[ I ] ティオキアのアーロン 『水晶暦七五四年からの百年、サイドル王国は混沌の時代にあった。統べる立場のベルヌ王室は王位継承問題で争いが絶えず、その間に強固な自治権を確立した十八の公国を、疲弊した国家体制では抑えることが出来なくなっていた。王室による統制機能は次第に失われ、やがてトレモントとダルトリの二大公国がその覇権を争うようになった。そして他の公国と三つの聖教区を巻き込んでの戦乱時代に突入していく…』 「アーロン、メシ、食いに行かねぇ?」 呼ばれてアーロンは振り返った。同室のサイラスがいつの間にか戻っていた。彼はアーロンの背後からモニターを覗き見る。 「何、熱心に見てるんだ?」 「今度の時間航法実習の行き先を検討してるんだ。サイラスはもう決めた?」 「まだ」 彼はイスをアーロンの横に寄せて座る。それからキイを勝手に触ってページのトップに戻った。 「水晶後期? こんな危ない時代にいく気なのか?」 「候補の一つ。結構面白そうだから」 二人はファニ星立ティオキア宇宙大学の教養課程三年生である。専攻は宇宙航法学。未来の恒星間パイロット、もしくは惑星探索隊、軍部あるいは宇宙警察所属の戦闘パイロット等であった。 ティオキアは航法学と宇宙工学で、最高のレベル10評価を受ける大学である。就学期間は十五才からの九年間。教養・専門・実践の三課程各三年の構成になっている。 三課程それぞれの最終学年の実習の一つに時間航法があった。これはタイムトラベル・システムを利用して、過去の時間に移動し直接歴史を学ぶというものだ。それゆえ人気の高い科目であったが、時間法の厳しい規制があり、最終的に成績優秀で秘密裏に行われる適性検査――時空ワープに耐え得る肉体、歴史に影響を受けない、干渉したい誘惑を撥ね退ける強い精神力などが必要とされる――をパスした者にしか実習は許されなかった。教養課程の『ひよこ時代』にも行われるのは、専門課程での素養を見極めるためである。 「いつ、適性検査なんて受けたんだろう。僕は惑星探索が希望だったのに」 アーロンはモニターを見ながら独りごちた。それにサイラスが答える。 「噂じゃ眠っている間らしいけどな。コース替えが嫌だからって、成績を落とすわけにいかないしなぁ」 成績のボーダーラインは各講義でシークレットになっていた。彼らが所属する銀河系一難しい大学で就学期間を全うするには、それらにパスし続けなければならない。 しかしこの優秀な学生を選別するかのボーダーライン値には、各星域の軍部が関与しているのではないかと危惧する声がある。時間航法の実習が顕著な例で、適性検査にパスした時点でリスト・アップされ、専門課程で否応なく戦闘パイロットのコースに振り分けられた。時間航法で判断される適性検査の項目は、軍人としての能力に通じるものだったからだ。『圧』がかかっていないとは言い切れない。 同銀河星系にあって、星域間は常に一触即発状態だった。治外法権を確立したティオキア宇宙大学ではあったが、複雑な政治情勢と無縁ではいられない。好むと好まざるとにかかわらず、卒業生を軍部に送り出す機関であることは否めなかった。 「結局、人間は地上に縛られていた時も宇宙に飛び出した今も、根本的に変らないってことかな。大陸レベルか、星間レベルかの差だけで」 水晶後期と呼ばれる時代のデータをアーロンはデータ・チップに保存しながら独りごちた。モニターを消そうとするのをサイラスは制して、 「その時代、面白そうだな。俺も一応、候補に入れとく」 と自分のメール・アドレスを打ち込み送信した。 「定員オーバーになったら、僕に譲ってくれるんだろうね?」 今度こそモニターを消し、アーロンは立ち上がった。 「大丈夫だって。この時代を選択する物好きなんていないさ」 続いてサイラスも立ち上がり、二人は肩を並べて学生ラウンジに向かった。 アーロン・ロイドはモノタード星域デボラ星、サイラス・リンドバークは同星域デネヴ星の出身である。 彼らの故郷の関係は微妙だった。デボラは昔、デネヴを侵略し植民星として統治した歴史を持っていた。デネヴは全星民の5分の2を犠牲にして独立したが、『戦後保障』の形の援助をデボラから受けなければ、再興出来なかったと言う苦い経緯がある。両星間で結ばれた保障のための時限条約は、すでに50年前に失効していた。二つの星の力関係は名実共に同等になった…が。 独立を許した上に、デネヴの生活基盤を莫大な保障金で購わなければならなかった結果、星の体力が低下したデボラ。独立しながらもデボラの支援なしではモノタード星域一とも言われる現在の発展はなかったデネヴ。二星は星間に微かなしこりを残しながら、今日に至っている。 ティオキアの中にはそういったわだかまりは存在しないことになっていた。完全中立の宇宙大学の学生であるかぎり、身分はファ二星に帰属する。それでもいつの間にか同盟星系にグループは分かれることが常だ。しかしアーロンとサイラスには、故郷の立場など最初から存在しなかった。 明るいブラウンの髪と紫の瞳の典型的デボラのアーロンと、薄い金髪にデネヴ特有の浅黒い肌のサイラスが、どのグループにも属さず、学生寮では同室、仲良く学生生活を送る姿は、新しい年度が始まる度に新任のスタッフや新入生の目を引いて話題に上った。 「ここに入ったら、少しは自分で決められるかと思ったけど、やっぱり自由にはならないんだな…」 時間航法実習の六ヶ月前に、準備マニュアルが配布された。マニュアルはチップ数十個分で、他の授業を受けながらでは、読解だけで半年経ちそうだった。 配られたチップの一枚を部屋でモニターしながら、アーロンがポソリと呟いた。背後のデスクで自分のPCモニターを見ていたサイラスは、「なんだ」と振り返る。 「いや、今度の実習が終わったら専門課程に入るけど、選択の余地がないから」 「そうだな。希望は惑星探索だっけ?」 「本当は宇宙工学を取りたかったんだけど、デボラの審査で航法に変えられた」 「審査?」 サイラスが座ったまま床を蹴って、イスごとアーロンの隣に移動した。 「デボラでは何もかも連邦政府の管理下で決められるんだ。子供はコンピューターで5年置きに適性を審査され、修正を繰り返しながら将来の職を決められる」 「なんでまた」 「子供は連邦政府の産物だから」 デボラはいつの頃からか始まった出生率と成人率の低下を止めることが出来なかった。星間戦争で戻った兵士が新種のウィルスを持ち帰ったせいだとか、度重なる地下核実験で土壌が汚染されたせいだとか諸説様々であったが、結局、はっきりとした原因はわかっていない。成人は健康だった。ただ子供だけが生まれにくく育ちにくい。五才までの生存率が五十パーセントを切った時期もある。 「自然受精は難しくなって人工授精が義務付けられているし、人工子宮槽が奨励されている」 「人工子宮槽?」 「受精卵を人間の子宮に戻さないで、水槽で育てるんだ。流産の危険性がないから。生存率を高めるために、遺伝子を触ることも一般的だよ。それらを管理指導しているのが連邦。個人レベルではコストがかかりすぎる。子供は弱いから、経済力のない親を持つと満足に治療されずに死亡するケースも少なくなくて」 「それで人口管理か」 徹底した管理で子供の成人率は他星並みにはなったが、中止するとまた死亡率が上がった。連邦管理が間違っていないことを確信した人々は、将来社会構成員となる子供の適性を見極めて、無駄なく社会に貢献するように連邦主導の管理・指導をシステム化したというわけである。 「ティオキアに入る前も戦闘パイロット適性能力が特Aだった。また今回も。よほど僕は戦う能力に長けてるのかな」 アーロンは自嘲気味に笑う。デボラでの宇宙工学の適性も悪くはなかった。しかし他星系と拮抗していく為には、軍部の充実は不可欠だ。だから同じ成績なら、たいていは宇宙航法に振り分けられる。 「この水晶後期は自分たちの行く末を、自分の意志で決めて国を纏め上げていくんだ。特に末期」 アーロンのモニター画面は、先日ダウンロードしたファニ星水晶期サイドル編に関する資料に変っていた。 「末期には聖教区の騎士団が王室復権に力を貸して、国を統一して行くんだけど」 神という抽象的な存在にすべてを捧げ、信念を持って道を進む。彼らの役割は『礎』としての存在を全うすることでしかなかった。クラリス騎士団という名だけを歴史に残して、時の狭間に消え去る人々。 「ほとんどが王都奪還の戦いで死んでいるのか。壮絶だな」 「コンピューターもない、ブラスターもない。あるのは自分の思考だけ。生身で相対するって、どういう気持ちなんだろう」 「俺は嫌だな、生身の人間と戦うのは。相手の顔を見て撃つなんて、人殺しだと思い知らされる」 二人が将来軍部に所属するとして、配属されるのは宇宙艦隊である。地上と違って宇宙(そら)では、ほとんどが大規模艦隊戦か戦闘機戦。レーザーも砲撃も生身の人間を狙わない。相手の艦内に侵入しての白兵戦もあるが、それは宇宙大学の卒業生ではなく、特殊養成機関で訓練された部隊の任務だった。侵入される側となる以外、温かい血が吹き出す死体を見ることはなかった。 「それにしても、なんだ、このマニュアル? こんだけを半年で理解しろってか? 時間法だけで何項目あるんだ。こんなに厳しい制約付きで、どうして開講するかな?」 サイラスはアーロンのマニュアル・チップが入ったケースを、人差し指で小突いた。硬質な音に続いて机上を滑るそれを、アーロンは軽く抑えて止める。 「時間航法の講座開設にはかなり厳しい審査がされて、認可がなかなか下りないらしいよ。開講出来るってことは、大学にとってとても名誉なことだって聞いたことがある」 「つまりはステイタスってわけね。まあ、そうだな。この実習を三年毎に乗り切ることは、将帥への近道だって言われるくらいだから」 「サイラスは将帥になりたいのかい?」 「うーん、そこまでは。俺、面倒くさいの嫌いだし。でも使われっぱってのも何だから、適当に自由の利く身分にはなりたいね」 あっけらかんと答えるサイラスを、アーロンはうらやましいと思った。彼の希望コースは恒星間旅客パイロットだったと聞いている。美人のキャビン・クルーと気楽な空の旅。優秀な成績と適性検査の結果、アーロン同様、その希望コースには進めなくなったのだが、サイラスは軌道修正をさして気にする風でもなく、「仕方ない、俺って優秀だから」と流れに任せている。 アーロンはと言うと、今だに受け入れかねていた。教養課程三年の進級の際に渡された時間航法履修許可証、それを受け取った時のショックを引きずっている。戦闘パイロット――すなわち戦うこと、殺しあうことを言い渡されたようなもの。相手が生身でなくても、人間同士が殺しあうことには変りがない。相手の顔を見ずにただ、機械的に倒して行く方がよほど罪深い。 生存率を上げるために日常化した遺伝子操作で、デボラの子供は総じて感受性が強かった。特に負の影響を受けやすい傾向にあるアーロンには、戦闘パイロットとしての未来が不安でならなかった。 水晶期末期にサイドル王国統一の為に戦ったクラリス騎士団は、聖教区所属の修道僧で結成されたと記されている。神にこそ忠誠、清貧、貞潔を誓い、本来なら殺し合いに無縁な立場であった彼らが、どのような気持ちで戦い続けたのか。彼らの魂の安息はどこにあったのか。アーロンがこの時代を候補に入れたのは、それに触れたいからかも知れない。 「アーロン?」 急に黙り込んだアーロンに、サイラスが声をかけた。 「なんでもない」 とアーロンは答えて、モニター画面を時間航法実習マニュアルに戻した。 (2009.11.07) |