていた。次第にではなく、初めて見た瞬間から信乃夫のことを意識していたように思う。それまで容子は、男子と並んで負けない身長が気にならなかったが、初めて信乃夫の相対した時にはそれをうらめしく感じたのだ。彼が容子より心持ち背が低かったからで、以来、近くに立つ時は無意識に猫背気味になった。
「イイ人でも友達でも、その一番最初に顔が浮かんだ人に宛とって書いてみたらどうじゃろう? その人が遠く普通の生活から離れたところにいるんじゃったら、話してあげたいことが次々浮かんでくるゆぅて思うよ」
「普通の生活から離れたところって、どうしてわかったの?」
「例えてゆぅたらその『友達』が男だとしてから、僕らくらいの年頃なら出征しとるて思うたけぇ」
 英治の答えを聞き、「まあ」と容子は声を出した。それから口元に手をあてる。これでは『友達』が異性だと肯定したも同然だ。
「その人に教えてあげようゆぅて思うと、いっつも見よる風景だって違うもんに見えてくる。そがぁなら自分の言葉になるんじゃないかな」
 そう続けた彼の言葉が感情のこもったものに聞こえたので、今度は容子が鎌をかけた。もっとも先ほどの英治には、容子に鎌をかける意識はなかっただろうが、上手く聞き出された形になって少し悔しかったからだ。
「英治さんも誰かに宛てて書いているの?」
 英治は容子のように表情には出さなかったが、答えるまで一瞬の間は空いた。しかし否定はしなかった。
「僕の場合は、強いてゆうたら海軍に入った幼馴染かな」
 英治の幼馴染は江田島の海軍士官学校を卒業し、今は戦艦に乗っているのだと言う。配属先は機密事項になっていて、家族にさえ知らされない。幼馴染宛ての英治の手紙は家族のものと一緒に送られるらしい。返事はなかなかだが、返ってくる時には米や配給では手に入りにくいものが付いてくるのだとか。
「検閲とかあるから、大したこたぁ書けん。なごぉ故郷を離れとるから、里心がつくようなこたぁ厳禁らしい。家族や友達からの手紙ゆうだけで、里心はつく思うんじゃが」
 英治は苦笑した。
 容子の頭からは英治の『日記の君』のことなど、どこかに飛んでしまっていた。彼の幼馴染が海軍だと聞いて、意識はそちらにさらわれたからだ。
「わ、私の友達もね、海軍さんなの。戦艦に乗っているらしいのだけど、教えてもらえなくて。手紙は一回返事が来たきりで」
「じゃあ尚更、その人に手紙を書くつもりで日記を書いてみたらいい。毎日書く必要はないけど、でも毎日書きとぉなるて思うよ」
「英治さんはその幼馴染の海軍さん宛てに毎日、書いているの?」
「僕なぁ日記ってほどのもんじゃないから。それに幼馴染宛てばかりでもないし。たいがいは暇つぶしで」
 英治が暇さえあればノートに書きつけていることを、容子も知っている。彼が言う通り、それは暇つぶしなのだろうが、はたしてそうだろうか――海軍に気を取られてどこかに飛んでいた『日記の君』の件が、容子の頭に戻ってきた。
 幼馴染だなんだと言ってはいるが、実は「幼馴染宛てばかりではない」の方が本命なのではないかと想像する。
(英治さんも今、その人のことを思い出しているんだわ。だってほら、少し寂しそうだもの)
 幼馴染であろうと別の人物であろうと、英治が文章を綴る相手は遠く離れているのは確かだ。容子がそうであるように、思い出すと寂しい気持ちが湧き上がるに違いない。
「早く戦争が終わるといいわね」
 不意に口をついて出たのは、それまでの話の流れとは関係ない言葉だったが、英治は疑問に思う風でもなく「そうじゃの」と答えた。
 バラバラと音がしたかと思うと、雨だった。午前中のようなポツリポツリと言った降りではなく、乾いた土を抑えつけながら、見る間に水たまりを作る。雨脚の勢いが強く、風がないにもかかわらず、店先近くに置いたものが湿った。英治が慌ててそれらを奥へと移動させ、容子も手伝う。ちょうどその時、子供が飛び込んできた。
「ヒロちゃん、お帰りなさい。あら、ずぶ濡れになってしまったわね」
 英治の年の離れた弟の弘之だ。小松家は空襲の危険を避け郊外に引っ越していたが、店と弟の学校ために毎日ここまで通っている。弘之は学校が終わってから帰るまで、近所に遊びに出ていることがほとんどだったが、この雨で慌てて帰ってきたらしい。容子を見て濡れて滴を垂らす帽子を取り、頭を下げた。
 英治が自分の首に掛けた手ぬぐいで弟の頭を拭こうとするが、弘之はそれを突っぱね、着ているもの全てを脱ぎ去り真っ裸になると、脱いだものを抱えて二階に上がろうとする。
「ヒロちゃん、ちゃんと拭かないと風邪を引くよ」
 そう容子が言うと、
「わしゃぁ兄ちゃんと違うから、へっちゃらじゃ」
 と言って一気に駆け上がってしまった。
 容子に対してまだ人見知りしているのだと思っていたが、兄である英治に対しての態度の方が心なしか冷たく感じる。
「ヒロちゃん、何だかご機嫌斜めね」
「反抗期なんだ」
「反抗期?」
 容子は聞き返したが、英治は曖昧に笑んで答えなかった。
 通り雨だったのか雨脚は急速に弱まり、小やみになった。それを見計らって、容子は宿舎に戻った。



                           

 
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