不機嫌なプラチナ  



「なんだ、これは!?」
 イザーク・ジュールは頭から湯気を噴き上げる勢いだ――ディアッカ・エルスマンには、確かにその湯気が見えた。
「それは軍指令本部からの正式な辞令だろーが」
 イザークが床に叩きつけた書面は無重力の空間をゆっくりと漂っている。ディアッカはため息をついてそれを掴んだ。
 辞令の内容はイザークを地球のオーブ連合首長国駐在武官に任命するというものだ。着任は1週間後。
 イザークは旗艦ドヴォルザークの副艦長である。あと2年も経験を積めば、晴れて旗艦のどれかの艦長につけるはずだった。宇宙艦隊と言えば軍の花形。それが一転、内勤。それも地上の駐在武官なのである。かつてプラント連邦評議会入りを、足蹴にしたこともあるくらい現場に拘った彼にとって、主義に反する許されないことだった。
 それでもそれを受け取る際に激昂しなかっただけ、少しは大人になったんだな…とディアッカは感心する。
「内勤も悪くないぜ、イザーク。コースから外れたってわけじゃないんだし。駐在武官と言えば中佐以上だ。赴任先はオーブだし。戻って来たら即、艦隊司令官くらいにはなれるさ」
「そんなことを問題にしてるんじゃないッ。これがあきらかにあいつの差し金ってところがむかつくんだッ」
「あー、はいはい」
 イザークの言った『あいつ』とはキラ・ヤマトのことである。かつての敵味方、コーディネーターの中のコーディネーターであり、現在は予備役でありながら、政府行事の時には評議会議長ラクス・クラインと肩を並べる大物だ。
 イザークのオーブ駐在武官の話がなぜ、そのキラ・ヤマトの差し金だと勘ぐるかと言うと、彼が現駐在武官アスラン・ザラの恋人だからであった。
 アスランはしばらく前から軍に退役願いを出している。退役してプラントに戻り、田舎に引っ込むつもりなのだ。そしてそれには、当然、キラ・ヤマトもついて行く。遠距離恋愛に疲れた…と言うところか。
 もちろん、そればかりが理由ではないだろう。15、6才で軍籍に入ってからと言うもの、アスランもそしてイザークもディアッカも、ずっと戦いの中にいた。イザークやディアッカは自ら進んで仕官アカデミーに進んだ口だが、彼は果たしてどうだったか。主席で卒業し、モビル・スーツの操縦には卓越した技術と経験が確かにあるが、その性格が決して軍人向きでないことは、ディアッカにはわかっていた。それは多分、イザークもわかっているだろう。とりあえずの平和が――多分、これからしばらくの間、上手くすれば自分たちの世代の間――続きそうな現状において、彼が軍籍に留まる理由はない。
 しかし…である。歴戦の勇士であり、高い資質とネーム・バリューを持ち、充分に若い彼を隠棲させるのを惜しむ声が、軍部内外にはあった。だから軍籍離脱の許可がなかなか下りない。「後任が決まらないから」と理由をつけて、有耶無耶にしてしまおうとの目論見もある。
 そんな折に上がったのがイザーク・ジュールの名前だった。仕官アカデミーでアスランに続く次席。戦績も家柄も申し分ない。最年少で評議会入りを打診されたと言う過去もある。このまま順当に行けば、自身が望む宇宙艦隊総司令官に、これまた最年少でなれようかと言う逸材だ。「後任が決まらない」と言う理由は、これでクリアされる。そしてその名前の出所はキラ・ヤマトではないかと言う噂が、事情を知る者の間でまことしやかに流れていた。
「だけどな、イザーク、これを断ったら、おまえ、一生閑職になりかねないぞ。それでなくても評議会入りを脅し半分で断ったって言う前科があるからな」
 イザークは評議会入りを断る際に、「どうせ地上に縛られるなら退役して民俗学者になる」と統合軍総司令官に退役願いを叩きつけた。いつから興味を持つようになったのか、彼は民俗学――主に地方の風習や祭祀――に造詣が深く、趣味で論文を発表したこともある。あながち冗談とも取れない勢いに、評議会入りは見送られたのだった。
「そりゃ、民俗学者も面白いかも知れないけど、アスランと違って、おまえはそんな大人しい職業で納まってらんないぞ、きっと。地道に文献や過去の足跡や、絶滅したような田舎の風習を掘り起こしに歩き回るなんて、絶対、無理」
「やってみなければ、わからんだろーが」
「学者はいつでも出来るだろ? それこそもっとジジイになってからでも。でも艦隊司令官は一度、軍から足を洗ったら出来ないんだ。そこんとこ、よく考えてだな」
 ディアッカはイザークの拳が握り締められ、ぶるぶると震えているのに気がついた。その拳はディアッカに炸裂するためのものではなく、彼自身、ディアッカの言ったことを充分わかっていて、行き場のない感情を抑えているためのものだった。
「やれやれ」
 ディアッカは肩を竦めた。言うことは言ったのだから、後は彼次第だ。だから、それ以上言葉を継がなかった。

 
 結局、一週間後、仏頂面のまま、イザーク・ジュールは地球行きシャトルの機上の人となった。行き先はオーブ連合首長国。
「絶対、2年で帰ってくるからなッ。きさまもそのうち地上に呼んでやる。俺一人、重力に縛り付けられてたまるか」
と捨て台詞をディアッカ・エルスマンに残して。

 
 

                                         
2006.05.10

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