翡翠は恋をしている  



 思わず立ち上がったアスランに、報告を終えて部屋を出ようとした事務官が驚いて振り返る。
「あ、いや、何でもない」
とアスランが机につくと、事務官は再び一礼して、部屋を出て行った。
 アスランは机上のカレンダーを確認する。デジタル表示で今日の日付が示されていた。5月17日。自分のうかつさが情けない。明日の予定をPCから呼び出す。
 昼食会やら定例報告会の項目が、2〜3時間毎に羅列されている。夜には公式訪問中のスカンジナビア皇太子夫妻を囲んだパーティーが予定されていて、これはどうしても外せない。
 アスランはモニターを『穴が空くほど』と言った表現通り凝視するが、そうしたところで予定が減っていくわけでもなかった。
 明日、5月18日はキラの誕生日だ。今までお互いの誕生日を祝うことはなかった。去年までは立場が複雑で――戦時下であった上に、二人は敵味方の関係を行ったり来たりしていた――、考えも及ばなかった。10月のアスランの誕生日だって、講和条約締結直後で忙殺され、当の本人ですら自分の誕生日を忘れていたくらいだ。後日、キラから慌ててプレゼントが届けられ、その際の残念がる彼の様子をモニター越に見て、誕生日がいかに大切な行事であるか、アスランは初めて理解したのである。
 だから、キラの誕生日はきっと休みを取ろうと思っていたのに、結局、日々の任務に追われて失念していた。その前日に思い出すなんて、どうしていつも、こう言ったことに気が回らないのだろう…と、アスランは自分自身に呆れた。
「Ms.マシューズ、今日か明日、少しくらい空き時間を作れないかな?」
 隣室のアスラン付きの秘書・ローズ・マシューズに、無駄とは思いつつ確認する。インターフォンの向うで、彼女は予想通りの返事をした。「そう」とため息とも取れる言葉を返して、アスランは内線を切った。
 せめて、プレゼントだけでも事前に用意しておくのだった。本当に自分は気が回らない――するとインターフォンが鳴った。
明日の15時から2時間程度なら、空けられなくもありませんわ
 Ms.マシューズだった。
「それでもいいよ。ありがとう、Ms.マシューズ」
あなたがわがままを仰るのは珍しいことですもの。17時までには戻ってくださいね
 子供に言い含めるような口調で彼女は言った。親子ほどの年令差のベテラン秘書官にとって、例外的に若い新米武官など子供と大差ないのかも知れない。右も左も仕来りもわからなかったアスランが、何とかやって来られたのは彼女に負うところが大きかった。
――何を贈ったら、キラは喜んでくれるだろう?
 そうしてアスランの意識は、別のところに移って行った。


5月18日――
 15時を10分程度越して、アスランはオフィスを出た。書類にサインを求める事務官を振り切るようにして。
 キラに何をプレゼントするか一晩考えたが、思い浮かばなかった。キラからアスランに贈られたものはアナログ調の腕時計だ。プラントとオーブの時間を縦に並べて表示するレクタンギュラー(長方形)・タイプで、デジタルもしくはコンピューター内蔵と言う今の時代には珍しく手巻きである。

『止まったらまた動かせる。自分の手で、意思で何度でも。ある意味、永遠かも知れない』

 離れたり(=止まって)、そして共に在ったり(=動いて)と、アスランとキラの時間はその繰り返しだった。彼はそのことを思って、初めての誕生日プレゼントを手巻きの腕時計にしたのだと言った。何度、道は分かれても、必ずまた会い見(まみ)える。共に在りたいと強く願えば。「僕達に似ているから」と照れたように笑った。風情に似合わず武骨なアスランには、思いつけないプレゼントだ。
 恋人に贈るプレゼントとしてアスランが思いつくのは、せいぜい花束か指輪と言ったところ。前者はともかく、後者はとても買えそうになかった――どう言う顔をして選べばいいのか? どう言う顔をして渡せばいいのか?
「どう言ったものをお探しですか?」
 買えそうになければ余計にそれが頭から離れず、アスランの足はジュエリー・ショップを見つける度に、ショー・ウィンドウの前に止まった。知らずにぐるぐると同じ道を回っていたらしく、気づいた店員が声をかける。
「…た、誕生日プレゼントを」
 迷っている内にどんどん時間は過ぎて行く。Ms.マシューズに戻ると約束した17時まで、あと1時間も残っていない。アスランは観念して、その店に入った。
「今月ですか? 誕生石になさいますか? それともお好みの石とか?」
 5月の誕生石はエメラルドか翡翠。エメラルドは透明度が高いものが、翡翠は半透明エメラルド・グリーンのジェイダイト(硬玉)が、最高品質なのだと店員が説明する。
「贈られる方は恋人?」
 アスランが頷くと、
「あなたの瞳と同じ色ですわね。誕生石がよろしいかと思いますよ?」
と彼女は微笑んだ。
 アスランの頬はたちまち上気した。

 
大学のフィールド・ワークに出ています。21日まで戻りません
 スカンジナビア皇太子夫妻の歓迎晩餐会に出かけるまでの時間に、アスランはオフィスからキラに電話を入れる。しかし留守を知らせるメッセージが流れるだけだった。今年の5月18日はウィーク・デイだから、キラは普通に学生をしているのだ。考えてみれば、アスランがオフを取ったとしても、彼のスケジュールと合うとは限らなかっただろう。
「21日…、慌てる必要もなかったな」
 アスランはぽそりと呟いた。3日あれば、もう少し気の利いたものを贈れたかも知れない。プレゼントとして王道な指輪を選んでしまった挙句、わからないのでサイズが目測だ。これで指に合わなければ目もあてられない。
「お時間ですよ」
 Ms.マシューズが迎えの車が着いたことを知らせる。アスランはプレゼントの入った袋を引き出しにしまってオフィスを出た。
 車までの距離を歩きながら、パーティーの予定を頭に入れる。出席者の中には当然、オーブ代表のカガリ・ユラ・アスハの名前があった。キラと双子のきょうだいである彼女も、今日が誕生日だ。
「アスラン、これをお持ちになって」
 車に乗り込もうとしたアスランは、Ms.マシューズに呼び止められた。彼女はリボンのかかった箱をアスランに手渡す。
「これは?」
「今日はアスハ代表のお誕生日です。みなさん、きっとプレゼントをお持ちになるでしょうから」
 彼女は肩をすくめた。午後、時間を作って外出したアスランが、有名なジュエリー・ショップの包みを手にして戻ったので、てっきり今夜のパーティーに持っていくのだろうと思っていたら、どうも持っている形跡はない。これはもう一人の5月18日生まれの方だと理解した彼女は、あらかじめ用意しておいたプレゼントを持って追いかけてきたのだと言う。
「考えてみれば、大切な人のバースデイも忘れるあなたですもの、その他大勢の人にまで気は回りませんわね」
「ありがとう、助かるよ」
「どういたしまして。上官に恥を掻かせたくありませんし、」
 Ms.マシューズは少し曲がっていたらしいアスランの蝶タイを軽く直し、
「息子と同じ年では、世話も焼きたくなろうってものですわ」
と続けた。すっかり子ども扱いだが、アスランは嫌な気はしなかった。
 彼女に見送られて、アスランを乗せた車はすべるように走り出した。


 パーティーは皇太子夫妻の気さくなこともあって、要人の公式訪問の際に開かれるいつもの晩餐会ほど、堅苦しいものではなかった。立食形式であったし、ここまで身分が違うと一介の駐在武官程度では夫妻と親しく会話する機会もなく、アスランは会場の端の方で同僚武官達と時折言葉を交わしながら過ごした。この手のパーティーにしては幾分気が楽とは言え、明日の夜も音楽会に招待されているアスランは、早々に引き上げてしまいたいと言うのが本音だ。
 上座の方では主賓とカガリが談笑している。彼女は一国の代表ぶりがすっかり板について来た。ここまでの道のりが、決して平坦なものではなかっただけに、公式の場で彼女を見るたびに感慨深い。カガリの方がよほどこう言った場所や行事に引っ張り出されているのだろうから、週に一、二度程度で「疲れた」とわがままを言ってはいけない――アスランはそう自分を戒めた。
――Ms.マシューズには、何かお礼をしなきゃ
 会場に着いてみれば、彼女が言った通り、誰もがカガリに大なり小なりの誕生日プレゼントを用意していた。近しい友人の一人であるアスランが手ぶらでは、本当に恥をかくところだ。
「アスランがこんなことに気がつくなんて、大方、有能な誰かさんに持たされたな?」
 バラの蕾や花びらを模したチョコレートを見てカガリが言った。確かに、そのプレゼントの中身もアスランでは思いつかないものだ。
「カガリにしても、Ms.マシューズにしても、よほど俺が気が回らないヤツだと思っているんだな?」
「任務のこと以外は、世間知らずだと思ってる」
「気が回らなくて世間知らずでは、大人としてどうなんだろう」
「まさかキラの誕生日まで忘れていたんじゃないだろうな?」
「…まさか」
「今、目が泳いだぞ。アスランは嘘がつけないからな。ま、そこがおまえの良いところなんだろうけど。そのことはキラには黙っておくから」
 カガリは悪戯っぽく笑った。その時のやり取りを思い出して口元が自然と緩みそうになるのを、アスランは抑える。
 オーブの軍官僚につかまって、しばらく話に付き合わされ元の場所に戻ると、同僚武官の姿はなかった。アスラン同様、誰かと話しながら場所を移っていったのだろう。手に持ったままだったグラスを近くのテーブルに置き、少しタイを緩めた。
「グラスが空ですが、何かお作りしましょうか?」
 ギャルソンの声が背後で聞こえた。
「いや、もう結…こ…う」
 振り返ったアスランは、ギャルソンの顔を見て固まる。
「キ…!?」
 そこにはちゃんとフォーマルな格好をしたキラ・ヤマトが立っていた。アスランは驚きのあまり絶句する。その様子が想像どおりだったのか、キラは吹き出した。
「どうしてここに? 大学のフィールド・ワークだって、電話に…」
「うん。それは本当。モルゲンレーテ・エアロテックの見学に来たんだ」
 キラは大学で宇宙工学を学んでいる。外銀河長距離探査船の開発プロジェクトにも参加していて、今回は機体に使用するための開発中の新素材を見に来たのだと、彼はアスランに説明した。「半分は口実だけれどね」と付け加えて。
「知らせてくれれば」
「君を驚かせたかったから。驚いた?」
「驚いた」
 工学部は忙しい学部で、ことに開発プロジェクトのスタッフも兼ねるとなると、ウィーク・デイの放課後、構内に残らなければならないこともしばしばだ。よほどの理由がない限り、休むことは難しい。『よほどの理由』で今までキラが休暇を取ったのは、ほとんど政府関係の公務のためだった。自分の私用の為に休めないし、休まない。
「でも自分の誕生日くらい許されるかと思って」
 突然の彼の出現に動揺して、アスランの頭から5月18日は消えてしまっていた。キラの言葉にあわてて、
「誕生日、おめでとう」
と言ったものの、これでは忘れていたのだと誤解されかねないタイミングの悪さだ。思わず頬が熱くなる。アスランのそんな心の内が読めるのか、キラは笑って「ありがとう」と答えた。アスランはますます、自分が赤くなったことを感じる。
 キラの表情はアスランの肩越しに背後を見て曇った。振り返ると数人が近づいてくる。キラに気がついたのだろう。普段は大学生だが、政府レベルの行事になると、連邦評議会議長ラクス・クラインの隣に必ずその姿があった。地位は予備役中尉とは言え、身分は国家要人となんら変りない。
「ここ、出よう」
 キラはアスランの手首を掴むや否や、入り口に向かって足早に歩き出した。
「え、あ、キラ!?」
 アスランのしがらみなど、おかまいなしに。


 アスランのオフィスは海に向かって視界が開けている。軍港を兼ねた湾内外には防空巡洋艦や、地・宙両用航空母艦が停泊していて、目で常に確認出来るようになっていた。夜になるとそれらの発する常夜灯がちょっとした夜景を作る。アスランには見慣れたものでも、キラには珍しいらしく、部屋の明かりを落とさせて、床まで大きく切られた窓から外を眺めていた。
 ここに立ち寄ったのは、キラにバースデイ・プレゼントを渡すためだ。アスランは昼間、プレゼントの袋を入れた引出しを開ける。袋の中にはリボンのかかった小箱。それを取り出し、夜景を見るキラの隣に立った。手渡すのが気恥ずかしい。キラに何かプレゼントするなど、あのトリィ以来ではないだろうか? 
「アスランのオフィスは眺めがいいね?」
 逡巡の末、アスランが渡そうと思った時、キラが口を開いた。自然、プレゼントを持った手は後に回される。
「少し広すぎる。一人の時は何だか寒寒しいんだ。スペースが限られていた空母に慣れているから。でも近々、もう一人駐在武官が派遣されて来ると聞いているから、ここは二人で使うことになると思う」
「それは誰だか聞いている?」
「まだ」
「候補はイザーク・ジュールだって聞いているよ」
 懐かしい名前が出て、アスランはキラを見た。
「そうなのか?」
「うん。彼は将来、宇宙艦隊総司令官を望んでいるらしいから、現場(宇宙)を離れたくないってごねているんだ」
 イザークらしいとアスランは思った。彼は今、宇宙艦隊の一旗艦の副艦長をしている。一度、評議会入りも検討されていたが、どうせ地上に縛られるなら退役して民俗学者になると啖呵を切ったのだと、ディアッカ・エルスマンが私信で知らせてきたことがあった。
 しばらく話をするうちに、アスランの意識は少しずつプレゼントを渡すと言う緊張から離れて行く。
 こうして直接キラと話をするのは、聖ヴァレンタインの祭日以来だ。いつまで経っても二人の忙しさは解消されない。相変わらずアスランの退役願いは保留されている。イザークが赴任するなら、案外、退役の件は受理される方向で動いているかも知れない…とキラは言った。
「そうなったら僕も政府の嘱託から解放してもらうよ」
 キラは夜景から目をアスランに転じた。その時、アスランの手の中のものに気づいて、彼はその手を取って引き上げる。
「僕に?」
「…何がいいかわからなくて。その…俺は気が利かないから」
 箱を握った指に、無意識に力が入る。緊張が戻った。キラは一度包むようにアスランの手を握り締め、その指をやんわりと外した。
 リボンを解いて箱を開けると、中にはシンプルな細いバンド・リング。小さな緑色の石が、等間隔で埋め込まれていた。一見してプレタポルテ(既製品)だとわかるものだし、カードも白紙のままだったが、キラは気にしていないようだった。
「君の瞳と同じ色だね」
「店員にも同じことを言われた」
 ショップの店員は透き通るようなエメラルドより、半透明の翡翠を勧めた。その方がより瞳の色に近いからと言って。
「暖かい色だ。本当に君の目みたいに。ありがとう」
 キラは躊躇いもなく左手の薬指に指輪をはめる。心配したサイズはぴったりだった。キラは嬉しそうに指輪を見つめた。心なしか頬に赤味が差している。彼もまた照れているのかも知れない。
「プレゼントをもらえるなんて思わなかった。君は忘れているだろうと思っていたよ。今日、来たのだって、それを思い出してもらうためだったんだけど?」
「カガリにも言われた。忘れていただろうって」
「それで?」
「…覚えていたさ」
 答えの前に一瞬、間が空いた。キラがくつくつと笑う。
「目が泳いだよ、今。君は本当に嘘がつけないね?」
「それも…カガリに言われた」
「なんだ、僕が言うことは、どれも他の人が先に言ってしまってるんだな?」
 キラはアスランの横髪を引っ張り、顔を引き寄せた。
 彼は少し考える風に視線を足元に落とした。それから指輪と同じ色のアスランの瞳に目を戻すと、まぶたに軽くキスをする。
「『好きだよ、アスラン。世界の誰よりも』……これは誰かに言われた?」
 キラの行動と思いも寄らぬ言葉にアスランは頬を熱くする。
「そんなこと言うのは、おまえくらいだ」
「良かった。じゃあ、あらためて」
 キラの手がアスランの髪に差し入れられ、再び引き寄せられた。もう片方の腕が腰に回って抱きしめる――強く。
「好きだよ、アスラン。世界の誰よりも。今までも、これからも」
 そう言葉を綴って、キラの唇はアスランの唇に重なった。
 啄ばむような、愛おしむような、頬に、鼻先に、瞼にと、二人は交互にキスを繰り返す。やがてアスランの腕もキラの体に回され、唇に深いキスが落とされた。

好きだよ

 キラの誕生日なのに、自分はこの言葉を今日、まだ彼に伝えていない。
 吐息に雑じるアスランの想いは、キラに届いたろうか?


                                         
2006.05.10

このお話は、コメントで「5月18日はキラの誕生日ですよ」と教えて頂いて書きました。
教えてくださった方、ありがとうございました。

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