Scorrendo  (Y31/R31)




 第一印象ははっきり言って最悪だ。
 サクヤ・ナカハラの双子の弟だと言うので、過度に期待していた面はある。ユアンの感性で喩えるなら、サクヤは森の奥で静かに湧き出でる泉。透き通った冷たさで俗世に左右されずに孤高を保つ。容姿の美しさはもとより、誰にも阿らない神秘的な内面美と、彼の奏でるヴァイオリンの音色に、ユアンは長年魅せられてきた。彼に何度も想いをぶつけ、音楽と生涯のパートナーにと願ったが受け入れてはもらえず、日本人のピアノ調律師にさらわれてしまった。
 はっきりと振られて三年経つが、今でもサクヤを見ると愛おしいし、パートナーのエツシと並ぶ姿に心の奥がチリと痛んだ。
(いつまでも手に入らないものを追ってどうする)
 と自分に言い聞かせつつ情事に勤しむ日々をおくるものの、長続きする相手とはなかなかめぐり合えないでいた。
 そんな折、演奏ツアーでアメリカに来ていたサクヤが、エツシと一緒に弟に会いに行くと言う話を聞く。彼に兄弟がいることは聞いていたが、双子であることは初耳だった。
「サクヤとそっくりな人間がいるってことかい?!」
 ユアンの心は色めきたった。
「二卵性だから、そっくりじゃない」
 全身に期待感を漲らせるユアンに、サクヤは訂正を入れた。
「でも兄弟なら、少しは似ているだろう?」
「似ていると言われたことはないけど」
 それでも兄弟なのだ。どこかしらに面影はあるだろう。同質の神秘的な雰囲気を持ち合わせているのではないか? 
 少しでもサクヤに似ているところがあれば、また恋愛が出来るかも知れない――否が応にもユアンの期待は膨らみ、弟が医師になるべく研修していると言うマンハッタンの病院に同行した。
 甘い期待は一瞬にして掻き消えた。
「こいつ、誰? なるほど、『黄金のグリフィン』か。サクヤのストーカーの」
 会っていきなり挨拶もなく、ユアンをストーカー呼ばわりしたのである。
 首まで赤くして「失礼なヤツだな」と怒ったユアンを気にもせずツンと横を向いたかと思うと、笑顔で表情を緩め傍らに立つサクヤと話し始めた。ユアンはほぼ無視の状態である。サクヤの冷たさとは種類が違った。
 そして彼、リクヤ・ナカハラは、サクヤに似たところがほとんどない。身長が6フィート(約183センチ)はあり、バランスのとれた良い体型をしているが華奢ではなかった。アメリカ人の目から見ても彼の兄同様に端正な顔立ちはしている。しかし性を超越した美しさを持つ――あくまでもユアン視点――サクヤとは違い、リクヤは「ただの」ハンサムにしか見えず、雑踏に入れば紛れてしまい、ユアンが期待した神秘性からは程遠かった。サクヤが言った「似ていると言われたことがない」は、そのままの意味だったのだ。
(とんだ期待外れだったな)
 勝手に期待した自分のことは棚上げにして、ユアンは落胆した。やはりサクヤはサクヤであり、誰も代わりにはなれないのだ。あらためて逃がした魚の大きさを実感し、残念な気持ちが蘇える。
 勤務中のリクヤの空き時間を待つ間に、サクヤとエツシの仲の良さを目の当たりにして尚更気持ちが滅入った。
 ユアンはサクヤの素直な笑顔を初めて見た。それはそれで新たな魅力を感じさせたが、知らない彼になってしまったようで寂しくなる。
 スモーカーであるエツシが一服しに外へ出ると言うので、サクヤもそれに従った。
「僕は喉が渇いたからドリンクを買ってから行くよ。サクヤも何か飲む?」
 そう尋ねると、サクヤはエツシに「エツは?」とユアンの知らない言語で言った。エツシが返した一言二言も同じ言語だったが、首を振ったので「いらない」と答えたのだとわかる。
「コーヒーを頼んでも?」
「自動販売機のだけど、いいかい? では持って行くよ」
 ユアンはドリンクの自動販売機を求め、そして二人は患者搬入口の横にあるスタッフ専用の出入り口へと分かれた。二、三歩、歩いて振り返る。緊急車両専用の車寄せを通って敷地端まで仲良く並んで歩く後姿が、すぐに視界に入った。恋人同士でありながら、二人の間には拳二つの微妙な距離が空いている。人目が無ければ、エツシはサクヤの肩を抱くのだろうか。
(僕なら人目があっても平気なのに)
 と、サクヤの手がエツシの上着の裾を掴む。それに気づいたエツシは、掛けるか掛けないかくらいの軽さでサクヤの腰に手を回し、さり気なく距離を縮めた。サクヤは幾分顔を上げた。その口元には笑みがあり、またもやユアンが今まで見たこともない表情でエツシを見る。紛れもなく、恋をしている目で。
 結局、どんな稀有な人間も恋をすれば、そこら辺のティーンエイジャーと同じなのか。今までにもサクヤがつき合っていた相手を見たことがある。その誰もが彼に夢中だったが、サクヤはいつも無表情に愛を受けるばかりだった。そこに恋情はあるのかと思うくらいに。それがまた魅力だったのだが、今はと言えばエツシに対する想いを全身に滲ませている。本当にサクヤがサクヤでなくなってしまったのだ。ますます寂しくなった。
 ユアンは二人から目を逸らし、その場を離れた。






 病院内の自動販売機は、例によって故障中だった。「例によって」と言うのは、ユアンが出合う自動販売機がたいてい故障中の札がかかっているか、支払っても出てこないことが多いからである。それで仕方なく外の屋台まで足を運び、サクヤのためのコーヒーと、自分用にダイエットコーラを買った。
 院内に戻ると待合室から外来患者が溢れていた。どこの公立の総合病院も、救急外来は常に満杯状態だと聞くが、ここマンハッタンは特別多いのではとユアンは思う。訪れてからさほど患者数は減っていない。どころか、増えているくらいだ。三人はリクヤ・ナカハラの空き時間を待っているのだが、これではあとどのくらい待たされることか。つまりはユアンはその間、あの仲睦まじい二人の姿を見せつけられるわけだ。
(来なければ良かったな)
 デートを邪魔したかったのとサクヤの弟見たさに、自分から無理やりついて来た事情など、ユアンはすっかり忘れていた。
 サクヤたちが出た搬入口でリクヤの姿を見つけた。やっと時間が空いて兄の元へ行くのかと思いきや、大きな観音開きの扉の脇に立ったまま動かない。彼の目は扉の嵌め殺しの窓から外へと向けられていた。ユアンが近くの窓からリクヤの視線の先を辿ると、互いに笑顔を見せ合いながら会話をしているサクヤとエツシの姿が見えた。
 二人の実に楽しそうな様子に遠慮しているのか。しかしその横顔は無表情で無感情、もしくは「冷ややかな」と表現するに相応しい。時折後者の表情で二人を見ている自覚があるユアンは、妙な親近感を持った。
「まったくムカつくね。何なんだ、あのイチャイチャぶりは。あんな風に笑うのなんて、サクヤじゃない」
 だから彼の背後に立つと、ごく自然と言葉が出た。同時にリクヤが振り向く。ユアンだとわかると、視線を再び窓の外に戻した。似ても似つかない双子だが、こう言う関心のない他人を置き去りにするような雰囲気は似ている。サクヤであれば、こちらから続けなければ会話はそこで終わるので、リクヤに対しても期待していなかったのだが、「じゃあ、どんなのがサクヤだって言うんだ?」と応えが返ってきたので、ユアンは一歩前に出しかけた足を止めた。
「笑わないところがいいんじゃないか、クールでミステリアスだ。そして彼の音楽が、彼を雄弁に語る」
「ふん」
「何がおかしい?」
 ユアンのサクヤ評は概ね、彼を知る人間のそれと同じはずだった。笑わない点は言わば欠点であるが、それが魅力の一つだと誰もが認識している。何よりサクヤの奏で作り上げる音楽は周囲を沈黙させるほど素晴らしく、そのアピール力は言葉で自己を語るより長けていた。それこそ演奏家にとって最大の賛美なのである。鼻で笑われて、ユアンはムッとした。
「笑わないんじゃない、笑い方が下手なんだ。クールでミステリアスに見えるだけで、普通の人間さ。おまえ、十七からのつきあいなんだろう? 何にもわかっちゃいないんだな? おめでたいヤツだ」
 そして「おめでたいヤツ」と言われては、ユアンの中でリクヤの第一印象の悪さが更に上書きされる。
(なんだ、こいつ、なんだ、こいつ、なんなんだ)
 それしか浮かんでこないのは、こんな扱いが初めてだからだろう。ユアンはいつも気の合う友人か、心酔者=ファンか、末っ子の彼を甘やかし放題の親兄弟に囲まれてきた。合わない人間もいたが、それでも初対面でここまで不遜な態度を取られた記憶はない。腸が煮えくり返った相手はいる。サクヤの心を奪って行ったエツシに対してだが、それはユアン自身による嫉妬と言う感情ゆえだった。
 何か言い返したい、しかし腹立たしさにすぐには言葉が出てこない。
 リクヤがスタッフに呼びかけられた。先輩医師と思しきスタッフは、二言三言彼に指示を与えて足早に去る。他のスタッフもバタバタとし始めたので、何かあったのだとわかる。
 リクヤは目の前の搬入口の扉を押し開けようとして、一旦手を止めた。
「八つ当たりだ、悪かったな」
 リクヤは振り返らずにだが、確かに謝罪した。今度はどんな嫌味を言われるのかと身構えたユアンは、「リク?」と拍子抜けした声で聞き返す。リクヤは首だけで振り返り、ユアンを見た。
「その呼び方はするな。そう呼んでいいのは、サクヤだけだ」
 そう言うと、今度こそ扉を押し開け、外に出て行った。彼は兄の元には行かず、後に出て行った数人と合流し、緊急車両の車寄せに立つ。おそらく救急車を待つのだろう。
 数メートル離れたところにいるサクヤは、出て来た病院スタッフの中に弟の姿を見つけた。リクヤもサクヤが自分に視線を寄越すのに気付いて、軽く手を上げ応えている。
 ユアンはサクヤとリクヤを見比べた。サクヤはリクヤが自分のアイコンタクトに応えたのを見るや、またエツシに目を戻す。もう目の前の恋人以外は意識下にない。リクヤも他のスタッフと何やら会話を始めたが、時折、兄の方を見る。先ほどと同じ無表情とも冷ややかとも取れる表情で。再会した際のやり取りから兄の性指向は知っている様子だった。それでも実際に恋人といる姿を目の当たりにすると、やはり胸中は複雑なのかと思った。しかしどうも違う気もする。ユアンには彼のその表情がとても印象的で、目が離せなかった。
 遠くで救急車のサイレンが聴こえる。間もなく、この病院に到着しそうだ。救急車が入ってくる前にと、ユアンも搬入口から出てサクヤたちの元へと向かった。



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