Chocolate Day in NY




 それは二月十四日の午後のこと――
 外来患者でごった返すマクレイン総合病院ERの受付に、大の男が両手で抱えなければならないほどの大きな包みと、真紅のバラの花束が届けられた。ドクター・ナカハラ宛てである。
 花束から贈り主がユアン・グリフィスであることはすぐに知れた。今日はヴァレンタイン・デー。真紅のバラの花束は、この手の『イベント』の際に必ずリクヤ・ナカハラに贈られてくるので、別段誰も驚かない。しかし大きな包みは注目の的だった。元大統領夫人やハリウッド・セレブなどを常連客に持つマンハッタン、いや合衆国一高級なチョコレート専門店のものだったからだ。
 ガナッシュ一粒が五ドル近くもする。女性スタッフが色めきたったのは言うまでもなかった。なぜならりく也はユアン・グリフィスからのプレゼントを、「一人では食べきれないから」とおすそ分けしてくれるからだ――実際はおすそ分けなどと言う可愛げのあるものではなく、受け取りのサインをして右から左に丸投げ状態だったのだが。
 チョコレートにはカードがついていて、「サクヤから聞いたよ。日本では恋人にチョコレートを贈るそうだね。愛を込めて」とあった。そのカードを一読したりく也は、サインをすると『彼女たち』の期待通り、「みんなで食べて」と受付にそのまま押し付けた。まったく兄も余計なことを吹き込んでくれる。これから毎年、ヴァレンタイン・デーにはチョコレートが送られてくるじゃないか…とりく也は思った。
 りく也がドクター・ラウンジに戻って束の間の休憩を取っていると、ポリ袋に入れたあのチョコレートを持って、ジェフリー・ジョーンズが入ってきた。
「ああ、リック、これどうもサンキュ」
 ジェフリーがポリ袋を上げて見せた。
「なんだ、君ももらった口か」
「そりゃもらうよ、ここのなんて普段、口に入んないからな。カレンへのプレゼント、花束だけの予定だったから助かったよ」
 カレンはジェフリーの奥方である。レジデントになって二年目、同棲生活につい先ごろ終止符を打った。ちなみに二人の間にはすでに3才になる娘がいる。
「え? そんな袋のまま渡すのか?」
 妻へのヴァレンタイン・デーのプレゼントにするには、ポリ袋入りではあまりにも色気がない。
「まさか、今日、帰りに寄る花屋でついでにラッピングしてもらうつもりさ。だから、花屋が閉まる前に是が非でも上がらせてもらうから」
 ジェフリーはシフト通りであれば、あと一時間足らずで上がりだった。外来患者数を見れば、時間になったからと言ってすぐには帰れないだろうが、それでも花屋の閉店までには間に合う。
「そんな時に限って帰れなくなるってジンクス」
 りく也は悪戯っぽく笑った。
「嫌なこと言うね。それにしても日本ってヴァレンタイン・デーにチョコレート渡すんだ? なかなかオシャレだな?」
「業界の陰謀だよ。それにヴァレンタイン・デーは女の行事なんだ。好きな男に愛の告白と一緒にチョコレートを渡す日だからな」
 欧米では男女どちらからなど関係なくプレゼントし、恋人同士で愛を誓い合う日なのだが、なぜか日本では女性から男性に『愛の告白』をする日になっている。チョコレートを渡すのが「あなたが好きです」の意味だった。プレゼント・アイテムがチョコレートに特化されているのは、製菓業界の商業活動によるものである。
「へぇ。ところ変わればだなぁ」
 ジェフリーが異国の習慣に感心した時、館内放送がラウンジ内に響いた。交差点で多重事故、弾かれた一台が歩道に突っ込み、歩行者が多数巻き込まれたとの連絡だ。
 ドクター・ラウンジを出て受付に行くと、今から重傷者五人が運ばれてくるとのことだった。その話を聞いている最中、更に三人の引き受け要請が入る。同じくERがある近くのバーナード記念病院はスタッフのインフルエンザ罹患率が高く、受け入れを制限していた。
「うそだろ〜」
 ジェフリーが天井を仰ぎ見る。りく也の予言、いやマクレインのジンクス通りになった。加えてインフルエンザでスタッフ・ドクター一人が勤務中に倒れ、レジデント一人が欠勤している。バーナードほどではないにせよ、マクレインとてフル稼働とは言い難い状態だ。
 嘆きながらジェフリーは救急車の搬入口に走って行った。りく也は受付にそのままになっている真紅のバラの花束に目を止めた。
「その花束、ジェフが持って帰るから、取っておいてくれないか?」
 受付のメイスンが「オッケー」と親指を立て、メモに「ドクター・ジョーンズの」と走り書きし、テープで花束に貼りつける。それからすぐに無線機の方に意識を戻した。
 これで花屋が閉まっても、とりあえずカレンへの花束は確保出来た。多分、ジェフリーが買おうとしているものよりはずっと高価なはずだ。心置きなく、これからの治療に専念出来るだろう。人手不足の折、キリキリ働いてもらわなければならない。
――たまにはあいつのプレゼントも役に立つもんだな。
 そう思いつつ、りく也もまた搬入口に走った。




2013.02.10 (sun)


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