So Wonderful Day J55/R55 (1) カレンダーをにらみつつ、ジェフリーはここのところ日がな一日思案していた――気がつくと、クリスマスはすぐそこだったからだ。 娘のエレナには暖かなルームシューズ、その夫のジェームズにはスイス製のアーミーナイフ、一才になる孫のエイミーにはセンサー内蔵で動くエルモのぬいぐるみを、それぞれとっくの昔に用意してある。問題は同居人のリクヤ・ナカハラへのプレゼントだ。 リクヤはここアシェンナレイクサイドにやって来て初めてのクリスマスを迎える。実は彼へのクリスマス・プレゼントは、娘夫婦や孫娘同様、早くに決まっていた。アシェンナレイクサイドの冬は雪こそ大して積もらないものの、気温は結構下がって底冷えがする。ジョギングを毎日欠かさないリクヤには、耳まで覆うウールの帽子を用意した。つい最近、彼が自分で帽子を買ったのを知って「しまった」と思ったが、所詮は消耗品、いくつあっても困らないとそこは前向きに考える。 では何が問題なのか――十二月二十五日は、イエス・キリストだけでなく、リクヤの五十五回目の誕生日でもあった。 ジェフリーとリクヤは医学生の実地研修で知り合い、レジデントとスタッフ・ドクター時代を加えると四半世紀以上の付き合いになるが、個人的なプレゼント交換はこれまで無かった。クリスマス・プレゼントを、マクレイン総合病院のERスタッフ全員でシャッフルして交換し合う程度。まだリクヤへの恋愛感情が無自覚だったジェフリーは、イブの日にグランドピアノが運ばれて来たのを見て、彼の誕生日がクリスマスであることを思い出す始末だった。 ――たとえ用意していたにしても、あのインパクトには負けたよなぁ。 イブの夜に毎年、食堂でピアノのミニ・コンサートが開かれた。演奏はアメリカが世界に誇るピアニスト、「黄金のグリフィン」ことユアン・グリフィス。彼から愛するリクヤ・ナカハラへのバースデイ・プレゼントだった。 演奏家にとってクリスマスからニューイヤーは稼ぎ時である。ユアン・グリフィスのクラスになると、音響設備の整った素晴らしいホールで、二千人を超す聴衆を酔わせることが出来る。もしくはチャリティーと銘打って、どこかの途上国に病院が建つくらいの募金を一晩で集められるだろう。特にイブは、たとえコンサートがなくても、あちこちのパーティーで引っ張りだこで忙しいはずだ。公立の古びた総合病院、それもテーブルを脇に寄せて、とりあえず体裁を整えた即席ホール=食堂で無料のコンサートを開くなど、どれだけ酔狂なことか。 しかしユアン・グリフィスはわざわざ私費でグランドピアノを運ばせて、クリスマスに相応しい、且つ、心和む名曲の数々を演奏した――毎年、毎年。リクヤがレジデントの頃から欠かさず、それは十数年続いた。ピアニストとして最も脂の乗った時期にである。 「リクヤは何も欲しがらないから困るよ。用意しても受け取ってくれないし」 バースデイ・プレゼントがマクレインでのミニ・コンサートに決まるまで、ユアンはよく零していた。 「第一、いつも仕事だからね。ここのシフト、何とかならないの?」 「リック自身が率先してクリスマスに出勤するんだから仕方ないですよ。それでなくても、みんな、クリスマスは休みたいんだから」 クリスマス休暇は誰しもが取りたがるもの。年中無休でシフト制のERでは、毎年調整が大変だった。家庭持ちであろうと何であろうと優先権はない。みんなが目の色を変えて『談合』に奔走する中、涼しい顔をしていたのはリクヤくらいだった。彼は一度だってクリスマス休暇を望まず、二十四、二十五日にはいつでも、彼の姿を病院内で見られた。自分の誕生日であり、ユアン・グリフィス以外にも彼とクリスマスの夜を過ごしたいと願う女性はいくらでもいたはずだった。当時のジェフリーは深く考えなかった。ジェフリー自身もクリスマス休暇をいかにして手に入れるか、頭を悩ませていた時期だったからだ。 「心がこもっていれば、何だっていいじゃないですか?」 「そう言うわけにはいかないさ、この世で一番の相手へのプレゼントだもの。最高のものでなくっちゃね」 「そんなものですかね?」 「リクヤにはそうしたい魅力があるんだよ。彼の望むものを何でも与えたいと言う魅力がね」 その時は正直わからなかった。それがユアン・グリフィスの愛し方なのだろうと思っただけだ。ジェフリーは結婚していて、すでに子供もいた。妻も子もこの世で一番愛していたし、誕生日やクリスマスのプレゼントを欠かさなかったが、「最高のものでなければ」とまでは思わなかった。 と言う類のことをユアンに言うと、「まだまだだね」とにっこり笑われてしまった。 それから二、三年後だったろうか、ユアン・グリフィスがイブの夜にマクレインでミニ・コンサートを開くようになったのは。文字通り、最高のプレゼントだろう。世界屈指のピアニストが、たった一人のために演奏するのである。もっともプレゼントされた当の本人が、ありがたがっていたかどうかは別だ。 あれほどのプレゼントは無理にしても、リクヤが喜ぶものは贈りたい。それなのにさっぱり見当がつかなかった。そう言えば先日、「ここにもCTがあればなぁ」などと言っていたが、ジェフリーの財布ではとても買える代物ではない。 リクヤはいったい何が好きなのか。ファッションに興味があるように見えないし、体力づくりのために走ったり歩いたりしてはいるが、本格的に行っている風でもなかった。釣りにしても、近くにたまたま湖があって、他に娯楽のない田舎だから、暇つぶしに糸を垂らしているだけだ。ネット株の運用は続けている。だからと言って誕生日プレゼントが株券では、あまりにも色気が無さ過ぎる。 ユアン・グリフィスの苦労が今になってよくわかった。彼には音楽と言う天分があり、リクヤのために奏でプレゼントとして捧げることが出来た。しかし同じ「手に職」でもジェフリーのそれは、こう言ったイベントにまったく役立たない。ローストチキンを作るためスタッフィングを詰めたチキンの腹を、ジェフリー史上最高に美しく縫合したところで、喜んでくれるかどうか。第一、縫合の速さと美しさはマクレインの頃からリクヤの方が断然上だったし、第二にローストチキンは娘のエレナが作った方が美味いに決まっている。 そうこう悩んでいるうちに、どんどん日は経ち、クリスマス=リクヤの誕生日は来週に迫っていた。実はまだ娘夫婦に、リクヤの誕生日が二十五日であることを伝えていない。イブと教会は彼らと共にする予定にしていたが、クリスマス当日の夜はリクヤと二人で、彼の誕生日として祝うつもりでいたからだ。ホームパーティーが好きなエレナのことだ、リクヤの誕生日だと知ればどうなることか。リクヤへの想いを再認識して初めての彼の誕生日である。出来れば二人で過ごしたい。 ジェフリーは自分にそんなロマンチックな一面があったことに驚いていた。 ――いやいや、カレンの時もヴァルの時も、二人きりで過ごしたことはあるさ。 最初と二番目の元妻達にも、ジェフリーは誕生日プレゼントを毎年欠かさず贈った。もともと恋人や配偶者に対して真摯な性質なのである。苦労して休みを取り、シッターを手配して二人きりでディナー付のデートに出かけた。ただデートに関して言えば次第に誕生日当日は無理になり、毎年と言う概念からは外れた。年を経るに従い、誕生月は覚えていても日は忘れがちになる。三番目と四番目の元妻達に至っては仕事優先で、プレゼントを贈るだけの慣例行事と化していた。「家族より仕事が大事なの?」と言って去ったのは、何番目の妻だったろうか。 ――それはともかく。 ジェフリーは捨て台詞を吐いた三番目だか四番目だかの元妻の顔を、脳の片隅に追いやった。 ――誕生日プレゼントだ。 誕生日プレゼントにここまで右往左往することは、かつてなかったことだ。老いらくの恋はとかく激しいと聞くが、よもや同性相手にそれを実感することになろうとは。ジェフリーは深くため息をついた。 (2) リクヤ本人からのヒントが期待出来ないとなると、頼みの綱は彼の兄だった。リクヤには二卵性双生児の兄サクヤ・ナカハラがいる。同じ年で、かのユアン・グリフィスが妬いたほど仲が良い。きっと互いの好みを知っているだろう。リクヤは往診に出かけていて留守だった。電話をするタイミングもいい。ジェフリーはアドレス帳のページを繰った。 この時、ジェフリーはサクヤの職業がプロの演奏家であることをすっかり失念していた。アドレス帳の現住所は日本であるものの、彼の活動拠点はヨーロッパである。世界的にも有名なヴァイオリニストのサクヤは、それでなくとも他の演奏家以上に忙しい。クリスマス・シーズンともなれば尚更で、日本に居ることは稀だった。 案の定、ジェフリーからの国際電話を取ったのは、パートナーであるエツシ・カノウだった。彼もリクヤとは長い付き合いだが、残念なことに英語が堪能ではない。 それでも簡単な受け答えは出来るらしく、ジェフリーがサクヤに換わって欲しいと言うと、「彼はウィーンにいる」と返ってきた。その答えで、サクヤもこの時期が多忙な職業であることを思い出す。同時にがっくりと受話器を持ったままうな垂れた。 しかしジェフリーは瞬時に考えた。エツシはサクヤのパートナーである。毎年、十二月二十五日にはプレゼントを贈っているはずだ。好みや嗜好は違っても、何かヒントになることを彼から聞けるかも知れないと。友人としてではなく、恋愛対象として同性へのプレゼントは、ジェフリーは未経験だった。品物自体が見当もつかない。好み云々は抜きにしても、どんなプレゼントが適当なのか、最低限それがわかれば助かる。 「もうすぐサクヤの誕生日ですよね? プレゼントは何を?」 なるべくゆっくりとした口調で、簡潔な言葉を選ぶ。前後の事情説明はすっとばした形になった分、唐突さは否めない。あまりにも言葉足らずだと気づく。これではジェフリーが、サクヤにバースデイ・プレゼントを贈ろうとしているようにとられかねないではないか。 「えっと、実はリクヤの、えーっと」 「well」の連発である。 すると電話の向こうのエツシが「よければメールを」と応えた。聞き取りは苦手だが、読むならまだわかりやすいし、今は簡単な翻訳ソフトもあるからと彼は笑った。苦手な割には正確な文法の話し言葉だ。ジェフリーは承諾し、彼専用のメール・アドレスを教えてもらうと電話を切った。 受話器を置いたとほぼ同時にドアが開き、冷たい外気を伴ってリクヤが往診先から帰ってきた。暖炉で暖められた室内の空気で、たちまち彼の老眼鏡が曇る。ここのところ着けたり外したりが面倒になって、仕事中は眼鏡をかけたままでいる。 ――若く見えても、確実に年は食っているんだなぁ。 「なんだ?」 しみじみと自分を見るジェフリーに、リクヤは眼鏡を少し鼻の上に引き下ろし、訝しげな視線を寄越した。 「曇っているなぁと思って、老眼鏡が」 わざと老眼鏡の部分を強調して言った。リクヤの右眉がピクリと上がり、今度は眼鏡を外すと胸ポケットにしまった。それからドアの脇のチェストにカバンを無造作に乗せ、脱いだ手袋はホーム・バーのカウンターの上に置く。ダウン・ジャケットをシングル・ソファに放り投げ、歩行の中でブーツを脱ぎ捨てると、もう一脚のシングル・ソファに座り、オットマン(足置き台)に足を乗せ、身体を深く沈めた。 リクヤの細々したものを散らかす行為は、ジェフリーと同居を始めてから改善されていた。しかし身につけているものを脱ぎ捨てることは相変わらずで、それは根本的にリクヤの癖なのだとわかった。彼は日課のジョギングから戻るとまずシャワーを浴びにバス・ルームに向かうのだが、脱いだもので動線がわかる。ジェフリーは最初、それらを拾って回った。注意もしたが改まることはなく、諦めて放っておいたら知らないうちになくなっていたので、脱ぐ時同様に自然に回収され、片付けられるべきところに片付けられているのだと理解した。 同居を始めて三ヶ月。四半世紀になる付き合いでも知らなかったリクヤの一面を、新たに知ることが増える。いずれは彼の欲しいものを察することが出来るようになるだろうが、今年の誕生日には間に合いそうにない。 「ミセス・ブラウンはどうだった?」 「軽い膀胱炎。抗菌剤を出しておいた」 「膀胱炎! 大げさに騒ぐから何かと思ったじゃないか」 リクヤの今日の往診先は、何かと理由をつけては彼を呼びつけるビクトリア・ブラウンと言う老婦人宅であった。八十三才の高齢だが血圧が高めであることと、少々忘れっぽくなっていること以外はいたって健康。ただ独り暮らしなので、ソーシャルワーカーから出来るだけ気にかけて欲しいと頼まれているのだ。 「でもないさ。彼女の大事な『パートナー』だからな」 「『パートナー』って、何? もしかして膀胱炎なのはアポロンか?」 ジェフリーはソファからもたせかけていた背中を起こした。『アポロン』はミセス・ブラウンの九才になる愛猫である。 「そう。ドライ・フードが合わないんだろうよ。そろそろ老猫用のに換えた方がいいかもな」 「ドクター・ナカハラは動物まで診察なさるんですか」 「哺乳類だ。大して変わらんだろう?」 リクヤはジェフリーの言葉にこともなげに返すと、テーブルの上の新聞に手を伸ばした。胸ポケットの眼鏡を再びかける時、チラリとジェフリーの方を見やる。老眼――つまり老いを理由にマクレインを辞めた割には、それを実感させられることにはやはり抵抗があるのだろう。 「ミセス・ブラウンのところだけの割には時間がかかったんだな?」 ジェフリーはクスッと小さく笑って、老眼鏡から意識を逸らしてやる。 「ああ、道すがら寄り道してきたからな」 リクヤはミセス・ブラウン以外に二、三軒、患者宅に寄って来たことと、それぞれの様子をジェフリーに報告した。 アシェンナレイクサイドも高齢者の割合が多くなってきている。若い世代は牧畜や農業を嫌って離れていくが、その親の世代はこの土地に愛着を持ち、都会に住む子供が同居、もしくは引越しを勧めても、なかなか移ろうとはしなかった。ビクトリア・ブラウンもその一人である。 その他にも残りの時間を病院ではなく自宅で過ごしたいと、ホスピスから戻って来た末期の癌患者などもいた。リクヤは彼ら達をマメに看て回った。こちらに彼が越してきて三ヶ月余りだが、ジェフリー以上に地域に溶け込み、頼りにされている。 そんな人気者だから誕生日を知られると、プレゼントが届かないわけがない。その中にリクヤの『お気に召すもの』があったりしたらと思うことが、更にジェフリーを焦らせた。 ――とにかくエツシにメールしなきゃだ。 リクヤがコーヒーを飲み干し、ネットで株の市場を覗きに行くのを見計らって、ジェフリーはエツシへのメールを打つことにした。 (3) 『サクヤについて言えば、ありふれたものを喜ぶように思います』 エツシからの返事は、ジェフリーがメールを送信したその日のうちに届いた。 リクヤの誕生日まで一週間だと言うのに、今だにプレゼントが決まらず、日付変更線の向こうにいる人間にまで頼ることから、かなり切迫した状況だと察してくれたのだろう。 彼にもリクヤの好みはわからないらしい。双子と言っても二卵性で、育った環境も違うのでどこまで共通しているかわからないが…と前置きされて文章が続いた。 『例えばマフラーや手袋、マグカップ、スケジュール帳などの日常使うものであったり、手製の拙いものであるとか。本人が欲しいものと言うよりも、彼のために選んだと言うことが嬉しいようです』 エツシの母親は五年前の二月に八十一才で亡くなるまで毎年、サクヤのためにバースデイ・パーティーを開いていたのだそうだ。パーティーと言っても集まるのはエツシの両親、予定が合えば妹家族が来る程度のごく内輪のもので、テーブルに並ぶのはとりたてて料理上手でもない母親の手料理と、同じく彼女の手による不恰好なケーキ。サクヤはいつもそれらを楽しみにしていて、どんなに多忙でも必ず十二月には帰国していたとのこと。多分、家庭的に恵まれなかった生い立ちから、そう言ったごく普通の家族の時間が嬉しかったのだろう。 エツシの両親が亡くなり、妹家族も転勤や子供の成長と共に忙しくなって、以前のような誕生日の祝い方ではなくなった。二人きりで過ごす誕生日も勿論喜んでくれているが、サクヤは時々、かつてのパーティーを懐かしんでいるようだと、エツシのメールに綴られていた。 リクヤの兄以外の家族のことや、詳しい生い立ちをジェフリーは知らない。彼はほとんど自分のことを話さなかったからである。話さないことが、良い思い出でないことを想像させた。 ユアン・グリフィスはよくリクヤのことを甘やかしてやりたい、自分に甘えて欲しいと言った。彼も出会う前までのリクヤを、それほど知っていたわけではなさそうだったが、感じてはいたのだろう。リクヤ自身も気づいていない繊細で、寂しがりやな一面、堅い殻の中に閉じ込められた柔らかな感性を。 『リクヤも、特別なことは何も望んでいないと思います。彼はたった一人の肉親であるサクヤをとても大切にし、愛している。それは新たに家族となったあなたに対しても同様だと思います。でなければ彼が誰かと一緒に住むなど考えられない。あなたが選ぶものであれば、彼は喜んでくれますよ』 ――そうか、だからリックはユアンのあのプレゼントを受け取ったんだ。 ユアンからのどんな高価なプレゼントも、一流レストランでのディナーも決して受け取らなかったリクヤは、マクレインでのミニ・コンサートは開くことを許した。患者やスタッフが喜ぶからと言うのが理由の大半を占めていたとしても、残りの数パーセントはユアン自らがリクヤの為に、金銭に頼らず「汗して」作り上げたプレゼントだったからだと言えないか? たとえリクヤ本人に自覚がなかったとしても。 ――まあそれが、一番高価なプレゼントだとも言えるけど。 ジェフリーは苦笑する。世界の大ピアニストの一人であるユアン・グリフィスの演奏を一晩、それもイブの夜に独占するのだから、これ以上の贅沢があるだろうか。 ――だとしたら、チキンの縫合とかも有りかも知れない。 と考えて、ジェフリーは頭をブンブンと振った。日も無いと言うのに、冗談を楽しんでいる場合ではない。 ――でも…悪くない。 手先は器用だった。小学校の頃は図画工作も、火山が噴火するメカニズムを模型化した理科の課題も、クラスの誰より上手く出来た。ハイスクールで美術を選択したのは、絵はともかく、彫ったり捏ねたり削ったりすることが得意だったからだ。ERの医師になってからはその器用さが、かなり有効だった。 ユアンの手作りプレゼントには及ばないにしても、「あなたが選ぶものであれば、彼は喜んでくれる」と言うエツシの言葉に励まされ、ジェフリーはようやくリクヤへのバースデイ・プレゼントを決めた。 (4) 二十五日当日、ジェフリーは午前中に教会へエレナたち家族と出かけた。リクヤはクリスチャンではないから教会には同行しないと言うので、適当に理由をつけて娘の家に寄り道し、キッチンを借りてリクヤの誕生日のための料理とケーキ作りに精を出していた。もちろんリクヤには内緒である。ジェフリーがワインに酔ったという名目で彼にここまで迎えに来させ、エレナ一家を交えてサプライズ・パーティーを仕掛ける計画なのだ。当初予定していた、二人きりでロマンチックに――ではなく、娘夫婦と可愛い孫娘も交え、出来うる限り賑やかに彼の誕生日を祝おうと、ジェフリーは思い直した。エツシの受け売りとも言える。 キッチンから続くリビングでは娘婿のジェームズが、まだ物心のつかないエイミーと一緒に、ささやかなパーティーの準備をしている。その微笑ましい場景を見る余裕もなく、ジェフリーは生まれて初めてのケーキ作りに没頭していた。 料理のほとんどはエレナに頼っていたが、ケーキは最初から最後までジェフリー一人で作ることに決めていた。 「ケーキなんて、私、一度も焼いてもらったことないわ」 隣でサラダに使う野菜を千切りながらエレナが言った。ジェフリーは、一旦手を止める。 甘いものがさほど好きではないリクヤのために選んだのは、ザッハトルテもどきのビターなチョコレートケーキ。その光沢ある面に白い飾り文字を入れようとしていた。それで完成だった。ケーキ作り初心者にしてはずいぶんと上手く出来ている。最後の最後で失敗するわけにはいかない。 「その代わり、いつだって欲しいものをプレゼントしただろう?」 「ええ、そうね。でも誕生日やクリスマスの朝に家に居たこと、あったかしら?」 痛いところをつかれた。ジェフリーはイベントのプレゼントは欠かさなかったが、必ず祝いの席にいたかと聞かれれば、答えは「NO」だったからだ。エレナは最初の妻との二人目の子供である。彼女の物心がついた頃、ジェフリーはマクレインのスタッフになりたてで多忙を極めていた。誕生日を忘れることは何とか回避したものの、休みや定時帰宅までは気が回らない。その後ろめたさが自然と物質面に反映された。 答えに詰まったジェフリーの耳に、エレナの笑う声が入った。 「リックのこと、愛しているのね」 続いた言葉は更にジェフリーの狼狽を誘う。「そりゃ…、大親友だから」と辛うじて答えたが、「それだけ?」と追い討ちをかけられ、またしても言葉が途切れる。とにかく落ち着かなければと、クリームの入った絞り袋をケーキに近づけた。 「ママはいつも、パパには誰か他に好きな人がいるんじゃないかって疑っていたわ」 エレナはジェフリーのそんな動揺におかまいなしだ。 「ママと離婚して一年くらいでヴァレリーと再婚したじゃない? 私、彼女のことかと思ってた。でも彼女とも別れて、それからまた二回結婚と離婚を繰り返して。ただ単に浮気っぽい性格なんだと思ってたけど、リックを見てわかっちゃった。パパはこの人のことが好きだったんだって。違う?」 げに恐ろしきは女の勘。娘もさることながら、ジェフリー本人でさえ気づいていなかった頃に、すでに元妻が感じ取っていたとは。相手が同性であるとまではさすがに思わなかっただろうが。 そしてエレナに一目で見破られてしまっていたのだとしたら、他の人間にもわかるくらい、自分はリクヤへの想いを垂れ流しているのではないか――ジェフリーは顔から血の気の引く思いがした。 「そう言う風に考えたことはないよ」 平静を装いつつ答える。エレナが含みあり気な笑顔を見せたが、無視した。 「スペル、間違っているわよ、パパ」 彼女はそう言うと、シチュー鍋の様子を見にその場を離れた。 見ると、「Happy Birthday」の「y」が中途半端に止まり、「u」になっている。小さく舌打ちして、止まった部分に続きを慎重に足そうしたところへ電話が入った。リクヤからだった。 「破水?!」 大きくなったジェフリーの声に、シチュー鍋の蓋を持ったままエレナがこちらを注視した。「破水」は出産を経験した女性には、少なからず気になる単語だ。ジェフリーは「大丈夫」の意味合いで、彼女に目配せする。 「で、容態は? うん、うん、わかった。僕もすぐに出る」 会話を終えて受話器を置きつつエプロンを外すと、リビングのジェームズに車を貸してくれるよう頼んだ。 「どうしたの?」 エプロンを受け取りながら、エレナが心配そうな目を向けた。 「シェリルが産気づいたみたいだ」 「大丈夫なの?」 「なに、リックはERで何度も妊婦を手がけたから心配はないさ。ただ雪溜まりに車が突っ込んで横転したらしい。マイクがケガをしているって言うから、行ってくるよ。後はよろしく」 「パパも気をつけてね」 二十四日の夜からアシェンナレイクサイドは稀に見る大雪に見舞われていた。周りを山に囲まれているため、底冷えのする寒さはあってもさほどは積雪しない地域であるのに、一晩中降り続いた雪は大人の腰に達するくらいに積もっていた。午後になっても日は差さず、まだ時折雪が降るので溶ける気配もない。 ホワイトクリスマスとなって子供のみならず大人もはしゃいでいたが、積もってもせいぜい十センチの雪しか知らない地域は、たちまち不自由を強いられている。家族でクリスマスを過ごす住人が大半で、出かける用事は少ないと言っても、何か事があった時は大層になることは危惧出来た。 リクヤからの電話は、その「何か」が起こったことの知らせだった。 |