来た当初はロング・ブレイズだったアンディの髪なんだけど、おじいちゃんに「臭う」って言われて三日目に解いたの。それでも髪を切るのは抵抗していたのね。彼、ニューヨークに戻ったらまたブレイズにするつもりだから。今はエクステンションに頼っているけど、自分の髪で腰まで伸ばしたいんですって。でも週末にお客さんが来るから、またもやおじいちゃんに言われて泣く泣く切ることに。
何だかんだ言っても、アンディっておじいちゃんに弱いのよね。小さい頃にパパを亡くしてるし、ママ自身も母子家庭だし、周りに血縁の男の人がいなかったせいかしら。おじいちゃんもたった一人の直系の男孫だから、どんなに図体がでかくてもデロ甘で、やれ誕生日だ、クリスマスだなんだってプレゼント攻勢をかけてくるくらいなのよ。でも身なりに関しては目を瞑れないみたいね。
お屋敷にはおじいちゃんの鶴の一声で駆けつける専属の散髪屋さんもいるんだけど、せめて流行の先端を行ってて、この国の若い子達に人気あるところで切らせてくれって頼んだってわけ。それで、街の美容院にイーニアスを運転手にして出かけることになったの。
外出なんて久しぶり。だって毎年お屋敷に来る目的って、伯爵家の恥ずかしくない跡取りになる勉強のためであって観光じゃないからね。もちろん、私もお供するわよ。
「なぜアレクサンダーも連れてくるんです?」
「犬が放し飼いにされてる屋敷に置いとくのは心配だからに決まってんだろ?」
「だからケージには蓋をすべきだと申し上げていますのに」
「檻みたいなとこに入れられっかよ。それに俺とアレックスは堅い男の友情で結ばれた仲なんだぜ、なぁ、アレックス」
そうよ、そうよ。ん? 男の友情じゃないわよ。アンディ、いい加減、気づいたらどうなの。
「アレクサンダーは雌ですよ」
イーニアスなんて、一回ひっくり返しただけでわかったのに。本当にカメが好きなのか疑っちゃうわ。
「え?! おまえ、雌なの?!」
「排泄孔が尻尾の付け根に近いところにあるでしょう?」
やだ、ひっくり返さないでよ。イーニアスといい、アンディといい、オトメ心がわからないの?! こんな昼日中に、それも外出中だってのに、デリカシーなさ過ぎ!
「なんだ、早く言ってくれなきゃだろ、アレックス。でもたとえおまえが雌でも、俺達の友情は変わらないぜ」
あたりまえじゃないの。アンディにとって私は一番のガールフレンドになるのよね。それなら、ずっと男扱いしていたことを許してあげる。
車は市街地を走っているわ。ここは国の中心地で役所とかも集まっているんですって。だから平日だけど賑やか。それでもマンハッタンとは比べ物にならないわね。
ニューヨークは何でもある刺激的な街だけど、でも私はこっちの方が好き。山に囲まれてるし、きれいな湖はあるし、空気が澄んでいるし。近代的でスタイリッシュじゃないけど、どの建物も古風でとっても可愛いの。何気なくシャッター切っても、絵葉書になりそうな風景ばかりで、国全体が世界遺産って感じ。さすがヨーロッパね。
車の中の二人は、ほとんど会話らしい会話はなし。あれから何日か経っているけど、これと言って進展はないわ。アンディは相変わらずイーニアスに反抗的で、イーニアスはと言えばやっぱり相変わらず慇懃無礼なの。言葉遣い矯正週間は続行中、今日も朝から熱いバトルが繰り広げられているわ。会話が少ないから車の中ではそれほどでもないけどね。でもお目当ての美容室が近づいて、車を止めるとイーニアスはしっかり釘をさしたわ。
「あなたは次期ソールズベリ伯爵だと言うことを、お忘れなきように」
乗っている車はミニチュアみたいなローバーミニだし、二人とも普段着のラフな格好だから、貴族だなんてわかりっこないのに、特にアンディは。他の人から見たら、きっとイーニアスの方が貴族のお坊ちゃんに見えるわね。車から降りた途端に視線が集まるのがわかったわ。アンディだって負けちゃいないのよ。彼が髪を切って美容院から出てきたら、女の子達がみんな立ち止まったもの。
アンディの髪は短くするとくりんくりんになっちゃう巻き毛系の天然パーマなのね。少し長めにした方が、髪の重みでナチュラルでルーズなウェーブになるの。だから絶対、耳より上には切らないのよ。そのことだけは今回も死守したみたいで、耳が隠れるミディアム・カット。多分、許容範囲だろうけど、おじいちゃんの理想とするヘアスタイルじゃあないわね。
今回、短くしない理由はもう一つあって、アンディの耳にはピアスの穴が幾つも開いているの。一頃なんかはルーズリーフみたいだったわ。こっちに来ている時は当たり障りの無い小さなピアス一個二個に抑えてる。アンディなりに気を遣っているのね。ルーズリーフ並みにピアスなんか付けたら、おじいちゃんやランプリングさんが卒倒しちゃう。
ヒスパニッシュのママの血が入っているから、アンディってどことなくエキゾチックな顔なんだけど、こうしてそれなりに髪を整えて、ブリティッシュ・トラッド系の服を着ると、「ああ、やっぱりお坊ちゃんなんだ」って頷けるわ。
アンディとイーニアスが並ぶと圧巻よ。女の子達の目が二人を追ってるのがわかる。彼らが戻ってくるのは、私が待つ車。ああ、いい気分。
「ただいま、いい子してたか?」
してたわよ。退屈だったけどね。
「今度のヘアスタイルはどうだ? 似合うか?」
ブレイズも良かったけど、今回のもなかなかよ。結局、どんなヘアスタイルでも似合うってことなのよね。
視線を感じると思ったら、イーニアスが呆れた風に見てるわ。ペットに聞くなんて…とかって思ってるのかしら。
「もう少し、すっきりなさった方が良かったのでは?」
そっちなのね。そうね、イーニアスの基準からしても長めだものね。
「やだね。耳が見えたら、ピアスが見える」
そうやって髪をかき上げる仕草がセクシーよ、アンディ。
「女性じゃあるまいし」
イーニアスは堅物で、ピアスなんかしなさそうだもの。ピアスする男の洒落っ気、わからないのよね。野暮だわ。
「このダイヤ、親父の形見なんだよ。これは外したくないからな」
うそつき。そのピアス、ここに来る前にソーホーの雑貨屋さんで買ったジルコニアじゃない。
「…それは、失礼しました」
イーニアスも信じちゃダメでしょ。そんな柄にもなく申し訳そうな顔して。担がれてんのよ? ちゃんと見せてもらいなさいよ。あんただったらあれがジルコニアだって、すぐにわかるはずよ。
「う・そ」
アンディ、イーニアスじゃなくたって、私だって呆れるわよ。二十一才ったらもう大人でしょうに。見た目もバッチリ決まってるってのに、中身はまるで子供ね。
「子供ですね」
「悪かったな、ガキで。頭に関しちゃ、誰かさんも人のこと言えねぇだろ? 耳も隠れてるし、襟足だって長いじゃねぇか」
そうね、イーニアスだって言えばボブ・カットってやつだわ。片方の耳に掛けたり、全体的に清潔感があるから気にならないけど、こうしてあらためて見るとアンディとあんまり変わらないわ。
「左耳の後ろに傷があるからです。見た人が不快になるでしょう? 隠す為にはこの長さが必要なんです」
「またまた、同じ手は食わねぇよ」
「ご覧になりますか?」
そう言えば、髪をかけるのって右側ばかりだわ。
「え?!」
「嘘ですよ。馬鹿なことを言ってないで行きましょう」
イーニアスの悪戯っぽい笑顔なんて初めて見たわ。なんだ、ジョークなのね。アンディと違ってそんなこと言うタイプに見えないから、真に迫ってたじゃないのよ。冗談も言うんだ、意外な一面見たって感じ。いつもは大人びて見えるけど、ああ言う風に笑うとアンディと同じ年なんだってこと、思い出すわね。
今日の予定は美容院ばかりじゃなくって、テーラーとシューズ・ブティックと紳士用品の店にも寄ることになっているの。週末のホーム・パーティーにアンディが着るスーツや靴、タイやチーフなんかを受け取りに行くんだけど、オーダーだったり一点物だったりなのよ。ブレイズ・ヘアとはやっぱりミスマッチよね――まあ、それはそれでおしゃれでカッコいいと思うけど。
それにしてもたかがホーム・パーティーで着けるにしちゃ高価なこと。全部合わせたらいくらになるのか、一般庶亀な私としてはつい考えちゃう。お貴族様となると違うわね。
全部の用事を済ませたら、小っちゃい車の後部座席は一杯になったわ。
「少しお待ちください。すぐ戻ります」
後は帰るだけってなった時、イーニアスは車を降りてしばらく帰って来なかった。しばらくって言っても十分もかかってなかったけど。
イーニアスったら、どこへ行ってたと思う? 彼が持って帰ってきたものを見て、もうびっくりよ。ニューヨークじゃ見慣れたロゴの紙袋。ぷーんと食欲をそそる良い匂い。このとってもアメリカナイズされた匂いは、バーガー&ポテト! この国にもこの店、あったんだ。さすがマック。イーニアスはその紙袋をアンディに手渡したの。アンディもさすがに驚いた顔してる。
「叫ぶくらい食べたかったのでしょう?」
「覚えてたのか」
アンディ、ちょっと嬉しそうじゃないの? ああ、でもほら、すぐに開けたりしたらイーニアスが。
「召し上がるのは帰ってからになさってください。はしたないですから」
思った通り、突っ込まれたじゃないの。
「帰った頃には冷めちまう。それにこう言うのは、あんなお屋敷で食ったって雰囲気出ねぇし」
「せめて、ここではおやめください。もう少し行ったところに公園がありますから」
公園に寄り道するの? イーニアスが折れるなんて珍しいこと。ずっとお屋敷に閉じ込められているアンディを気の毒に思ったのかしら。私も嬉しい。だって、お供したけど今日はまだ車から出してもらえてないんですもの。
小さい国だから、市街地からすぐに湖なの。そんなに大きくない湖だけど、遠くにアルプスも見えてすっごく景色がいいのよ。
公園の入り口に出てたカフェのワゴンでドリンク買って、やっと私も外に出してもらえたわ。迷子にならないようにしなきゃね、ここはお屋敷じゃないし、帰れなくなっちゃうもの。
湖畔の公園って素敵。何だかデートみたいじゃない? ハンバーガーは一人分なんだけど、ポテトは二人で分け合って食べてるの。イーニアスはお付き合い程度だけど。「ブレイズのアンディ」に高いオーダーメイド・スーツが似合わないように、イーニアスにはアメリカナイズされたものって似合わないわねぇ。
用事も済ませてあるし、公園にきているせいかしら、イーニアスの表情もいつもと違って柔らかく見えるわ。
言葉使いのレッスンも、一時休戦。学生らしく、お互いの専攻の話とか、大学の話とかしてる。そうなのよね、イーニアスも大学生だった。きっと優秀なんだろうなぁ。イーニアスって学生してる時もこんなにきれいな言葉で喋ってんのかしら。この国ってフランス語圏だから、フランス語じゃ若者言葉なのかな。
「普段もそんな言葉遣いしてんのかよ?」
やっぱりアンディだって気になるわよね。
「まさか。あなたの前だけですよ。正しい言葉遣いをマスターして頂くためです。言葉だけではなく、正しいマナーや態度であなたに接することが、祖父から与えられた僕の仕事です」
「今は屋敷でもねぇし、二人きりだぜ?」
「場所は関係ありません。同じ空間に存在するかぎり、あなたは次期ソールズベリ伯爵であり、私はその執事です」
「じゃあ、今も勤務中ってわけか」
「そうです」
せっかく良い雰囲気にだったのに、少々雲行きが怪しくなってきたわ。イーニアスの答えを聞いてアンディは黙っちゃうし、イーニアスは表情変えないで湖の方を見ているし。時間だけがどんどん経っていく感じ。
アンディはとっくにハンバーガーを食べ終わっているんだけど、いつものイーニアスなら「さっさと帰りますよ」って催促しそうなものなのに、何も言わないの。会話がないのって息が詰まると思うのに、二人とも気にしてないみたい。私が息苦しくなっちゃう。
「そろそ…」
イーニアスは「そろそろ」って言いかけたと思うのよね。それを遮るようにアンディが言ったことは。
「おまえさ、俺のこと、好きだろ?」
言うに事欠いてストレート過ぎやしませんか?! そりゃ私だって聞きたいけど。
ええっと、イーニアスはと言えば、ちょっと右眉が上がっている程度ね。「何を言ってんだ、こいつ」って表情に見えなくもないわ。
「好き嫌いを言っていては、お仕えすることは出来ません」
受け答えも冷静。でも私、思わず見ちゃったわ、イーニアスの耳たぶ。ほんのり赤くなり始めてる。
「さあ、そろそろ戻りましょう。ずい分と遅くなってしまいました。ティー・タイムには戻ると言って出ましたのに。あっ!」
イーニアスの、普段出さない驚いたような声。私もびっくり。だってアンディったら、右耳にかけた髪を下ろそうとするイーニアスの手を、いきなり掴むんですもの。ベンチが揺れて、私、落ちちゃったじゃないのよ。
「何をなさるんです?」
「びっくりしただろ? 取り澄ました顔してっから、脅かしてみた」
「馬鹿なことを。アレクサンダーがびっくりして、ひっくり返ってしまいましたよ」
私を抱き上げてくれる白い手はイーニアスね。ありがと。
ひどいわ、アンディ。ひっくり返ってたおかげで、今、二人がどんな顔をしていたか見えなかったわ。
「僕は車を回して来ます。あなたはその散らかしたものを片付けてからいらしてください」
私だけじゃなく、飲み食いした残骸もベンチから落ちたの。本当なら片づけを主人であるアンディにさせないはずのイーニアスなのに、さっさと行っちゃったわ。お仕置きのつもりなのよ。子供みたいな叱られ方されて、カッコ悪いわよ、アンディ。
「耳、赤かったな」
耳? イーニアスの?
イーニアスって耳が隠れるくらい髪が長いのよね。さっきだって、かけている方の髪を下ろしたら、耳が見えなくなるとこだった。もしかして、彼の手を掴んだのって耳をみるためだったの?
「あいつ、嘘ついたり誤魔化したりする時、耳たぶが赤くなるんだぜ。知ってたか、アレックス?」
確信してたわけじゃないけど、知ってたわよ。だってこの前、アンディのシャツにキスした時も赤かったもの。もっともあの時は顔も真っ赤だったけどね。でもアンディも気づいてたってわけかぁ。嬉しそうな顔しちゃって。何だかこの先の展開が、わくわくしない?
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