8月の焦燥



 
 ファストフード店を出ると、日は沈み、辺りは薄墨色になっていた。飲みに行きたいと言う七橋を、次の朝が早いからと振り切って三木は帰路についた。毎日のように研究室に行ってはいるがそれは午後からで、つまりは方便である。
 七橋に向けて放つ言葉が、自分にそっくり返ってくるのには辟易した。
 思春期の一過性である感情を、いつまでも引きずっている稀なケースの三人目は、実は三木自身だった。三木もまた一枝に対して言い知れぬ感情を抱いている。
 ただそれが恋愛感情だとはっきり自覚したのは、つい最近のこと。一枝が飯田に婚約者がいたとメールしてきた、あの瞬間だった。
 その文面を見た時、たとえようもない高揚感が三木を包み、自分の下でのたうつ女体が一枝にすり替わって見えた。柔らかに揺れる胸や甲高い嬌声が、目と耳の邪魔をして一度は脳を冷やしたが、OLの身体をひっくり返して後背から攻めると、途端に熱さが戻った。
 ウェーブのかかった長い髪は、触れたことのない一枝のそれを想像させる。一枝からのメールを受け取るまで取り組んでいる数式が頭を巡って、機械的な腰使いで高まりを待っていた三木の下半身は、『一枝の髪』を指に絡めた感触で一気に達した。
 卒業の時に七橋に待ったをかけたのは、万が一でも一枝が彼の想いに応えてしまうのを、無意識に嫌ったからだと今ならわかる。一枝が飯田に失恋したと七橋に言わなかったのも、一番に慰めるのは自分でなければと思ったからだ。優しく慰めて、三木の存在を知らしめたかった。
(いつの間に)
 一枝を恋愛の対象に見ていたのだろうかと、三木は首をひねる。これまで付き合ってきたのは当然異性ばかりであったし、遊びでセックスするにしてもそうだ。女に見えなくもないニューハーフや、華奢なタイプであればまだしも、一枝は一八〇センチ近い身長があり、骨格も筋肉の感じも、どこから見ても普通に『男』なのである。
 同じ町内に住み、小学校からの腐れ縁。中高一環の私立校には三木が最初に受験を決め、一枝はそれにならった。どちらかと言えば一枝が三木を慕い傾倒していた。
 それがいつの間に――三木は再度首をひねる。
(だいたい、七橋と同じ意味でハルを好きなのか?)
 果たして恋愛感情に類するものかと、一旦は自覚したにも関わらず確信が持てない。一枝に対する七橋の気持ちに都度邪魔を入れるのは、ただ単に親友を取られたくない子供じみた独占欲なのではと。
(そもそも、俺はゲイなのか?)
 異性とも関係出来るのだから正確にはバイだろうが、問題は同性ともセックス出来るのかと言うことである。しかしセックスしている相手の中に一枝の痴態を見て、あまつさえ極みに達したことは純然たる事実。
 三木は考えを巡らせながら歩いているうちに、乗る駅を通り過ごしていた。先ほどまでとは別の繁華な場所に足を踏み入れている。三木には見覚えのないところだった。普段飲みに行く辺りとは、番地が一つ二つずれている。
 Barやパブ、小粋な居酒屋が集まり、どこにでもある飲み屋街ではあるが、少し雰囲気が違っていた。歩いているのは男ばかり。手をつなぐ、もしくは互いに肩や腰に腕を回して歩く二人連れもしかりだ。彼らはただの友達同士には見えない親密ぶりで、薄暗い路地では抱擁、おそらくキスをしていると思しきシルエットが見えた。
「ここは」
 三木は番地を見直して思い出す。この界隈は数年前からゲイタウンとして台頭し始めたエリアだ。七橋が「国家試験に合格したら絶対行きたい場所」としてリストアップした中にあり、三木からすれば意外なところだったので記憶に残っていた。
 すれ違う男たちは意味深に笑みを寄越し、一人で歩く三木を誘っているように見えた。興味なさげに一瞥すると、相手は肩を竦めたり、さりげなく視線を外したりする。それらの視線が煩わしい。とっとと歩みを早め、この『街』から出た方が良さそうだった――が。
(どこか入るか)
 これはいい機会だとも思う。
(バイなのか、それともハルだけなのか、それすらも錯覚なのか)
 とは言え、どこでも良いと言うわけには行かないだろう。こっちの世界は初心者で、たちの悪い店に足を踏み入れたら、腕力に物を言わせて大暴れしてしまう可能性もある。
 周辺を三木は歩いた。そんなに大きなエリアではなく、治安は悪くなさそうである。表通りには洒落た店が多い。細い路地を覗くと、妖しげな雰囲気を醸す店もあったが、それはどこでも同じ光景だ。
 纏わりつく視線にも慣れた頃、一軒の店の前で足を止める。煉瓦調の黒いタイルを壁面にし、ヴィンテージメイドの木製の扉に青銅製の格子をはめ込んだ小窓をあけた店構えは、三木の好みのタイプだった。小窓は模様ガラスで中の様子はわからないが、受ける印象は悪くない。
「入んねぇの?」
 入ってみようかと思案していた時、不意に後ろから声をかけられた。振り返ると三木と年頃は同じくらいの若い男が立っていた。ネクタイを外した白いワイシャツの袖をまくり、腕に脱いだスーツの上着をかけている。サラリーマンにしてはスーツ姿が青臭く、もう一方の手に会社案内のようなA4の白い封筒を持っているので、就職活動中の学生とも考えられた。
「初めて入る店だから、どんなとこかなと思って」
「変なとこじゃないよ。マスターも面白いし。まあ、趣味に走ってるから、最初は敷居高いかもだけど、みんながみんな、レザー好きのハード系ってわけじゃないから。俺みたいなのもいるしな」
 彼はドアを引き開けようと手をかけたが、振り返り上目づかいに三木を見て、「どっかで会ったっけ?」と言った。
「どっかで会ったような気がする」
 自問するかのようにも聞こえる再度の呟きが、口説きの常套句に聞こえた。三木には一枝や七橋以外にも同性指向の知人がいる。出会いが少ないから、チャンスを逃がさないためにいつも臨戦態勢でいると聞いたことがあった。ここはそう言うエリアだから、男女間と同様のナンパなどが同性相手に行われても不思議ではない。
「口説いてんのか?」
「ちげぇよ。本当に会った気がするだけ」
 彼は苦笑して今度こそドアを引き開けた。三木もそれに続いて中に入る。
 ジャズの旋律が流れ出る。エアコンで冷えた空気が、暑さに蒸された身体には心地よい。モノトーンの店内は電球色の間接照明で薄暗かった。テーブル席にはキューブガラスのペンダントライトが下がり、スタンディング・テーブルにはキャンドルを模したやはりキューブガラスの卓上ライトが配されていた。どちらも明度を落とした暖かみのある色合いに調整されて、テーブルの中だけをほのかに照らしている。店構え同様、三木の好みに合っていた。
 客はそこそこ入っていたが、当然ながら男ばかり。レザー系ファッションが多めだ。三木は入るなり、自分に視線が集まるのを感じた。
「お、ハヤテ君、久しぶりだな。今日は連れがいるのか?」
 バーカウンターの中にいたバーテンダーが、先に入った男に声をかけた。男はハヤテと言う名前で、この店の常連のようである。
「表で会ったんだ。初めてで入り難そうだったから。ほら、ここ表から覗けないから」
「取って食やしないよ。ようこそ、『Erebos』へ。ゆっくり飲んで、良い夜を」
 バーテンダーはそう言って、別の客のオーダーに意識を移した。
「きゃ、もしかして『彼』? やっと紹介してくれる気になった?」
 今度はカウンター席の客が、筋骨隆々の男臭い見た目とは真逆の言葉遣いと仕草で、『ハヤテ』と呼ばれた男に話かける。これが女性ならおそらく艶っぽいと言える視線で、三木を流し見た。一瞬怯んだが、弱み的なことは見せたくない性格の三木は、その目を受け止める。
「だから店の入り口で一緒になったんだって。人の話、聞けよ」
「だって、あんまりイイ男だから、ハヤテの話なんて耳に入らなかった。背も高いし、目つきも悪いし、てっきり噂の彼かと思ったのに」
 筋骨隆々男がハヤテの傍らに立ち、しなだれかかるようにして肩に腕を回した。
「ここにはぜってー連れてこねぇし。つか目つき悪いって失礼だろうが」
 その腕を払いながら言ったところで、ハヤテは「あれ?」と三木を振り返る。それからジッと見つめた。
「違ってたらごめん。もしかして元遥明の三木…クン?」
 「クン」は付け足しに聞こえる。
「そうだけど」
「やっぱり。どっかで見覚えあったはずだ。俺も遥明出身なんだ。そんでタメ。つっても、俺のことは知らないと思うけど」
 ハヤテはそう言って笑った。
 彼の言う通り、タメ=同期だと言われても三木にはさっぱり見覚えがない。相手はどこにでもいる青少年、おそらく高校時代もごく普通の生徒だったろう。三木はと言えば高等部は言うに及ばす、中等部や大学にも名が轟いていた有名人だった。覚えられていても不思議ではない。
「世間、狭いなぁ。まさかこんなとこで会うなんて」
「確かにな」
 そう答えたものの、少々バツが悪い。この店の常連らしいところをみるとハヤテは同性愛者なのだろうし、彼も三木が同類だと思うだろう。しかし完全アウェーな場所で下手にコチラ側ではないと否定出来るはずがなく、また否定もし切れない。一枝に友達以上の感情を抱いている上に、女とセックスしながら彼を思い浮かべて吐精した時点で、性指向に関する三木のアイデンティティは揺らぎつつあった。
「立ち話もなんだから、こっちに来て座ったらぁ? 一人なんでしょう?」
 筋骨隆々男が先に止まり木に座って、空いている隣のイスの座面を「座れ」とばかりに手で軽く叩いている。
「同期だとわかったら積もる話もあるから、テーブル席に行く。俺はビール。何にする?」
「同じのでいい」
 ハヤテに導かれるまま、スタンディング・テーブルについた。
「強引にごめん。ユージの――あいつのことね、好みのタイプだから、関わったらうるさいかと思って。もし出会い求めて来てんなら、俺、適当に席外すからさ」
 ハヤテは三木に聞こえる程度の小声で言った。
「飲みに入っただけだから、助かる。そっちはいいのか?」
「俺もちょっと息抜きに来ただけ。面接続きで気分的にきつくてさ」
 スタッフが錫製のコップに入ったビールを二人の間に置く。去り際、三木は流し目を送られたような気がした。彼からのものだけではなく他からも視線を感じる。何気なく見ると誰かしらと目が合い、薄暗い店内ではあるが、相手の意味深な表情が想像出来た。
「でも変わったなぁ。最初見た時、わからなかった。髪も黒いし、眼鏡かけてっし。制服姿しか知らねぇから、私服だと印象も変わるしな」
 高校時代の三木は茶色に染めた長めの髪に軽くパーマをかけ、後ろに撫で付けたヘアスタイルだったが、今は黒い髪に戻し、小ざっぱりと短い。元々遠視の乱視で、大学に入ってから眼鏡をかけ始めた。昔の三木のイメージしか持たない人間は街ですれ違っても気付かないほど、見た目はすっかり変わっている。
「面接って?」
「一浪してるから今は大学四年で就活してんだ。そう言えばそっちは院に行ってるんだってな? 数学だっけ?」
 卒業して五年が経っている。同窓会やクラス会の類に出たことがない三木の現状を、どうしてハヤテが知っているのか。有名人だったのは高校までで、卒業後は目立たない一大学生に過ぎなかった。大学に入って間もなくはクラブ通いもしたが、専門課程になると忙しくなり間遠くなっている。
「なんで、それを知ってる?」
 外部に進学したため同じ高校出身者は少なく、消息はそれほど知られていないはずだ。
「一枝に聞いたんだ。一枝春視」
 思いがけない名前が出た。三木は「ハル?」と聞き返す。
「仲間うちじゃハルって呼ばれてんのか。そうそう、その一枝と教育実習で会ったんだ。あ、俺、細谷。ここでは下の名前で呼ばれてる」
 三木の片方の眉毛がピクリと痙攣する。
(こいつが?)
 一枝が教育実習で再会し、七橋が居酒屋で見かけ、そして三木のアイデンティティを脅かしている『ダチ』――三木はまじまじとハヤテ=細谷の頭の先から、それこそ爪先まで目だけで確認する。
(つか、『本物(ゲイ)』かよ)
 七橋が言っていたように、どこにでもいる普通の大学生だ。際立って整った顔立ちをしているわけではなく、ありふれた就職活動用のスーツを着ていてさえ光るセンスを持ち合わせているわけでもない。美大生としてそれなりの風貌をした一枝と並んで歩く姿を想像すると、三木は違和感を覚えた。
(お似合いって感じじゃない)
 が、「しかし」である。一枝が一途に慕っていた美術教師も、髭面で体格の良さで目を引くが、それ以外はどこにでもいるタイプだった。
 七橋の話では居酒屋で楽しそうに食事をしていたそうであるし。
(案外、こんな平凡ちっくなヤツが、ハルの好みなのか?)
 三木にはわからない魅力が、細谷や美術教師にあると言うことだろうか。
「なに? 俺の顔に何かついてるか? あ、もしかして、俺、タイプ?」
 さりげなく観察しているつもりが、真剣に見ていたらしい。ここへは出会いを求めて来る客もいるはずだ。自分もその一人と思われてもおかしくない。三木は「ありえねぇ」と即答した。
「ですよね。タイプって言われてもお誘いには乗れねぇけど」
「ここへはそれ目的で来たんじゃないのか?」
「そんな時もあったけど、今は本命がいるから、俺も飲みに来るだけ」
 細谷は照れを誤魔化すかのようにビールをあおり笑った。
 本命の名は言わないが、三木は知っている。細谷がゲイであるなら、想う相手は一枝だろう。毎日のようにメールを送るくらいだ。一枝を口説いている最中であるのに、ここへ遊び相手を探しに来ているのなら、ただでは済まさないと瞬時に三木は思ったが、どうやらそうではなさそうだ。嘘をついているようにも見えない。
「でもこんなところで会うとはなぁ。三木…クンもお仲間だなんてビックリだ」
「呼び捨てでいい。一応、カムアウトしてないから、黙っててくれるとありがたいけど?」
「わかった。俺も一般のダチには言ってないんだ。その…高校ん時のダチとかも三木のこと、知らねぇの? た、例えば一枝とか」
「知らねぇはず」
 細谷に合わせて会話を続ける。とりあえず『同類』だと思わせておく方が、何かと都合がよいだろう。細谷を知るには。
「本命がいるって言ってるけど、付き合ってんのか?」 
 細谷はちょうどビールを口にしたところで、三木の質問に吹き出しそうになった。それを無理やり飲み込んだせいか、盛大にむせる。
 顔を真っ赤にしながらひとしきり咳き込んだ後、「片想い」とどうにか答えが返った。名前を出さないのは、三木が一枝の友人だからだろう。
「三木は? 付き合ってるヤツとかいねぇの? もてるんだろう? ここでも、さっきから視線痛いんだけど」
 細谷は苦笑した。確かに三木も視線が絡みつくのを感じている。中でも一番の秋波はカウンター席にいるあの筋骨隆々男・ユージだ。目を合わせないよう視界の隅で覗いみると、こちらを見ている様子がアリアリとわかる。会話は聞こえていないだろうが、三木は「いねぇよ」と小声で答えた。
「…高校ん時の友達とはまだ連絡取り合ってんのか? ほら、三木たちってみんな仲良さそうだったから。一枝とか」
 探りを入れるつもりが、逆に探られているように三木は感じた。
「まあ、時々。一枝とはこの前会った」
 時々と言うほど頻繁ではないが、メールのやり取りはあるのだから、嘘ではない。ハヤテは「ふ〜ん」と相槌を打つと、スタッフを呼びとめビールのおかわりを頼んだ。
 そこから先は当たり障りのない会話が続く。同窓とは言え、高等部在学中は無接点で話題も乏しく、自然と今現在の共通の友達である一枝の話が混じるようになった。
 教育実習中、この二人がどう過ごしていたのか、どのように親しくなっていったのか気になっていた三木は、高校時代のエピソードを交えつつ、相手の調子に合わせた。
 話をするうち、一枝と細谷は仲の良い友人以上の関係に至っていないようだった。細谷はともかく、少なくとも一枝はそうだ。誘うのはいつも細谷の方からで、メールも一枝が急用だと思わないかぎり、すぐには返信が来ないらしい。
(なんだ、七橋の考えすぎかよ)
 と三木は思った。
 それでも誘われれば出向き、一枝がアトリエ代わりに使う鎌倉の祖父の家を細谷に教えている。一枝は彼と社交辞令的な付き合いをしていないと言うことだ。今はただの友達でも、この先はどうなるか。出会いを求めるこんな店に出入りはしているが、細谷自身は身持ちが硬そうな、恋愛に関しては真摯な性質に思えた。
 不思議なのは、三木が細谷を観察するように、彼もまた三木を気にしている節が見えることだった。探られていると感じるのは気のせいだろうか。
 腕時計を見ると、ここに入って小一時間が経っている。長居をすると性指向が曖昧だと知れてしまいかねない。同窓の同級とは言え、三木からすれば初対面であり、共通の思い出話はなく、この先、話が弾みそうもなかった。ある程度、細谷の人となりはわかったし、ボロが出ないうちに三木は帰ることにした。
「俺、そろそろ帰るよ。明日、大学行かなきゃなんねぇから」
「そっか、院生って大学と違って忙しそうだよな。一枝がいつも『大変そうだ』って言ってる」
「ハルが?」
「そう、もう妬けるく…」
 細谷は言いかけて口をつぐんだ。奇妙な沈黙が二人の間に出来たが、三木は気にせず会計をするためカウンターに向かう。
「あ、俺の分は出すよ」
 後からついてきた細谷が、慌てて財布を出そうとするのを制して、
「いい。大して飲んじゃいねぇしな。次の機会にでもおごってくれ」
 と、二人分の会計を済ませた。溜息混じりに「かっこいい」と呟く声がすぐ傍で聞こえた。声の主は例のユージだったが、聞こえない振りをして今度はドアに向かった。
 振り返るとカウンターに席を移した細谷が、三木に向かって軽く手を上げるのが見えた。三木は振り返し外に出た。
 
『そう、もう妬ける…』
 
 足早にその界隈からの離脱を計る三木の頭の中で、細谷の言葉がリピートされる。あの後に続くのは「くらい」だろうか。つまりは細谷が嫉妬するほど一枝が三木の話をしていると取れた。
(だから細谷は、俺を気にしてたのか?)
 柄にもなく高揚する。他人も自分も俯瞰して見る傾向にあり、感情を持て余すことなどない三木にしては珍しい。ゆえに戸惑って無意識に小走りになっている。
 車の行き交う音が多くなり、下げていた目線を上げると幹線道路に面した大きな通りまで出ていた。男女の比率が同じくらいの人通りとなり、見慣れた風景に三木の気持ちは一気に平常モードに戻る。そして店での細谷との会話を冷静に思い出し始めた。
 まず新しい友達の細谷颯は同性愛者であり、一枝への気持ちは恋愛感情だ。次に一枝は、性指向は同じだが、今のところ細谷を友達以上に見ていないと思われる。目の話もまだのようだ。しかし嫌ってはいない。このまま細谷が押し続けたら絆される可能性があった。
(何しろ、高校の時からしつこく想い続けた飯田に女がいても、それほどダメージ受けてないからな)
 落ち込んでいる暇がないほど、細谷のアプローチが頻繁だと言うことで、それが慰めの代わりになっているのだろう。一枝が飯田への片想いを話しているかどうか、ゲイだと知っているのかはわからないが、同類の嗅覚で細谷が嗅ぎ取っているとも考えられる。
 ただ、ここで三木の存在が浮上する。二人の会話に三木がしばしば登場し、ちょっとした危機感が細谷に生まれているのだと仮定すると。
(七橋をつついてる場合じゃない)
 三木はその結論に達した。
 今夜、細谷颯と偶然出会い、話をしたことで、自分の一枝への気持ちも確認した。これを何もしないまま、放っておいて良いものだろうか。
 
『そいつとおまえは同じスタートラインで、イコール、おまえにもまだ望みがあるってこった』
 
 七橋に向けた言葉が、あらためて自分に返ってきた。
 たとえどんな結果でも、この問題には必ず『答え』がある。それをわかっていて解かないのは三木の性分に合わなかった。
 解くべきか、解かざるべきか。
 三木はそう自問自答し、駅への道を急いだ。
 



2016.07.08  
 

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