ある日、一曲に出会う。
 ゴスペル歌手・カーク・フランクリンの『lean on me』と言う歌。
 まず、その美しいメロディに惹かれ、次に歌詞に惹かれた。
 

 I am here (僕はここにいる)                            
 You don’t have to worry  (心配しないで)
 I can see..... (僕には見える)
 ......your tears  (君の涙が)
 I’ll be there in a hurry when you call (君が呼べば、僕は飛んで行く)
 Friends are there to catch you when you fall 
                       (君が倒れそうになったら、受け止めてみせる)
 Here’s my shoulder, you can lean on me  (この肩にすがって。僕を頼りにして)
 

 これは歌詞の一部(サビ)。
 全体を読んだ時、『愛シテル』で書きたいことを音で感じたような気がした。
 以来、このシリーズの執筆の際は、必ずこの歌を流している。
 
 『愛シテル』は『Slow Luv』の言わばスピン・オフ的な小説だ。
 でも物語の骨子となるものは同じ恋愛物でありながら、かなり違っている。
 それは主要人物である中原兄弟の精神構造の違いと比例していて、それぞれ『享受』と『否定』から出発した。
 なので、同じ『恋愛』を扱っていても、意味合いを変えて書いている(あくまでも作者基準)。
 

 さて、『愛シテル September』、実はすごく迷ったあげくのUpだった。
 舞台がニューヨークで9月を書くとなると、どうしても『あの日』をイメージせずにいられなかったからだ。
 『ニューヨークの9月』の代名詞となりつつある、あの9月11日。
 実際、その場を取材したわけでもない、とことんアマチュアな一字書きが、趣味の域を出ない書き物(それもBL)に材料の一つとして使っていいのか…UPの直前まで、迷いを拭い去ることが出来なかった。
 ただ、中原りく也の一面を見るのにどうしても、硬質な場面が必要だと。
 当初、『October』でのエピがその役目をするはずだったが、『Lean on me』を知って軌道修正。
 『愛シテル』の中の『愛』の意味合いに繋がっていくはずだと思い、欠番にする予定だった『9月』を書くことに決めた。
 (ちゃんと描けているかどうかは怪しいけど。そんなに大したもんじゃないけど)
 

 極力、熱のないように、
 りく也が「何を感じ、何を感じないか」について書いたつもりです。
 彼の心の切片を感じて頂けたら、幸いです。

 
 
 
                            lean on me(対訳は野村伸昭氏のものを参考にしました)

 
                                         (2006.11.18)

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