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ハルとAI(第五話 Placebo)   





「38度、高熱に値する」
 『久島』は体温計の数字を見る。
 AIには基本的に表情はないが、このAI?Basic2061XYZ??通称『久島』は時々、思っていることが顔に出ているように感じる。今も発熱を確認した前後では、微妙に違って見えた。「言うことを聞かないからだ」とでも言いたげに。でもそれは、俺自身に思い当たる節があるからで、実際、彼がそう思っているかどうかわからない。
「言うことを聞かなかったからだ」
 抑揚のない調子で、表情から読み取った通りのことを『久島』は言葉にした。
 前日の朝、喉が痛かった。消炎剤と痛み止めを飲んだらすぐに症状が消えたので、そのまま仕事に行った。帰宅するとくしゃみが出て、夕食を済ませたら鼻が詰まった。『久島』は夜間診療を勧めたが、他に症状がなかったし、一晩寝れば治るレベルに思えたので、少し早目にベッドに入った。
 で、朝には、この有様。関節が痛んで、身体が重い。いつもの時間に起きない俺を見に来た『久島』には、一目で判断がついたようで、熱を測られたと言うわけだ。
「…体力には自信があったのに」
「自信は過信とも言う。往診を頼もう」
「大げさだよ」
「昨日は私の言うことを聞かなかった。今度は聞いてもらう」
 彼はそう言うと、部屋を出て行った。昨夜と違って有無を言わせない風だ。オリジナルの久島も、自分が正しいと思うことは曲げない性質(たち)だった。そしてたいていの場合、彼が正しかった。
 往診のドクターはすぐに来て、典型的な風邪の症状だと診断された。
 注射で身体は楽になり、これなら午後から仕事に出られると思っていたら、秘書のAI・ホロンが三日後までの仕事をさっさとキャンセルしてしまった。ドクターが言った「疲労も溜まっている」を、『久島』が聞いていたのだろう。指示したのは彼に違いない。
「たかが風邪だぞ」
と言う俺の言葉など、AI達には簡単に無視された。
 仕方なくベッドで過ごすことにした俺を見て、『久島』は寝室を出て行った。
「これを」
 暫くしてから戻ってきた『久島』は、トレーに乗せたマグカップを差し出した。湯気が昇るそれは、微かにアルコールの匂いがする。
「玉子酒か」
 黄色い液体は玉子酒だった。
「風邪にはこれがいいそうだ。アルコール成分が身体を温めて、よく眠れる。卵白に含まれるリゾチームには抗菌作用があるし、民間療法だが、悪いものではないと思われる」
    
『風邪には玉子酒がいいぞ。身体が温まってよく眠れるし、抗菌作用もあるんだ。嫌いじゃないなら生姜の汁を入れると、うまいよ』
    
 俺の家には風邪の時に玉子酒を飲む習慣はなかった。大人になるまで、そんなものがあることも知らなかった。教えてくれたのは久島だ。風邪を引いても薬を飲んで海に入る俺に、その度に「せめて、これを飲んで早く寝ろ」と作ってくれた。
「生姜の匂いがする」
「嫌いだったか? レシピには生姜の絞り汁を入れると更に身体が温まるし、美味だとあった」
「嫌いじゃないよ。すごく…懐かしいな」
 俺がそう答えると、『久島』は満足そうだった??そう見えた。
 『久島』はだんだんと久島に似てくる。ちょっとした仕草や、時折見せる感情らしきもの。ただ単にマスターである人間が風邪を引いたから、AIとして行動しただけかも知れないが、サプリメントではなく玉子酒を選ぶところが、何とも人間くさい。
「ありがとう」
 『久島』が笑ったところはまだ見たことはない。きっとそっくりに笑うんだろう。
 久島の笑顔をもう一度みたいと思う反面、『久島』の笑顔を見るのは恐かった。
 
  

 注射と玉子酒のせいか、すぐに眠気がきた。目が覚めると驚くほど身体は軽くなり、風邪の症状もほとんど消えている。時計を見ると午後四時を過ぎていた。六時間以上眠っていたのか。身体を起すと腹が鳴った。昨日の夜に食べたきりだ。
 リビングでは、『久島』がシュレディンガーのブラッシングをしていた。最近加わった、彼の日課の一つだ。させれば何でもこなすに違いないAIだが、ここではすることがない。俺の仕事に関する事務的なことはホロンがやっているし、掃除や洗濯は専用のロボットや機械が、スイッチ一つで片付けた。食事は実質一人分でいいから自分で出来る。そんなわけで『久島』の仕事は、紅茶や日本茶を淹れること、観葉植物の水やり、シュレディンガー=猫のブラッシングくらいだった。
「目が覚めたのか?」
 俺の姿を見て、『久島』のブラッシングする手が止まった。シュレディンガーは「しめた」とばかりに『久島』の膝を蹴って離れた。俺の足元に体を擦りつけ見上げると、「ニャー」と一鳴きして開いたドアからリビングを出て行った。彼なりに抗議しているのだろう。『久島』は毎日ほぼ同じ時間に、猫のブラッシングをした。シュレディンガーの都合などおかまいなし。もちろんシュレディンガーだっておとなしくその時間に姿を見せるはずはないのだが、『久島』は日々、彼の行動パターンや逃走経路のデータを取り、分析していた。それによってその日の居所を割り出すのだ。シュレディンガーに勝ち目はない。
「腹に何か入れるよ」
 俺がキッチンに入ろうとすると、『久島』は制止した。
「病身の空腹には白粥が良いと言っていた」
 そう言うと彼がキッチンに入り、フリーザーのドアを開ける。取り出した器を電子レンジに入れた。
「君が作ったのか?」
「ソータが作ってくれた」
 蒼井ソータが俺の病欠を知って様子を見に来てくれたらしい。不在がちの海洋学者の母を持つ彼は、家事全般に長けている。白粥のトッピングとして、色々なものを用意してくれていた。『久島』はそれらをダイニング・テーブルではなく、リビング・テーブルの上に几帳面に並べた。
「具合はどうだ?」
「ずい分楽になったよ。これなら明日の仕事も大丈夫だったのに」
「過信は油断に通じる。油断は事故を招く」
 いつこんな言葉を覚えるんだろう? 
 自律学習型AIはどんどん知識を吸収し、学習していくことでボキャブラリーは豊富になって行くのだと聞いていた。人間と会話すればするほど、言葉の使い方のヴァリエーションが増えていくので、なるべく人と接して、話をさせることが望ましいと引き渡される時に言われた。でもここでは、基本的に人間は俺しかいない。来客もよほどのことがない限りオフィス止まりだし、世間の反応を考えて、外出を制限している『久島』が、言葉を学習する機会は格段に少ないはずなのに、口数はともかく、言葉を的確に使う。
「何か私の顔についているのか?」
 『久島』は自分の顔を触った。俺はしばらく彼を見ていたらしい。
「いや、何でもないよ。そうだな、ここのところ忙しかったから、久しぶりに完全オフもいいかも知れない」
 俺がそう言うと、『久島』は頷いた。それから「ほうじ茶を淹れる」と言ってキッチンに戻る。
「『久島』」
 俺が呼ぶと彼は振り返った。
「また…、玉子酒を作ってくれないか?」
 彼の瞳はガラス玉のようだ。何の感情も見られない。
 久島の瞳は生き生きしていた。信念があって、正直で、クールな印象だったけど、人情に厚かった。
 久島じゃない。久島はいない。なのに、気が付くと『久島』の中に彼を探している。それでいて少しでも彼に似ているところを見つけたなら、嬉しいと思うより、「彼ではない」と否定したがる自分がいる。
「わかった。甘味はあれで良かったのだろうか? 足りなければ砂糖の分量を増やすが」
「いや、ちょうど良かった。美味かったよ」
「そうか」
 何の感情も見られない『久島』の瞳は、何も知らない子供の瞳にも似ている。一つずつ、喜怒哀楽を学習しているかのように、時々揺れる。今も俺の言った一言に、嬉しげに反応したように見えた。
 その微かな表情の動きを見ると、やっぱり愛おしかった――そしてやっぱり、笑顔を見たいと思うのだ。
 



Placebo(プラセボ)=偽薬
薬と色や形は似ているが、有効成分は含まない(Placeboはラテン語で『私を喜ばせる』の意味がある)


 
 


                                         
2008年作


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