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 歌とピアノの合わせ練習は六月本番までの水曜日に三回、月島芸大のレッスン室で予定された。水曜日は敷島の出勤日であり、橋中も平日で都合がつけやすい。場所代が浮く上に、時間を気にしなくて済む。老舗の芸大と違い、「どこ、それ?」的な月島芸大卒で得をしたことはなかったが、敷島は同窓生としてやっと恩恵を受けることが出来た。
 六月の曲目は親しみ易さ重視で、誰もが知っている日本歌曲を二曲とイタリア歌曲一曲を選んだ。三曲とも橋中の柔らかな声質によく合っていた。オペラ向きの声質だと言われてきたようだが、ローズ・テールでの一曲を聴くかぎり、朗々と歌いあげるより切々と静かに感情を表現する方が向いている。橋中の性格と雰囲気が、余計にそう感じさせた。
 橋中は選曲にこだわらないが、歌うことに対しては真摯で彼なりのスタイルがあり、歌詞を伝えることやアーティキュレーションには気を遣った。
 メゾピアノ(mezzo piano=やや弱く)、ピアノ(piano=弱く)の微妙な使い分けが上手く、ブレスすらも音楽にしてしまう。とかく歌い上げて技量を誇示する歌い手のような華々しさはないが、言葉の意味がわからない外国語の歌詞であっても、心に響き感情に訴えかけた――なるほど、朗読やナレーションに向いているかも知れないと敷島は思った。
「今のところはもっと落とすべきかな」
 敷島にしてみれば、声を張り上げ、ディナーミク(dynamics=強弱法)をありきたりに表現してくれるタイプの方がやり易かった。そう言う歌い手は、歌唱が読みやすい。ソットヴォーチェ(sotto voce=小さな声で)やメッツァヴォーチェ(mezza voce=半分の声の大きさで)をデリケートに使い分ける橋中のようなタイプは、タッチの加減やペダリングが難しかった。
「いえ、敷島さんがよく弾いてくれるから、つい。ピアノと声とじゃ違うのに。あまり落とすと客席の一番後ろまで届かないかも」
「そうだな、サロン・コンサートなら今のでも良いけど。ええっと、ホールはTアートホールの大ホールだっけ。あそこは古いから音響面がちょっとね」
「わかりました。歌い方を少し見直します。もう一度、初めからいいですか? 歌の二小節前から」
 二度目の音合わせの日は様子を覗きに来る外野が多くて、敷島は辟易した。
 学部長を務める高垣教授は、橋中が付属高等部の頃から師事していた恩師である。彼の教え子の中で、最も有望だった橋中が自慢でならないらしく、発声や歌唱法等を見学させてもらえと、学生達にレッスン室番号を教えたのだ。ドアの小窓から中の様子を覗う彼らを、橋中は敷島に了解を取り、「少しだけ」と快く招き入れた。
 終わる時間を見計らって学部長室から使いが来る。高垣教授がお茶を用意して待っているとのことだった。もちろん敷島も一緒に呼ばれたのだが、あきらかについでである。
 


 
「教え子だからって、安易に頼みすぎる。それもボランティアに近いものばっか。君も少しぐらい断った方がいいぞ」
 帰りの車中で、敷島は助手席に座る橋中に言った。
 六月のコンサートも高垣教授からの依頼だったが、七月に構内で開かれるサロン・コンサートの話も持ちかけてきた。これは一般聴講生を募って毎年行われるワークショップの一環である。学生は人前での経験を積む目的から、またOBは恩師の柵(しがらみ)から出演させられるのだが、それゆえにギャラは些少であることを敷島は知っていた。
「高垣先生にはお世話になったし、一、二曲歌うくらい大したことないですよ。でもまた敷島さんにお願いすることになって、良かったんでしょうか?」


『伴奏は敷島君に頼めばいい』
 

 いつの間にやら同席していた立浪教授が透かさず言ったので、流れから敷島が伴奏を引き受けることに決まった。自分の立ち位置がだんだん先輩の加納と変わらなくなっていることに、敷島は危機感を否めない。着実に講師の件での恩返しをさせられている。
「それは構わないよ。何なら六月と同じプログラムにすれば良いし」
「先生は『魔王』が良いって」
 一般聴講生のためのワークショップには、本業も年齢も様々な人間が参加する。そこで興味を持ち、今後も聴講を続けたい場合は、九月から一般講座を受講出来るシステムだった。シューベルトの『魔王』ならポピュラーであるし、派手で聴き栄えもする。一般人の気を引くには違いない――が。
「はあ? ドイツ・リートじゃないか。うちのジジイ達ときたら、言いたい放題だな」
 イタリア留学から帰ったばかりの歌い手に、ドイツ歌曲を歌わせるとは。それに『魔王』は伴奏の技術が求められる。
「日本でやっていくかぎり、ドイツやフランスの歌曲も歌いこなせなきゃならないから、きっと先生もそれを思ってくださって仰っているんだと思います」
「謙虚だなぁ」
 物分りの良さと素直さと。こんな性質(たち)で、一種「俺が、俺が」が跋扈する世界でやっていけるのだろうかと、他人事ながら敷島は心配になった。
 七月の構内サロン・コンサートも受けるとなると、九月までの間、少なくとも月一、二回は月島芸大のレッスン室を使用することになる。その都度、学生達の来襲を受けるのでは堪らない。半分は純粋に声楽の見地からの見学だが、残り半分は橋中本人が目当てなのは明らかだった。うち数名は敷島目当てでもある。次回からは日程や使用するレッスン室はオフレコに――もちろん高垣教授にも――しなければと思った。
「メシ、食いに行こうか」
 どこか放っておけないところがあって、ついつい気にかけてしまう。付き合ってきた「彼女達」にも見せたことのない気遣いを橋中に対してしているのだが、敷島はまだ自覚していない。

   
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