永遠の音楽


(四)


 最後の和音をピアニシッシモで掴んだ。フェルマータで繊細な余韻を響かせ、私達は同時に楽器から手を離した。
 演奏が終わって音の無くなった教室に、今度は拍手が響く。信乃さんと容子さんによるものだった。
「良い演奏だった。カナちゃん、僕の時はブラームスを頼むよ」
 信乃さんが言った。とても穏やかで、どこか諦観じみたものの混じる笑みが浮かんでいる。名指しされた私は言葉を返せず、容子さんもまた同じだった。私達の演奏に拍手をくれた時の高揚した表情は消え、彼女の顔色は青ざめていた。
「遅かれ早かれ、僕も尚之の後に続くよ。年明けすぐに二十歳(はたち)だ。カナちゃんもいつか」
「やめてよ!」
 容子さんが叫んだ。それから顔を両手で覆うと、首を左右に振り嗚咽した。信乃さんが、近い将来に自らの身にも起こる徴兵に言及したからに違いなかった。
 容子さんは一度も口にしたことはなかったが、信乃さんのことを特別に想っていることはわかっていた。さばさばとして、女っ気を感じさせない彼女が時折見せる可憐さは、常に信乃さんが傍らにいる時。少年期を脱して間もない、まだまだ男女の機微を理解し得ない私がわかるくらいだ、信乃さん自身にも知れていたと思う。しかし信乃さんは一度も応える素振りは見せず、むしろ新参者の私に対するよりも彼女に素っ気無かった。
 その時も容子さんを慰めたのは尚さんで、信乃さんはただ静かに「でも本当のことだ」と言って口を噤んでいた。
「容子、信乃の言う通り、男は皆そのうちに出兵することになるだろう。だけど約束する。必ず戻ってくるから、その時はまた三人、いや、四人で演奏しよう。だから今日は泣き声じゃなく、最高の歌声を聴かせてくれないか? 君の声を耳の奥に留めて行きたいから」
 尚さんは優しく容子さんの背中を撫でた。
――ああ、そうか。
 私はその様子を見て合点がいった。尚さんは容子さんを好いているのだと。同時に信乃さんが音楽を介する以外に彼女と接点を持とうとしないことの訳も理解した。
 信乃さんは尚さんが容子さんに恋慕していることを知っているのだろう。容子さんの気持ちが自分だけに向かぬよう、微妙な距離を保っているのだ。
「そうだよ、容子。だから、その不細工な声を何とかしなよ。一番の声で尚之を送ってやらなけりゃ」
 信乃さんは私に席を代わるよう促し、ピアノの前に座った。
「尚之、容子に何を歌ってもらいたい?」
 尚さんは少し考える風に小首を傾げ、それから「『すみれの花咲く頃』が良い」と答えた。
 『すみれの花咲く頃』は一九三〇年に宝塚歌劇団で上演されたレヴュー『パリ・ゼット』の主題曲で、以来、宝塚歌劇団の隠れた団歌として、団員にも観客にも親しまれている曲だった。容子さんは普段もよく口ずさむ。春の頃に芽生えた恋を明るく華やかに歌い上げる曲調は、彼女そのものだ。
 信乃さんはホ長調のスケールを弾き、音程を容子さんに示す。宝塚で歌われているのはもう少し低いように思うが、容子さんの高音部が最も美しく響く調に移調するつもりなのだとわかった。尚さんのために、最高に美しい歌声となるように。
 前奏部が始まると容子さんは涙を拭い、
「待って。鼻をかんでくるから!」
とハンカチを手に教室を出て行った。
 廊下の少し離れたところから、盛大に鼻をかむ音が聞こえた。すっかり陽が傾き、おそらく学校内に残っている学生は少ないだろう。昼間は音で満たされている廊下も静まり返っているから、尚更に響くのだった。
 残された私達男三人は、顔を見合わせて笑った。その日、尚さんが遅れて練習に参加して初めて笑えた気がした。
 一しきり笑った後、尚さんは信乃さんを見た。
「ありがとう」
「なんの。後で少し僕達は外すから、言ってしまえば?」
「信乃」
 容子さんが戻ってきた。鼻の頭が薄っすら赤くなっているのを見て、私達はまた笑った。彼女は頬を膨らませる。やっと彼女らしさが戻った。
 笑い声が収まりかけた頃合を見計らい、信乃さんがピアノを鳴らす。『すみれの花咲く頃』の前奏が始まると、容子さんはピンと背筋を伸ばし、目線を上げた。
「春、すみれ咲き、春を告げる。春、何ゆえ人は汝(なれ)を待つ」
 尚さんは片したヴァイオリンをケースから再び取り出すと、容子さんの隣に立った。ゆっくりとした導入部が終わるとテンポが変わる。
「すみれの花咲く頃、始めて君を知りぬ」
 容子さんの声が奏でる軽やかな旋律に、尚さんのヴァイオリンが華を副えた。
 必ず戻ってくる――言った言葉に込められた想いは決して偽りではない。尚さんは、いずれ信乃さんも、そして多分私も、そのつもりで戦地に赴くことになるだろう。しかし想うだけでは達せられないこともある。この三人で作る音楽は、最後かも知れなかった。漠然とした不安が、ただ聴くだけでは治まらず、尚さんに弓を取らせたのだ。
 私の目頭の熱さは再び甦った。「男子たるもの、簡単に涙を見せるものではない」と、泣き虫だった幼少の頃、祖父によく叱られたものだが、私は感情を抑えることが出来なかった。と言うよりも、涙が頬を伝っていることに気づかずにいたのだった。顎から手の上に落ちた温かい水滴に、泣いていることを自覚した。
 容子さんは最高のソプラノを響かせる。信乃さんの指は彼女の声の美しさを引き出そうと鍵盤を滑る。尚さんのヴァイオリンが彼女の声に寄り添う。
私の涙は、彼らの涙だ。明るい曲の中に封じられた、彼らの想いなのだ。
黄昏の教室で奏でられる音楽と光景を、私は生涯、忘れない。




 四人だけのささやかな壮行会を終えて、私達は家路についた。気持ちは重かったが、もう誰もそんな素振りを見せなかった。
 門が近づいた時、信乃さんは楽譜を忘れたと言って教室に取りに戻った。私とすれ違い様に右目を瞑って目配せするので、それが「後で僕達は外すから」に繋がっているのだと悟った。
「ちょっと腹の調子がおかしいみたい。便所に寄ってくる」
 尚さんと容子さんにそう言うと、私は信乃さんの後を追った。わざとらしかったかなとは思ったが、容子さんにわからなければ良いのだから、芝居の出来は関係ない。
 尚さんは容子さんに告白するのだろうかと想像すると、若い私の心は興奮した。尚さんには戦地が待っていて決して浪漫ちっくなばかりではない。それに容子さんの心は信乃さんに向いているのだとしたら、尚さんの気持ちに応えられるかどうか。彼にとって良い返事なのかどうなのか。
「尚之は言わないだろうね。ああ見えて、色事には奥手だから。でも容子に生きて戻れと言われるだけでも、励みになると思う。生き抜くと言う気持ちが大事なのだから」
 少し離れた物陰から様子を見守りながら、信乃さんが私の心を見透かすように言った。
 五分ほどして私達は尚さんと容子さんの元に戻った。二人の態度は変わらなかった。信乃さんが言った通り、尚さんは容子さんに告げなかったのか。辺りは陽が暮れてすっかり暗く、微細な表情が出ていたとしても見出すことは無理だったので、本当のところは知れない。ただ尚さんの顔が夜目にも晴れ晴れとしていたので、告げたにせよ、告げなかったにせよ、二人きりにしたことは正解だったのだと私は思った。




 昭和十八年(一九四三年)十月二十一日、明治神宮外苑競技場で学徒出陣の盛大な壮行会が賑々しく挙行された。
 雨が降っていた。国のために命を賭すことは名誉だと思われた時代、戦地に行く人間を涙で送ることは許されないが、雨は、子や兄弟や、友や教え子を送る人々の頬を濡らし、涙を隠してくれる。天は時に、粋な計らいをするものだ。
 私と容子さんは観客席から『海ゆかば』を斉唱した。競技場内で並ぶ数万の学生の中にいる尚さんに想いを馳せながら。
 しかし信乃さんは来なかった。

   
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