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すっぴんで勝負だ!

や、私のことではなく、近頃のミスコンの話。
女性蔑視とか何とかで、取りやめになっていた大学のミスコンが、今年はあちこちで復活しているようです(関西)。
イベントと割り切って大学側も協力的な関東と違い、関西はまだまだ「女性蔑視論」が燻っていて、開催を公認しない大学が多い模様。
関西系ニュースで某有名私立大学のミスコンを特集していたのですが、大学が許可しないので企画した学生達はホールを外に借り、スポンサーを探しまわり、色々奔走して開催にこぎつけたみたいです。
彼らの苦労の甲斐あって、スポンサーも付き、ミスコンは立ち見が出るくらいの大盛況、めでたしめでたし。それにしても、ミスコンに対する主義とかは関西の方がもっと柔らかいと思ったのに、意外でした。
でも今回、私が言いたいのはですね、ミスコンに出る女の子達はすっぴんにすべきじゃないかってことなんですよ。
先日も同じような特集をどこかのニュースで見て、ミスコン出場の子達が映っていたのですが、みんななんであんなに厚化粧なの?
付けまつげは当たり前のばっちりアイ・メーク。元の目が想像出来ないくらいです。
あれだけ描いたら、美人なのかどうなのかわかんない。化粧次第でどんなにでも化けられるんじゃないかなぁ。
本当にきれいな子はすっぴんでもきれいだと思うんですよね。
化粧で誤魔化すのではなくって、本来の自分で勝負するのが良いと思うのですが。
まあ、すっぴんダメダメ、化粧下手な私に言われたくはないと思うけど(笑)

拍手、返事不要の方、ありがとうございます♪
『恋はいつでも』の続編を読んでみたいとのコメントをちらほら頂けて嬉しい〜。
彼らのはっきりした顛末はそのうち形に出来ればと思いますので、気長にお待ちくださいませ。
以下、patiレスです。

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コメント一覧

非公開 2010年12月02日(木)15時35分 編集・削除

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紙森 2010年12月02日(木)21時07分 編集・削除

■M様
私もミスコン、ミスタコン、どんどんやれば良いと思います。
女性蔑視って言うのなら、ミスタコンも抱き合わせてやれば良いんですよ、ね?(東大はそうしてるみたい)
数学が得意な人に数学オリンピックがあるように、美に自信がある人にも競う理由はあると思うんです。
でもね、日記に書きましたように、化粧の技術を競うわけじゃないんだから、そこんとこをね、言いたいわけですよ(笑)。

>その時の睫毛に驚愕しました。あれって一体どれだけのつけまつげ重ねてるんだろう……ばっさばさなんですもん(笑)。

一枚じゃないですよね? 私も街ですれ違う女の子達、コンビニのバイトさんを見て、そのテクにびっくりです。違和感ないのかなぁ。
眉毛くらいは構わないとしても(大差ないですからね)、アイメークはもう少し抑えるとかして、本来の顔で勝負してほしいなぁと思いました。日本代表クラスのミスコンになると、みんな結構、薄化粧ですよね。きっと規定があるに違いない!
コメント、ありがとうございました♪

Route M URL 2010年12月02日(木)21時43分 編集・削除

綺麗な子って最近はいくらでもいるような気がするから、いっそ、ビフォーアフターにして、すっぴんのときとどれぐらい違うかとかやったら、もっと楽しめるかもしれない。
いや、ただのミスコンよりも、ずっと盛り上がるにちがいない。

ところで、最近思うのは、NHKのテレビ体操にでる女性が美しい、美人ではない先生がすごくかわいい。
健康美でしょうか? NHKはとっときの美人を隠しているのです。
いや、肩こり対策にテレビ体操をやっていて思いました。

紙森 2010年12月03日(金)20時33分 編集・削除

■Route M様
>いや、ただのミスコンよりも、ずっと盛り上がるにちがいない。

確かに(笑)。でもそれじゃあ、別のイベントになっちゃいますよ~。
最近の子って本当に肌はきれいだし、足はまっすぐでスタイルいいし、羨ましいです。食べ物や、畳ではなく椅子の生活だからですかね。

>ところで、最近思うのは、NHKのテレビ体操にでる女性が美しい、美人ではない先生がすごくかわいい。

健康的ですよね。模範体操している人達は、昔は日本体育大の学生アルバイトって聞いたような気がします。
結局、若い時は何もしなくても美しいってことかも知れませんな。
肩こり対策(笑)の密かな愉しみですね。
コメント、ありがとうございました♪

7月 URL 2010年12月05日(日)18時19分 編集・削除

あ、そうなんですか?
メイクばっちりなんですか?
でも……メイクがなかったら非常につらそうですよ~
女性もまた男性も、メイクなしには大ブーイングだと思いますよ~
ところで紙森さんは、美女コンテストならぬ美男子コンテストというものを見たいと思いますか?
わたし?
わたしは見たくありません♪

「以前指摘されたこと」へのコメントをくださいましてどうもありがとうございました。
「正しい批評」をいただいたときにどのように対処できるか……
考えるのですが、批評や批判というものも、あるていど「もらい慣れ」していないと、その選択眼が養われないものなのでしょうか?
それともこれも作者の性質によるのか……
たとえば自分の書くものに自信がなかったりすると、いい批評であっても、はたまたおいそれはちょっとちがうだろう的批評であっても、あるいは真に受けてしまうこともあるかもしれません。
わたしは自分の書くものにたいし、おおきな自信とそれを容易にくるりとひっくりかえすだけの自信のなさとに、いつでもひどく責め苛まれています。
つねに不安定でぐらぐらしているのです。
もっとも作者というものはだれでもそうかもしれませんが。
創作をしようとするとき、自己愛と客観性とをバランスよくかかえていられるのが理想です。
自信も謙虚な客観性もほどほどにもつことができれば。
さらにあるていど批評といったもものももらいなれていれば……
ところがそうでないようなひとが、あるときいきなり批評をもらったりすると、いっきに自信喪失、復活不可能なところまでいってしまうかも……
わたしはそこまではいきませんでしたが、場合によってはこれもあったことかもしれなかったのです。
なにが「正しい批評」でなにが「たんなる好悪であって批評の域にたっしていないしろもの」であるのか、これを見きわめることも、またむずかしくありませんか?
でも「右から左へ」ができる紙森さんはつよいと思います。
わたしは好きなことを好きなように書いているくせに、だれの意見も知ったことではないという姿勢で小説を書きつづけているくせに、ひとのことばが恐いのです。
自分にとって正しいと思えないような批評もどきがきた場合は「右から左へ」、またこれは耳をかたむけるだけの価値があると見きわめたらこれを受け入れる。
こんなことができるようになれたらと思ってしまいます。
それから「死にネタ表示」についてですが……
ネットではびこっていますよね。
検索サイトなどに小説を登録するときでも、「ハッピーエンドか否か」その他詳細を選択させられたりします。
BLというのは特殊なジャンルですから、BLか否かを明示するのはとうぜんでしょう。
でもエンドがどうだとかいうことを明示しなければならないものですか?
それって小説を読み出すさいに求められるものですか?
ぜったいにちがうと思うんですけど。
これはネット小説だけの不思議で奇妙でおかしな風潮(といっていいのかどうか)だと思ってしまう。

紙森 2010年12月06日(月)22時22分 編集・削除

■7月様
美男子コンテスト、女性蔑視だって言うのなら、男子も一緒にやったら良いのではないかなと思います(笑)。

>考えるのですが、批評や批判というものも、あるていど「もらい慣れ」していないと、その選択眼が養われないものなのでしょうか?

>なにが「正しい批評」でなにが「たんなる好悪であって批評の域にたっしていないしろもの」であるのか、これを見きわめることも、またむずかしくありませんか?

すみません、言葉足らずでした。
元来「批評」と言うものは学問の一端であって、「批評」を出す場合は出す本人も、出そうとする分野(小説、絵画などなど)に対し精通し勉強し、膨大な資料の蓄積をもって、出した相手の良い点・悪い点を同時に指摘するもので、そこに感情は存在せず、客観的であるべきものなのだそうです。ですから、批評を出した人間は出した批評に対して責任を持たなければならず、責任を持つと言うことは匿名や所在不明のHNでの批評出しはありえないと言うことだと。
ですから、頂くコメントは「感想」、つまり読まれた人が感じたことを感じたままに書かれる主観的なもので、「批評」ではないと思うのです。

感想はあくまでも読み手の主観です。なので「好き嫌い」が混ざっています。「好き嫌い」は人である限り必ず存在するものですし、すべての読み手を満足させる作品を書くことは不可能ですよね。
だから辛口の感想を頂いたとして、例えば「同じ用法が同じ段落で何度も出てくる」とか、「接続詞や代名詞ばかり」とか、「視点が不自然に変化しすぎる」とか、文法的におかしいと思われる部分は受け止めて精進し、感情的や作風に関する部分は「ああ、こう言う見方や感じ方があるんだなぁ」と、自分の作品に対する一つの見方として知っておくことに留めれば良いのではないかと思います。

また、相容れないものに対してコメントを出してくださるってことはありがたいことだとも言えますよね。大多数の人は「この作品・作者とは合わない」と思ったら、何も言わずに来てくださらなくなるもんです。良くも悪くも一言何かを残さずにいられない作品だった=心に残ったのだと、思うことにしております。
などと物分りの良いことを書いておりますが、私はと~っても小心者。だからこその「右から左」なのでございます(笑)。決して強いわけでは~~~。

>それから「死にネタ表示」についてですが……

やっぱり書き手がアマチュアだからだと思います。
商業系ならクライマックスである部分をわざわざ帯等に表示しませんから。
これはなかなか難しい。特にBLは途中どれだけ悲惨であっても、最終的にハッピーエンドを望まれているのではないかと思います。
「死にネタだと表示して欲しい」と思われる方がいらっしゃるのはわかっていますが、やはり書き手として譲れない部分もあって、だから私はあとで恨まれても(笑)死にネタの表示はしないってことにしました。表示する・しないは結局、書き手の考え方なのだと思います。
でも「表示して欲しかった~」のコメントを頂くと、やっぱり一瞬凹みます(笑)。
コメント、ありがとうございました♪