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 橋中倫人(はしなか・みちと)は鷲尾が補足した通り、二期下の声楽専攻だった。
 付属ではなく国立の大学院に進んだのは、彼が尊敬するオペラ歌手が、客員教授としてその院に着任したからであった。在学中にいくつかの国内コンクールで受賞し、大学院修了後は某オペラ研修所に入所する。三年間の研修を経て、海外研修制度を利用しイタリアに留学。国際コンクールの入賞実績やオペラ舞台等の経験を引っさげて、この二月に帰国した。月芸大の創立記念日には、その報告もあって参加したのだった。
 華々しい経歴ではあるが、留学期間終了後、延長もせずに帰国したところを見ると、ヨーロッパでの演奏活動に限界を感じたのだろう――これらは彼を敷島に紹介した立浪教授からの情報と推測である。
 日本人もずいぶんと海外で活躍するようになったものの、大成するにはまだまだ壁は厚かった。特に声楽関係となると、楽器よりも難しい。新作や新解釈で上演されるオペラはともかく、人気の高い古典オペラなどはもともと西洋人をキャラクターにして作られているのだから、おのずと東洋人のキャスティングは制約される。モブ(群集)で終わる者がほとんどだった。それなら国際コンクールでの実績と、留学等の経験を肩書きに、生まれ育った日本に戻る方が、思い描いた演奏家の道を全う出来るだろう。橋中のように若く、ルックスも良ければ、クラシックに限定しない活動が出来ると言うものだ。
 橋中自身から聞いた帰国の理由も、概ね教授の推測と変わらなかった。
「それにホームシックもあったかな。海外は合わなくて、気力が続かなかったんです」
 話す機会は知り合って三ヶ月ほど経ってから訪れた。
 立浪教授が敷島に彼を引き合わせた理由は、九月に出演する演奏会の伴奏依頼だったが、六月に隣接する市主催の市民コンサートでも歌うことが決まって、そちらも頼めないかと言う話になった。これは三月に入って急きょ決まった出演で、数少ない知り合いのピアニストのスケジュールが調整出来なかったのだと言う。この理由は九月の伴奏依頼と共通していた。
 四月になっても演奏曲の連絡がないので、教えてもらったアドレスにメールを送ると、まだ決めかねていると返事が来た。解いていない荷物の中に楽譜類が入っているとのことだった。とりあえず大学の楽譜ライブラリで探すと言うので、付き合うことにする。
「すみません。わざわざ付き合って頂いて」
「どうせ講義の日だから手間にはならないよ。それに今日決まれば、そのまま俺もコピーもらえるし。俺の方はともかく、パンフレットの関係で催促とか来ないの?」
「写真とプロフィールを出さなきゃならないんだけど、適当な写真がないんです」
 帰国したのが二月の頭だと聞いている。のんびりしているのか、それとも粗忽なのか。しかし橋中の表情からは違う要素が感じられた。どことなく、集中力に欠けているようなものを。
 六月の市民コンサートは、恩師筋で頼まれたゲスト出演だと聞いている。地域の主催のため、橋中の他はママさんコーラスや中・高・大学生の合唱団など、アマチュア中心の無料の演奏会だった。軽視しているわけではないのだろうが、緊張の度合いは低いのかも知れない。
 本当は日本に戻りたくなかったのではないか。もっと活動出来る環境であったならヨーロッパに残りたいと思うのは、クラシックの世界の住人なら当たり前の感情だろう。
「もしかして、六月のコンサートは乗り気じゃないの?」
 敷島が尋ねると、橋中はキョトンとした目を向けた。思いがけないことを聞かれたと言う表情である。
「そう言う風に見えますか?」
「推測。素人の発表会みたいなものだし、同じような市民参加のフェスティバルでも、ヨーロッパとじゃ比べ物になんないくらい貧弱だろう?」
 敷島の率直な問いに彼は目を見開いて、首を左右に強く振り、
「そんな風に考えたこと、ありませんでした。でも…そう見えるのなら気をつけます」
申し訳なさそうに目線を落とした。
「あ、あ、違ったなら気にしないでくれ。俺が勝手に思っただけだし。知り合ったばっかで、人となりっての? それがわからないから」
 敷島は慌ててフォローした。
「多分、海外ボケが抜けていないのだと思います。東京って人も多いし、テンポについて行けなくて。おかしいですよね、離れていたのってたった三年なのに」
 洗練されてスマートさを感じさせる容姿の橋中だが、話してみると地味な性格をしていることがわかる。芸術が生業にしては珍しい。人前に立つ仕事だ、皆何かしら派手な、もしくは強い部分をもっているものなのに。
 声楽専攻の友人・鷲尾が言っていた通り、在学中は目立たない学生だったろう。人見知りな面もあるかも知れない。
 おとなしくて話し下手なのは気にならないが、丁寧語を使われるのは面映かった。敷島の方が年上でも二つしか変わらないし、専攻やサークルの先輩後輩でもない。才能と実力の点では、橋中の方がよほど勝っている。
 伴奏者として相手がどんな演奏者であろうと合わせる自信はあった。今までにも癖のあるタイプと組んだことはある。むしろ癖のない方が少ない。いつもはビジネスライクで対応し、ステージさえ無難にこなせればそれで良いと思う主義の敷島だが、同年代でもあるし、とりあえず気持ちよく共演したかった。客観的に見て、橋中は声楽家としてブレイクしてもおかしくないタイプだ。懇意にして損はない。
「今夜、何か予定ある? もし空いているなら、飯食いに行かないか?」
 打ち解けるにはやはり食い物関係が手っ取り早い。敷島が誘うと、橋中は「ぜひ」と笑った。ああ、やっぱりこの笑顔はいいな…と敷島は思った。

   
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