※原作につきましてはこちら(wik・別窓)をご参照ください。



Naturalness   





※20話で波留が独自にリハビリしていることを知った久島の、脳内を妄想。それに11話のハルさんの萌えな言葉をリンク。







 時々、考える――この身体で彼を待ったのは、正しかったのか、どうなのか……。




 義体のメンテナンスを終えてオフィスに戻ったのは、すっかり日が暮れた頃。久島は来客用のソファに座って、ネクタイを緩めた。予定ではあのまま自宅に戻るはずだった。しかし、足は自然とオフィスに向かった。いや、「自然と」ではない。自宅に帰る気になれなかったのだ。
 その日、蒼井ミナモと偶然に遭遇し、話す機会があった。彼女はメディカル・センターで電脳適応者かどうかのチェックを受けに来ていたのだった。自然に恵まれたオーストラリアで育ったミナモは、まだ電脳化していない。メタリアル・ネットワークの最先端である人工島育ちの人間と違い、それほど必要性を感じていないのだ。その彼女を電脳化する気持ちにさせたのは、他ならぬ波留真理だった。
 

『ハルさん、歩く練習しているんです』


 いずれ波留に車椅子も介助も必要なくなった時に、まだ年端も行かない子供の自分が、バディとして出来ることは何かと彼女なりに考えた結果、電脳化にたどり着いたのだと言う。
 そして波留が、人知れず歩行訓練していることを、久島は彼女との会話で知った。
 波留が前回の任務で赴いた原生林の森で、五十年ぶりに自らの足で立ち上がったと言う報告は受けていた。立ち上がれはしたものの、長い間使わずにいた筋肉の衰えは否めない。段階を踏んでゆっくりリハビリをするようにと、久島は介助用アンドロイドのホロンにも、波留本人にも言い置いた。車椅子の生活に支障のない時代であるし、メタル・ダイバーに足は必要ない。また優秀なダイバーである彼が、緊急時にリハビリの疲労で使い物にならなくなるのは困ると言う事情もあった。何よりも、義体工学の進んだ現代では、リハビリに時間を費やさずとも歩くことは可能だ。
 で、あるのに、波留は自身でリハビリをしている。自らの足で立ち、歩き、海に戻るために。メタルの海ではなく、彼を育み、彼を惹きつけてやまない青い海に、再びダイブするために。
「自らの足で歩くことを選ぶのか、波留」
 思えば波留は一度として、義体化を希望したことがない。五十年の眠りから覚め、歩くことはもとより、以前のように動けない老いた身体に絶望していた時でさえ。全身を総義体化し、変わらない「生きたサンプル」の久島を目の当たりにしながら、それでも義体化に首を縦には振らなかった。
 在室設定になっていないオフィスは、最低限の明度しかない。ヴュー・モードも時間に合わせて夜景を見せていた。硬質ガラスの窓に、久島の姿がぼんやりと映し出される。三十歳前後の、変わらない若さ。
 待つためには必要だった。波留は原因不明の昏睡に陥って、いつ目覚めるとも知れなかったし、完成間近で崩壊した人工島の再建を果たさなければならなかった。それらの原因である「海が燃える」現象を解明し、海の底に縫いとめられた波留の意識を取り戻すためにも、メタリアル・ネットワークを久島は完成させなければならなかった。 
 この義体化は必然で、間違っていなかったはずだ。
 波留が目覚めてから初めてキスを交わした時の、彼の微妙な表情が忘れられない。
「僕が、老いてしまったせいかな」
と言って彼は指で久島の唇に触れ、苦笑した。確かに久島のボディは旧式の機械型義体ではあるけれど、感触も温もりも、生身とほとんど変わらない。波留はだから、自分の感覚的衰えだと納得したが、本当にそうだろうか? 不自然な感覚の原因は、久島の唇の方にこそあったのではないか? 有機的な素材を使う最新式の生態型にすれば、より生身に近づく。とは言え、不自然さはそれで払拭されるだろうか? 
 波留が目覚めれば、また二人で元のように過ごせると久島は思っていた。
 久島がデータを算出し、波留がそれを実証する。休みの日には波留は趣味として海に潜り、久島は傍らで釣りや読書を楽しむのだ。たまにはケンカもするだろう。波留は案外頑固なところがあるし、久島は久島で素直になれない面を持っていた。沈黙はどちらからとも言えない歩み寄りで解消され、そして穏やかな時間を取り戻す。他愛のないことを繰り返し、触れ合って、互いを必要として生きて行く、行けるはずだった。そのために、波留の総義体も用意した。
 自然体の存在と不自然体の存在。肉体の老いと、精神の老い――離れていた五十年の時が、彼らを二つに分かつ。
 漠然とした不安と寂寥感が、今、久島を苛んでいた。
 波留が義体化を望まないのであれば、無へと進む彼の時間を止めることは出来ない。その結果、久島を待っているのは解消されない孤独だ。


『僕に残された時間は少ない。果たして君に、追いつけるのだろうか?』


 窓に老いた波留の姿が浮かび、久島に微笑みかける。
「追いつけないのは私の方だ、波留」
 久島がガラスに手を伸ばすと、指先に冷たい感触だけ残して、彼の姿は霧散した。


 
 


                                         
2008年作


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