紳士は恋で作られる (2)





 ソールズベリ伯爵家って、今はヨーロッパ某公国の一貴族なんだけど、遡ればイギリス王家の血筋に当たるって言われているくらいに由緒正しい家柄なの。初代のソールズベリ伯爵は、実はエリザベス一世と愛人との間に出来た隠し子だって説もあるみたい。だから仕事でも何でも本国よりイギリスとの方と深い関わりがあるんですって。
 ソールズベリ伯爵家の当主は、普段は自分の領地にある本宅じゃなくって、事業の拠点であるロンドンの別宅に住んでいるの。本宅はもっぱら、伯爵家の公式行事でパーティーを開く時とか、大公主催の行事で戻った時に利用するくらいだから、別荘扱い。領地と屋敷の管理は執事が代行していて、だからソールズベリ家の執事って、そりゃあ優秀らしいの。
 ソールズベリ家の執事は「次代に見えず(まみえず)」って仕来りで、前の伯爵がよほど早死にしないかぎり、新しい領主には新しい執事がつくことになっているのね。後継者の次期伯爵が生まれるか決まるかすると、次期執事も選ばれる決まりになっているらしいわ。
 次期ソールズベリ伯爵であるアンディにも専属の次期執事がいて、
「お帰りなさいませ、アンドリュー様。今年はドレッドですか。こちらには、然るべき装いでお越しくださいと申し上げてあるはずですが?」
この嫌味な物言いの彼・イーニアス・ランプリングがそう。アンディと同じ年で、まだ大学生なの。現在の執事さんの孫なんですって。訂正しておくけど、アンディの髪型はブレイズで、ドレッドじゃないのよ。
 アンディが次期伯爵に決まるまで二人ほど後継者がいて、当然執事候補もいたわけよね。スライドしたっておかしくないのに、若いイーニアスが次期執事ってことになってるの。人間の事情って、カメの私にはわからないわ。
 でも思うに、親心ならぬ祖父心もあるんじゃないかな。
 何もかも別世界の国に放り込まれて伯爵教育を受けるんだもの。「デリケート」って言葉に縁遠いイマドキの男の子だって、ストレスにならないわけないわ。周りが大人だらけじゃ息も詰まるってもんじゃない? せめて執事くらい、話も合う同い年の男の子にって考えてくれたんでしょうけど、同い年だから気が合うかって言うと、そうとも限らないのよね。
 アンディとイーニアスって何から何まで正反対なんですもの。
 イーニアスって生粋の白人って感じで、軽くウェーブのかかったトウヘッド(プラチナブロンド)に真っ青な瞳、ちっとも日焼けしなさそうな肌の色なのね。服だっていつもきちんとしているし、なのに夏の昼間でも汗をかいているのを見たことがないわ。
 同じ英語を喋っているのにアンディとは大違い、ピアノのメロディのようにきれいなの。アンディのおじいちゃんが、
「イーニアスの英語は完璧なクイーンズだから、アンドリューも見習うといい」
って、二人を引き合わせた時に言ってたくらい。アンディにはニューヨーク訛りがあって、その上に口も悪いから、お世辞にもきれいとは言えないのよね。イーニアスは英語だけじゃなくって、フランス語もドイツ語も流暢なんですって。
 話す言葉だけじゃないのよ。作法も完璧なの。姿勢も正しいし、足音も最小限。お茶をいれる時の仕草なんて、カメの私が見てもほれぼれしちゃう。いったい、いつから執事の勉強をしているのかしらね。
 一方のアンディと言ったら、今年はブレイズだけど、去年は伸ばしっぱなしのセミロングだったし、初めてここに来た年なんてソフト・モヒカンよ。どれもすっごく似合っているし、ニューヨークじゃあまりのカッコ良さに誰もが振り返るくらいなんだけど、「何とか」様式のきれいなお庭やお城とはミスマッチ、普段着なのに一着何千ドルもしそうなブランド物のお上品な服なんて、似合いっこないっての。
 アンディを初めて紹介された時のここで働いている人達の顔ったら、みんなに見せたかったわ。冷静なイーニアスでさえ、片方の眉が上がったくらいだもの。
「今年はドレッドか。毎年楽しませてくれる坊ちゃんだな」
彼は厩舎担当のジョルジュ。三十がらみの渋い男なの。残念ながら五人の子持ちよ。
「さすがギルバート様のお子さんだ。洒落っ気があるわな」
庭師のヴァーノンさんね。ここに勤めて五十年だから、アンディのパパのことも小さい頃から知っているみたいなの。パパは人気者だったんですって。
「アメリカ人って、みんなハリウッド俳優に見えますね。ヨーロッパの男にはないワイルドさが素敵」
 彼女は最近入った新しいメイドのエセル。おあいにくね、アンディは女の子に興味ないんだから。
「私はイーニアスの方がいいわ。品があるし、あの青い瞳ったら、おとぎ話の王子様みたいじゃないの」
 フィリスはアンディ付のメイドの一人。彼女はイーニアス派らしいわね。アンディは万人受けなタイプじゃないけど、イーニアスは誰が見ても納得の正統派な美形だから、彼の方が人気は高いかも。
 でも、みんなアンディには悪い印象はないみたい。彼、人見知りしないタイプなの。ニューヨークのダウンタウンで生まれ育って、朝から晩まで働いているママの代わりに近所の人達に育てられたようなもんだから、人とコミュニケートするのは慣れてるのよ。それにヴァーノンさん曰く、人見知りとか物怖じしないところもパパ・ギルバートと似ているって。
 話が逸れちゃったわ。えっと、そうそう「同い年だからって気が合うとは限らない」ってことだったわよね。
 とにかく二人はお互いに合わないことを知っているの。アンディは一応、後継者ってことを承諾したんだけど、納得出来ないことに従おうって気はさらさらないし――そこんとこはまだまだお子様って気がするの、私――、イーニアスは伯爵家の伝統を守ろうとするしで――こっちはちょっと柔軟性が欲しいところね――、二人して相手に歩み寄ろうってしないのよね。
 イーニアスがずいぶんと年上だったら、アンディももう少し素直になったかも知れないし、それならイーニアスだってもっと大目に見てくれたかも知れないんだけど、なまじっか同じ年でしょう? 変に競争心があるのか、折れるってことがないの。アンディのおじいちゃんって、代々の伯爵の中でも名主だって言われていて、事業家としてもすごい人らしいんだけど、この件に関しちゃ、外れたみたいね。
「言葉遣いが何だってんだ。俺だって、TPOくらい弁えるっつーの」
「普段から正しい言葉を使わないと、いざと言う時に出てしまいます。先頃も旦那様に、同年のご友人にでも接するかのような物言いが端々に見受けられました」
「いいじゃん、俺のじいちゃんなんだから」
「『かまわないだろう、僕にとってはおじい様なのだから』。『僕』は『私』の方がより望ましいです。お身内であっても、ソールズベリ家のご当主なのですから、相応の敬意を払って頂かないと」
「…小姑みてぇにうるせぇヤツ」
「何か、仰いましたか?」
「何でもねぇよ」
「そうですか。『〜みてぇ』には『みたいに』あるいは『〜のように』、『うるせぇ』は『うるさい』、語尾の省略や不必要に伸ばすことが多いようですね。特にお気をつけください」
「聞こえてんじゃん! いちいちいちいちいちいちいちいち、独り言くらい、自由に言わせろ。息、詰まるだろ?!」
「『言わせろ』、『詰まるだろ』と、また語尾を省略していますよ。」
 アンディったら、苦虫噛み潰したみたいな顔をしてる。
 この夏の課題はどうやら、「正しい言葉遣い」みたい。イーニアスも容赦ないんだから。逆効果じゃない。「褒めて伸ばす」とかってこと、知らないのかしら。
「それにそのペットのカメですが、お部屋の方にカメ用ケージをご用意してあるのですから、そちらに入れてください。あたり構わずフンをして汚されたら困ります」 
 何ですって?! 失礼な! 私だってちゃんとTPOを弁えてるわよ。鉢植えの中とか、カーテンの陰とか。今までピカピカの廊下やホールの高そうな絨毯にしたことがあった?!
「アレックスは器用だから、あんなケージ、すぐに脱走すんだよ。こうして目の届くとこに置いとく方が見張れていいだろうが。なぁ、アレックス、おまえも一人だと寂しいよなぁ?」
 そうよ、あんなところに一日中閉じ込められて、退屈だったらありゃしないわ。私には歩ける足や手があるんですからね、ミズガメと一緒にしないで欲しいわね。それに女は好奇心旺盛なのよ。
「ともかく、言葉遣いはお気をつけください。来週末には旦那様がお客様をお招きになります。恥をかきますよ」
「恥くらい、かき慣れてるさ」
「あなたが恥をかかれるのは自業自得です。でもそれは旦那様の恥にもなる。あなたを次期伯爵にと強く押されたのは旦那様ですから、そこのところをご承知おきくださいと、いつも申し上げているはずですが」
 二人とも恐い顔でにらみ合ってる。イーニアスも最初の頃に比べてずい分表情を出すようになったわ。
 私ね、イーニアスって実はとっても情熱的なんじゃないかと思うのよね。それでなくてもあんなに自制心が強いんですもの、ストレスは溜まっているんじゃないかしら。
「失礼いたします。イーニアス、ランプリングさんからの伝言ですよ」
 メイド頭のマリアンヌさんが入ってこなきゃ、この微妙な雰囲気がいつまで続いたか知れやしない。もっとも、アンディの方が耐えられなくなって、あと一分で部屋を出て行っちゃったろうけどね。
 イーニアスが受け取ったのは、彼のおじいちゃんで執事のランプリングさんからのメモ。
「祖父が今から出かけるそうです。夕食までに戻れないから、」
「じゃあ、今夜のマナー教室は中止だなっ?!」
「…ディナーの飲み物をあなたに選んで頂くようにと。祖父が不在でも僕がいるのですから、ディナーのレッスンはいつも通りですよ」
 ここでのアンディの生活は、全てが「レッスン」なのね。だから食事の時間も、マナーの練習みたいなもんなのよ。来週末にホーム・パーティーを開くことになってるから、ディナーの時のはそりゃキビシイの。
 孫のイーニアスと違って、ランプリングさんはアンディに結構甘いんだけど、ディナーばかりは鬼教官。この前、ヴィヤンド(肉料理)で骨付き仔羊のコンフィとかってのが出て、アンディはフォークやナイフを使う骨付き肉の料理なんて食べたことないから下手くそでね、美しく食べられるまで五皿も食べさせられていたわ。そうなの、ちゃんと食べられるまで何皿も出てくるの。「身体で覚えろ」ってことね。初めて食べるようなものばっかだから、大変よ、アンディも。
「ディナーのメニューと飲み物のリストをティブレイクの際にお持ちします。それでは、僕は祖父に呼ばれていますので失礼します」
 イーニアス、ちょっと機嫌が直ったみたい。意地悪な笑顔にも見えなくもないけど。アンディは相変わらず、口をへの字にしてむくれた顔してる。
「またフレンチかよ。ハンバーガー、食いてぇ!」
声が大きいわよ、アンディ。ほら、やっぱり。
「『ハンバーガーが食べたい』。大きな声で食べ物の名前を叫ぶなど、はしたないですよ」
 イーニアスに聞こえちゃったじゃないの。イーニアスも、戻ってまで訂正するなんて大概ね。意地になっているんじゃないかしら。
 一時が万事こんな調子だから、二人が歩み寄ったりする時はくるのかって感じ。
「くっそ、取り澄ました顔しやがって。あいつをギャフンと言わせる手はないのか」
 今のところ、ないんじゃない? 少なくともここはイーニアスのテリトリーですもの、アンディには分が悪すぎるわ。
「ちゃんと出来ても、『まあまあですね』みたいな顔しやがって。褒めて伸ばすって気はないのか、なあ、アレックス」
 私と同じこと考えてるのね。アンディは褒められて伸びるタイプ。乗馬だって、ジョルジュさんが褒め上手だから、今じゃスタント出来るまで上達しているの。まあ、ジョルジュさんも馬の背中に立って乗って欲しいとまでは思ってなかったでしょうけど、それでも「すごい」って言ってくれたもの。イーニアスは「ここはサーカスではありません」って一言だったっけ。
「あれはダメ、これはダメ…じゃ、ヤル気も失せる」
 うん、うん、わかるわ、アンディ。言い方がむかつくのよね。
「お、アレックス、頷いてくれてんのか? 俺の気持ち、わかってくれてるんだな。お前が人間だったら、惚れちゃうかも」
 そりゃ無理って言うものよ。だって私、人間だったら女の子だもの、恋愛対象外なのよね。付き合いも三年になるんだから、いい加減、気づいてくれてもいいのに。
 やれば何でも出来る子なんだから、あんたも本気になってみたらどう? SAT(大学進学適性テスト)だって、大学に行くって決めてからの猛勉強で乗り切ったって聞いてるわよ。
 言葉遣いも、わざとスラングなんか使ってみせて。おじいちゃんと二人きりの時は、タメ語だけどちゃんときれいな発音してるじゃない。なのにイーニアスには意地張っちゃって。
「ちったぁ笑って見せたらどうなんだ。良くても悪くてもポーカーフェイスだから、崩したくなるだろ」
 え? もしかしてわざとやってる? 反応を見てるの? えええ? アンディ、どう言う事よ?
「馬でも乗ってこよ」
 ちょっと待ってよ、詳しく聞かせて、アンディったら。



                           


    back(1)      top      next(3)