バイエル (1) 「別れましょう」 と言われれば、一応、礼儀でその理由を尋ねる。たいてい相手は、 「だって私のことは何とも思ってないんでしょう?」 と答えた。そして、 「やっぱり噂通りだったわね。私が本気にさせてみせると思ったけど」 と席を立ち、去って行った。 後には虚しく喫茶、あるいは食事の伝票がテーブルに残される。それを別段の感慨もなく見つめることが習慣になっていた。 誰にも本気にならない男――敷島聖弘(しきしま・きよひろ)は、そう噂されている。表立って友人達が口にするようになったのは、大学時代からだったが、素養としては中学生、あるいは小学生の頃からあったかも知れない。 敷島は小学生の時からそこそこもてた方だ。容姿は十人並みだったし、際立って頭が良かったわけでもなく、誇るほど抜群の運動神経を持ち合わせてもいなかった。放課後はサッカーやドッジボールで遅くまで遊び、パソコンや携帯型のゲームに興じるごく普通の子供だったのだが、一つだけ取り柄があった。それは物心ついてすぐに習わされたピアノである。長く習っている分、小学校の高学年になると音楽専科の教諭並みに難曲が弾けた。校内合唱コンクールではいつも伴奏を担当し、ピアノの前に座ると女子が周りに集まった。 税理士の父親の趣味はヴァイオリンで市民オーケストラに所属し、母親はママさんコーラスでソプラノを担当していた。そんな音楽好きの家庭に生まれた三つ上の兄と敷島は、あたりまえのように街の音楽教室に放り込まれたのである。兄はバイエル程度でピアノを辞めたが、敷島は性(しょう)に合っていたのか、結局は大学院まで音楽を学び、卒業後はそれを生業とすることになった。 ともかく男でピアノがさらさら弾けるとなると、それだけでもてるポイントがアップする。十人並みの容姿や頭や運動神経が逆に幸いし、嫌味のない性格と相まって親しみ易さに繋がった。芸術系での交友関係で多少なりともセンスが磨かれた大学以降になると、特定、不特定にかかわらず女友達は切れたことがない。 周りの友人達のように『彼女』作りに苦労しないためか、敷島は別れを切り出されてもあっさりしたものだった。「来る者は拒まず、去るものは追わず」。そんな付き合い方が重なるうち、『本気にならない男』のうわさが代名詞として定着したのである。 タイミングが悪いことに、数日後に母校の月島芸術大学の創立三十周年の式典が迫っていた。そこで久しぶりに悪友共と同窓会よろしく飲み会に流れることになっている。別れたことを敷島が一度だって自分から話したことはないにも関わらず、いつもどこからか伝わっていた。今回のこともまた――きっと、友人達の良い話のネタにされてしまうだろう。 敷島の読みはきっちりと当たっていた。 「また別れたんだってな。今回は長続きしてたから、てっきり決めちまうかと思ってたんだがなぁ」 飲み会の席以前、顔を合わせるやいなや、大城裕一(おおしろ・ゆういち)の第一声はこれだった。月島芸大付属高校からの腐れ縁である彼には、敷島に対して遠慮がない。これで飲み会の話題が決定付けられたようなものだ。敷島は春から母校月島芸大で講師として教鞭を執ることが決まっていた。飲み会はその就任祝いを兼ねてもいるのだが、この調子ではどうなることやら。 敷島は躱すつもりの苦笑いで応えるにとどめたが、式典まで時間があり――職員になることが決まっている敷島には、会場内に席が用意されていた――、大城の口は続きの言葉を吐き出したそうにしていた。 「敷島」 少し離れたところから名前を呼ばれ顔を向けると、大学時代の恩師が手招きしているのが見えた。 「呼ばれてるみたいだから行くよ、また後で」 そう言うと、敷島はさっさと大城の傍から離れた。 結果的に助け舟を出してくれたことになったのは、西洋音楽史の立浪教授だった。講師の話を持って来たのは彼で、推薦状も書いてくれた。 独奏向きでない敷島の収入源は、音楽教室やカルチャーセンターの講師や、個人レッスン、合唱や独唱の伴奏にアンサンブルのピアノ等である。演奏会関係の仕事は水物で、次回も呼ばれるとは限らない。音楽教室や個人レッスンで生活が出来ないわけではないが、もう一声、安定した職が欲しいと思っていたところへ来た大学講師の話は、正直ありがたかった。 付属の院を修了していることと話が急だったこと、それらだけでは射止められない競争率の高い職種に三十二才の若さで就けたのは、立浪教授の尽力してくれた点が大きい。在学中、敷島は彼に助手のごとくこき使われたが、無駄にならなかったということだろう。ただし、この件で作ってしまった借り…と言うか恩が、有効、且つ半永久的に利用されることは覚悟しておかねばならない。現に、敷島とは専攻とサークルが同じだった三つ上の先輩など卒業時に受けた「恩」を盾に、今だにあらゆる面でこき使われている。 「この度はどうも、ありがとうございました」 敷島は立浪教授に頭を下げた。 「大したことないさ。私としても可愛い教え子と一緒に働けるのは感慨深いよ。ちょうど杉田君がおめでたで毎日来られなくなってしまってねぇ」 ――ほら、きた。 『杉田君』と言うのは大方、立浪教授の助手だろう。敷島は胸の内でため息をついた。 「僕も何かと忙しいんですけど」 「デートに割いていた時間が空いたろう? 最近、フリーになったらしいじゃないか?」 「え? 先生もご存知なんですか?」 「私の情報網を侮っちゃいかんよ」 立浪教授は悪戯っぽい目で笑んだ。 単位や受講の面では厳しいことで有名だし、学生を手足のようにも使うが、気さくで嫌味がなく、どうにも憎めない人物で、学生たちには人気があった。人遣いが荒くて上手いのだ。各年代年代の学生と付き合って来た、良い意味で海千山千の五十代に対し、最高学府で教鞭を執るにはまだまだ青二才の三十代では、とうてい勝ち目はない。 とにかく講師の件やこれから同じ職場で働くことになるのだ。「今後ともご指導ご鞭撻、よろしくお願いします」と、とりあえず頭を下げたところで、立浪教授の傍らに立つ若い長身の男に気がついた。敷島と目が合うと、彼は軽く会釈した。 「ああ、彼を紹介するために呼んだんだった。彼はここの卒業生で橋中君だ」 「橋中です」 一聴にして声楽専攻だったとわかる。 「良い声してるね?」 名乗るより先に、そんな感想を敷島に言わせるほど低く艶のあるバリトンだ。 「橋中君は声楽家なんだよ」 「やっぱり」 そうは答えたものの、敷島には意外に感じられた。背が高く首が長いのは確かにバリトン向きの骨格だが、肉付きは薄く、線が細い。レンズ面積の小さな金縁の眼鏡はアーティスティックに見えて似合っているが、それらをトータルした風貌からは想像出来ない声質だった。身体が楽器そのものの歌手は、肥満とは違う意味で筒型の体型が望ましいのだと聞く。彼のように内臓が全部入っているのかと思う胸周り腹周りの歌手は珍しいのではないか。 「橋中君、彼はこの春からここで伴奏法の講座を持つことになった敷島君だ。愛称は『パン』」 教授は初対面の相手に敷島を紹介する時、互いの気分を解すためかこの愛称を添えた。 「苗字が『シキシマ』だから」 敷島が由来を言うと、たいてい相手は笑みを作る。例に漏れず橋中も笑った。その笑顔は感じが良く、好感が持てた。 |