[ Side-1 ] サイラスの事情



 
 時間航法実習最終日、早めの昼食を終えた後、サイラス・リンドバーグはゾーイ・バークレーの研究室に呼び出された。まず今回の仮論文の現時点での評価を聞かされる。それから続いた彼女の話に、サイラスは間髪入れずに聞き返した。
「え、俺に次回もここに来いって言うんですか?」
 ゾーイは頷いた。
 水晶末期の『コーラルアーシェの決裂』はなかなか面白かった。しかし、続けてこの時代を訪れたいかと言うと、そうでもない。他にも面白い時代はあるだろうし、もう一度、ここに来るために『評価』と戦い続ける気力もなかった。
 そんなサイラスの気持ちなど読んでか読まずか、ゾーイは手元の学生評価に目をやる。
「あなたの評価はAプラス。本論文の評価も、もう少し整理すれば2も堅いでしょう。不可能ではないはずよ?」
「俺は今のまま、手直し無しで出すつもりなんですけど」
 帰ったら学年末の長期休暇がすぐ目前だった。本論文を適当に済ませれば、休暇をまるまる使える。しかし彼女の言う通り次回の実習にここを選ぶためには、仮論文のAプラスを本論文でAプラス2に引き上げなければならない。そうなると楽しい休暇がパアになることはわかりきっていた。休暇ばかりじゃなく次回までの三年間、レポートに追われ続けるのだ。冗談じゃないぜ…との意味を込めて、サイラスは笑った。
「アーロン・ロイドの評価もAプラスなの。彼はきっと本論文で2以上を獲ってくるでしょうね、今日のあの感じからすると。私はね、あなたに彼を見張って欲しいの」
 意外な展開にサイラスの笑みが消える。彼女の表情に冗談の欠片も見えなかったからだ。
「見張るって、どう言うことですか?」
「言葉通りよ。違うわね、正確にはアーロン・ロイドが時間逃亡者にならないように、歯止めになって欲しいのよ」
 アーロンは確かにこの時代に傾倒している。だからと言って、時間逃亡を図るほどだとは思えなかった。
「そこまで、あいつがするかな?」
「ならないかも知れない。でもならないと言う確証もない。あなたより先に彼に評価を教えた時、この時代の修道士に借りた上着を次回来た時に返したいから、処分せずに保管してくれと頼まれたわ。あの上着はクラリス騎士団のものね?」
 胸に臙脂の十字を染め抜いた騎士の装束は、クラリス騎士団のものだった。
 時間航法実習で知り合った人間と接触するには、原則的にその時代で3年以上の時間を置かなくてはならない。それは実習が3年ごとに行われ、学生は年を取るからだ。成長期の3年は面変りを否めない。
 クラリス騎士団は一年後に起こる『ヴィンティミリア戦役』で大半の騎士を失って、歴史に名を遺した。シムルと言う修道騎士がもし、その戦いで命を落としていたとしたら、水晶末期の時間での猶予は一年しかない。アーロンは原則を覆すほどの評価を獲ろうとしているのだろうか?
「彼はね、ハナを思い出させるの。迷いのある眼をしている。疑問かしら。それはデボラ星人なら、誰もが一度は持つ疑問よ。優秀であればあるほど、なぜ自分には選択する自由がないのかと考える。これは自分の経験から言うのだけれどね。そのベクトルをどの方向に向けるか。ハナのレポートを読んだ?」
「読みました」
「感想は?」
「13のガキの文章じゃなかった」
 ゾーイが声を出して笑う。
「アーロンの再提出された仮論文も相当なものだったわよ。再提出と言うハンデがなければ、もう1ランク上がったでしょうね」
 それだけ本気と言うことなのか…サイラスはアーロンの顔を思い浮かべた。
「ハナはシグナルを出していたと思う。それをナビゲーターである私は見逃して、あたら優秀な人間を犯罪者にしてしまったわ。今度はそのミスを犯したくないの。確信犯だったハナに比べれば、まだ微妙だとは思うから、杞憂に終わればいいけど」
「だからって、何で俺なんスか?」
「あなたは彼の友人で、冷静だからよ。成績から見ても、彼と一緒にここに戻る可能性は高いと思うから。それに今回、アーロンの浮ついた気持ちを引き戻したのはあなたでしょう?」
 アーロンは実習に入ってから自分を見失っていた。これはサイラスの個人的感覚で、「やばい」と漠然と思っただけに過ぎなかったのだが、とりあえず忠告だけはした。アーロンは忠告を受けたその日の内にゾーイを訪ね、仮論文の再提出を頼んだのだ。彼が最初に提出した仮論文の出来は最悪だったことを、サイラスは後で聞いた。結果的にアーロンの大躍進に貢献したことになる。
「その責任は取ってもらわないと」
「そんな大げさな。だったらアーロンの評価を下げればいいじゃないですか。再提出なんだから、多少、低くてもあいつは覚悟の上でしょうに」
「私一人ならそれも可能でしょうけどね。私の不安は裏づけがないし。実際、再提出の期限は昨日だったにも関わらず、この結果をつけるのよ」
 まったくちゃんと評価してんのか――サイラスは口の先まで出掛かった言葉をため息に替えた。それとも不眠不休で読ませるほど、アーロンの出来が良かったと言うことなのか。それはそれでなけなしのライバル心を煽ろうと言うものなのだが。
 アーロンは良きライバルであり良き友人だ。二人の故郷、デボラとデネヴの微妙な星間情勢など気にならないほどに。少し内気なところはあるが、意志が強く、何よりサイラスのやる気を多少なりとも刺激してくれる。サイラスだとて、大事な友人を失いたくはない。
「一応、努力してみますがね、期待しないでください」
 根負けする形になった。
「一応じゃ駄目よ。本気を出しなさい。アーロンに出来て、あなたに出来ないはずがないでしょう?」
「乗せるの、上手いッスね。とにかく善処しますよ」
 サイラスの答えにゾーイはにっこりと笑った。さすが確固たる意思で、デボラの適性を跳ね除けてここの研究員になっただけある。一筋縄ではなかなか行かない風情だ。三年後、アーロンを一人で水晶末期に戻そうものなら、どんな『制裁』を加えられるかわかったものではなかった。
「もちろん、あなたの論文も評価しての依頼よ。着眼点は面白いし、続きを読みたいと思わせる出来だったわ。だからこそ、期待しているのよ」
「ま、お褒めの言葉は素直に受け取っておきましょう」
 軽く敬礼をして、サイラスはゾーイの研究室を出た。
――やれやれ、パイロット・コースの専門課程と、高評価目指してレポート提出かよ
 これからの三年を想って、サイラスは軽い眩暈を感じた。

 



            end (2012.03.29)



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