※ 銀英伝のフェルナー×オーベルシュタインです。
         





[ やさしい沈黙――あるいは、不器用な冷血 ]





 その房事は、性欲を満たし合うためだけのもの。互いにそのことを割り切って始められた行為だった。だが彼・オーベルシュタインが何を求めてそれを必要としているかを知った時、フェルナーの中の感情は、少しずつ変化して行った。
 



 アントン・フェルナーがパウル・フォン・オーベルシュタインの下について、三年が経っていた。
「予定がなければ、夕食を一緒にどうだ?」
 夕食への誘いが合図だ。たいてい突然で、前触れがない。週に数度と頻繁な時もあれば、数ヶ月の間が空くこともあった。
「ええ、空いています」
「では八時に」
 オーベルシュタインの私邸に招かれ年老いた忠実な執事が見守る中、大した会話もせずに夕食とデジェスティフ(食後酒)のひと時を楽しむと、フェルナーは客室に案内された。
 夜半、家人が寝静まった頃にオーベルシュタインがフェルナーの元を訪れる。ノックなく扉は開けられ、近づいてくる微かな気配を感じながらも、フェルナーは彼がベッドに入るまで動かない。スプリングが軋んで、オーベルシュタインの体温が間近になった時、フェルナーは彼の手を取るのだ。夜は同衾することが二人の間で暗黙の了解となっていた。
 



 
 ベッドの中でも、オーベルシュタインはオーベルシュタインだ。冷静で嬌声もなく、肌を合わせていなければ、体温があるかどうかさえ疑わしい。ただ普段と違って無防備で従順、拒む仕草を見せなかった。
 フェルナーの手に素直に自分を委ね、冷めた身体も次第に熱を帯びる。上がる息を抑えることはしないが、それでも彼の唇から声が漏れることはない。
 




 二人の関係はリップシュタット戦役の最中、当時乗艦していた帝国最高司令官旗艦内で始まる。夕食の後、彼の私室で飲みなおすことになり、珍しく酔いの回ったフェルナーがそのまま泊まった夜が最初だった。
 実のところ、何故そう言う状況になったのか、フェルナーの記憶は曖昧である。心身ともに異常なまでの昂りを感じて目を覚ますと、ベッドの傍らにオーベルシュタインが座っていた。
 後は抗い難い欲望のままに、彼を引き寄せ、組み敷いた。
 フェルナーは決してアルコールに弱い方ではなかったし、性欲に関してはむしろ淡白で、持て余したことは一度もない。にもかかわらず、同性相手になぜああなってしまったのか。ワインに何か入っていたのでは…と勘ぐりたくなる。今となっては真相はわからないが、オーベルシュタインを抱いたこと――それもかなり乱暴に――は事実で、フェルナーは営倉入りも覚悟していたのに、彼は何事もなかったかのように態度を変えなかった。それどころか『夕食』の誘いは以後も不定期ながら続き、一つのベッドで夜を過ごすことがあたりまえになったことから、押して知るべしだろう。
 しかし、オーベルシュタインが恋情をもってフェルナーを誘ったのだとは、とても思えなかった。感情が間に存在するのであれば、もっと頻繁に誘いがかかってもおかしくない。夜の営みも甘いものになるはずだが、二人のそれはおよそ情事とはかけ離れていた。
「感情が介在すると、面倒なことになる」
「では性欲の解消ってところですか?」
「そう思ってもらって構わない。無理強いをするつもりはないから、保身は考慮せずに断ればいい」
 軍隊に所属しているとその手のことは珍しくなく、多かれ少なかれ経験がある。特に銀河帝国では婦女子の軍事参画を敬遠するきらいがあったので、事務方でもほとんど女性の姿は見られなかった。艦隊勤務や宇宙要塞駐留であれば尚更で、公務員待遇で娼館が設けられてはいたが、圧倒的に人数が不足している。娼館の女性が行き渡らない下士官以下の軍籍の間では、手近な性欲処理としての男色行為が公然化していた。上級仕官以上に階級が上がると、一握りの同性愛指向者を除いて、あえて関係を続ける者はいない。フェルナーは後者にあたるが、尉官時代に興味本位で行為に及んだことはある。
 ではオーベルシュタインはどうなのか? 相手が男女に関わらず、彼にはそう言った世俗的なことが想像しがたい。浮いた話はおろか、日常の私生活も垣間見えない彼からは、性欲は一番遠いものにフェルナーには思えた。高級仕官で、望めば女性に不自由しない立場にあるはずだから、彼の性的指向がそうなのだろうと結論付けると同時に、彼もまた欲望に無縁ではないのだと変に感心する。






 裸身のオーベルシュタインは想像以上に痩躯だ。平均並みの肩幅と軍服の仕立ての良さに誤魔化されているが、肉は薄く、どこもかしこも骨格が浮き出ていた。
 適度な疲労で背を向けて横たわる彼の、標本のような肩甲骨を背後から指先でなぞると、細い頤(おとがい)が微かに仰け反った。
 オーベルシュタインの鎖骨から尖った肩先に、上腕から肘窩に、肘、手首、手の関節へと、フェルナーの唇は移動する。やがては指先に達し、骨ばった彼の人差し指と中指を一度口に含んだ後、掌に口付ける。
 収まった熱が身体の奥に蘇る中、オーベルシュタインはフェルナーの様子を不思議そうに見ていた。
 視線が交差する。
 吐息のために心持ち緩んだ彼の唇が結ばれようとするのを、フェルナーのそれが阻んだ。






 オーベルシュタインは『ドライアイスの剣』と言う渾名を持っている。目的を達成するためには皇帝までをも駒とする冷徹さを持ち、時に剣は大鉈に変貌した。前王朝が倒れ、現朝が異例の速さで開闢したのは、皇帝ラインハルトの稀なる才知もさることながら、彼のそう言った策謀の功に負うところが小さくない。
 誰もがその智才と手腕を評価する一方、あまりの非情なやり様に反感を招くこともしばしばであった。
「彼は劇薬だ」
 と言ったのはロイエンタール元帥だったか、ミッターマイヤー元帥だったか。皇帝ラインハルトが元帥府を開いて以来の知己であり、共に前王朝を打倒すべく戦った仲間ですら、嫌悪感を隠さない。当然、オーベルシュタイン本人も感じているであろうに、他人が如何様に自分を見ようとも気にする風ではなかった。帝国にとって有益であり、効率的に効果を生むと判断すれば、たとえ忌避される事象・策略であっても実行することを躊躇わず、淡々と遂行して行く。そしてその結果について、彼が後日に感情を交えて語ることはない。
 感情に翻弄されることも、ストレスを溜め込むことにも無縁の冷血漢。フェルナーが持つオーベルシュタインの印象は、他の風評と概ね同じだった。
 同じだった――その日まで。
「…それにしても、私も口数が多くなったものだ」
 新帝国暦二年、宇宙暦八〇〇年十二月に、一つの戦役が一人の死によって終結した。後世、『新領土戦役』と伝えられるロイエンタール元帥反逆事件である。オスカー・フォン・ロイエンタールは、無二の親友で『帝国軍の双璧』と並び称された、ウォルフガング・ミッターマイヤーによって敗北に追い込まれ、斃れた。皇帝の最も信任厚い三元帥の一人が叛旗を翻したことはもとより、『双璧』が相打つこととなった事態は、結果はどうあれ、人々の心にかなり複雑なものを残した。
 戦役の間中も戦場はもとより、遠く離れた帝国新首都フェザーンにも暗く沈鬱な空気が流れていた。帝国全体が結末を息を詰めて見守っていたが、そんな折でもオーベルシュタインは相変わらずで、仕事を滞らせることなく粛々とこなした。ロイエンタールの訃報がもたらされた時も表情一つ変えることなく、反逆によって剥奪された元帥号を、「ロイエンタールに返還せよ」との皇帝命令を事務的に受理した。
 かつて同じ志で死線を共にしたこともあった同胞の死すら、オーベルシュタインに何の感慨も与えないのだと、フェルナーは彼の横顔を見て思った。しかしミッターマイヤー元帥のフェザーン帰還前日に、脈絡もなくオーベルシュタインが口を開いた。なぜ、ミッターマイヤー元帥が、自らの手で親友を討ったのだと思うか…と。
 「わからない」と答えたフェルナーに、彼は珍しく長々と語った。決して長いとは言えなかったが、日頃の彼に比しての珍しさはあった。それよりもフェルナーに意外と思わせたのは、オーベルシュタインがミッターマイヤー元帥の心情を慮っていることだった。多分、フェルナーのそんな心の内は表情となって出ていたのだろう。彼は微かに苦笑を浮かべ、「私も口数が多くなった」と自嘲気味に呟いた。それもまたフェルナーを驚かせる。
 会話はそこで途切れ、執務室は沈黙した。
「夕食を一緒にどうだ?」
 一足先に仕事を終えたオーベルシュタインは、席を立つなりフェルナーに声をかけた。
「私は構いませんが…」
と一瞬、躊躇いを含んでフェルナーは答える。前の週より二日と空けずに『夕食』に招かれていた。ほぼ毎日では、オーベルシュタインにかなり負担がかかっているはずだ。
 オーベルシュタインはフェルナーを一瞥した。それから「では八時に」といつもの言葉を残して、執務室から出て行った。
 平時ならばともかく、有事の最中で職務的に多忙を極めていた。加えてロイエンタール元帥の死と言う結末。息抜きをするには不謹慎な時期だと言える。
 時々、まるで発情したかのように、オーベルシュタインはフェルナーを頻繁に誘うことがある。
――そう言う『気分』になるのには、法則があるのか?
 喉元で、何かが小骨のように引っかかった。不規則な夕食への誘いが、ただの気まぐればかりでないのでは…と常々考えていたフェルナーは、オーベルシュタインが出て行ったドアをしばらく見つめ、その答えを模索した。






 縋るように回される腕に、声なく漏れる甘い息に、オーベルシュタインもまた生身の人間であることを知る。もっとそれを感じようとして、フェルナーは彼を乱暴なほどに扱った。
 逃げ腰になるのを引き戻し、何度もその身体を開く。
 容赦のないフェルナーを、遂には押しのけようとする彼の手を掴み、ベッドに押し付けた。薄く開いた表情のない義眼がスパークする。その瞳に、自分は映っているのだろうかとフェルナーは覘き込んだ。しかし彼の虹彩は揺らいで、像を結ばなかった。
 重なった二つの胸が、呼吸で同時に上下する。それに煽られ、フェルナーはオーベルシュタインの唇に噛み付くようにして口付けた。
 彼の理性を奪いたかった。
 目の前にいる自分以外を感じさせたくなかった。
 快楽の淵に沈めてしまいたかった。
 そしてそれを、彼も望んでいるに違いないのだと、フェルナーは確信していた。






 『ヴェスターラントの虐殺』では、二百万人の住人を見殺しにした。ローエングラム元帥(現皇帝)率いる討伐軍は、事前に惑星ヴェスターラントへの核攻撃情報を捕捉していたにも関わらず間に合わなかったのだが、それは不可抗力ではなく意図的なものだった。賊軍である貴族連合軍のその非道は、映像によって全宇宙に配信され、結果として彼らを敗北へと導いた。画策したのは、他ならぬオーベルシュタインである。
 オーベルシュタインとフェルナーの関係が始まったのはこの頃だ。貴族連合軍の牙城・ガイエスブルグ要塞が陥落し、リップシュタット戦役が終結するまで、二人の逢瀬は頻繁だった。
 リップシュタット戦役戦勝式典において、キルヒアイス上級大将が不慮の死を遂げる。帝国軍最高司令長官のローエングラム元帥に向けられた暗殺者の凶弾に、自ら盾となって斃れたのだが、その死もまた、オーベルシュタインに起因すると思われていた。元帥の幼馴染で親友、一の忠臣であるキルヒアイスの存在が、来たるローエングラム覇権に影響するのを懸念して遠ざけようとしたことが、その死に結びついたのだと。結局、それを機に帝国体制は刷新するに至るのだが――戦略上、手を組まざるを得なかった前皇帝一派を、暗殺首謀者にして追い落とした――、人々の胸にしこりを残した。
 キルヒアイスを失ってローエングラム元帥が一時的に忘我し、皆が沈痛な面持ちを隠さなかった時期、オーベルシュタインだけは変わらなかった。事態を収拾し、諸提督と図って態勢を整えた。人はその冷たさを内心で非難し、口にすることさえしたが、本人は意に介することはなかった。そしてまたフェルナーは、彼のもとに通う日が続いた。
――その次は、いつだった…?
 それからしばらく彼との関係は、忘れるくらいの間隔になった。思い出したように『夕食』に誘われる程度で、時には食事のみで独り寝で過ごすこともあった。
 自由惑星同盟との間で為されたバーラトの和約後、代理統治者として能力的に疑問視されたレンネンカンプ上級大将の、ハイネセン駐在高等弁務官の人事を、オーベルシュタインはさして反対もせずに受け入れた。後に禍根を残すであろうヤン・ウェンリー元自由惑星同盟元帥抹殺の、布石として利用する意図があったとまことしやかに噂されている。それによってレンネンカンプは命を落とし、ヤンは辛うじて生き延びたが、和約を破棄するに充分な理由付けが出来、自由惑星同盟は瓦解した。大局的に見て帝国側の有利に働いた一連の出来事の背景に、オーベルシュタインの影を見る者も少なくない。
 あの折も厳しい会戦が続いた。『新帝国暦二年二月二十日の勅令(通称・冬バラ園の勅令)』までの間、誰もが不眠不休の忙しさだった。オーベルシュタインもその一人だったが、フェルナーが彼の私邸に通う日が続いたのは、その頃ではなかったか?
 そして、ロイエンタール元帥の反逆事件。約一ヶ月に渡るロイエンタール討伐戦(第二次ランテマリオ会戦)で見え隠れしたのは、内務次官ハイドリッヒ・ラングのロイエンタールに対する、一方的な私怨からの謀略説だった。前王朝体制において悪い噂の絶えなかったラングを引き上げたのは現皇帝・ラインハルトであったが、ラングが虎の威を借る狐的に頼ったのはオーベルシュタインであり――もっとも、オーベルシュタイン本人に意識はなかった――、少なからず非難の目、あるいは穿った憶測が彼に向けられたのは言うまでもない。それに対して、オーベルシュタインはいつも通り何も弁明せず、討伐開戦から終結まで、表面上、変わりが無かった。
 ただ、フェルナーの『夕食』に招かれる回数が、格段に増えただけだ。
「何も感じていないわけではないのか…?」
 フェルナーは彼の席に目を向けた。






 快楽を貪りあった後、オーベルシュタインは死んだように眠る。不規則な誘いの意味を自分なりに理解した頃から、フェルナーはそんな彼を抱きしめるようになっていた。
 帯びた熱は次第に冷め、生気のない身体に戻って行く。何度も耳元で感じた甘い吐息は、ただの呼吸音に変わっていた。抱きしめる腕に力を入れても起きる気配はなく、反応のないその身体をフェルナーは切なく想った。
 この房事に意味はなかったはずだ。多忙で消化しきれない性欲を、手近なところで処理しあうのみの行為。求め、与え、充たし合う。それ以外に、何の目的があっただろう。少なくともフェルナーにはなかった。手練れの商売女にはない新鮮味、素人女にありがちな面倒が無く、同性の上司であると言うことに拘らなければ、オーベルシュタインを拒む理由が見当たらなかっただけだ。割り切った関係――それでいいと思っていた。
 ここのところ、フェルナーが夕食に招かれる回数が増えている。皇帝の不予が関係しているに違いなかった。原因不明の病に伏す皇帝ラインハルトは、余命の計れない状態にある。
 後継問題を含め皇帝亡き後の諸事の準備を、すでにオーベルシュタインが構想しているとの噂が流布されていた。確かにまったく考えていないわけではないだろう。新しい時代を迎えたばかりの国だ。強烈なカリスマの死は、下手をすれば混沌を招く。たとえ不敬と非難されようとも、何もしないわけにはいかない。
 だが皇帝を失うことを、ただ一過する事象の一つとしてオーベルシュタインが捉えているとは、フェルナーには思えなかった。彼が認め、どんなに手を汚しても、忠臣の屍を幾つ越えても守り通し、見捨てず支えた皇帝なのだ。現に、オーベルシュタインはこうして、自分の腕の中に在るではないか。
 フェルナーはもう一度強く彼を抱きしめた。
 


 


 朝、フェルナーが目覚めた時には、すでにオーベルシュタインの姿はベッドにはない。いつの間に出て行くのか、フェルナーが身支度を整えて食堂に顔を出す頃には、たいてい彼は朝食を終えていた。
 フェルナーが席に着くと、朝食が運ばれる。オーベルシュタインには二杯目のコーヒーが用意された。夕食同様、会話はない。フェルナーが朝食を取る間、オーベルシュタインは席についたままで、ゆっくりと時間をかけてコーヒーを飲む。最後の一口を飲み干す際に、少し喉元が反った。夜の記憶が蘇る。
「何だ?」
 フェルナーが見つめているのに気づき、オーベルシュタインがこちらを見た。フェルナーは「いいえ、何でも」と答えようとして止め、代わりに別の言葉を紡いだ。
「あなたにとって私は、安定剤としての存在に為り得ますか?」
 言ってしまってから「しまった」と思ったが、引っ込めようがない。表情の読めない視線は、しばらくフェルナーに留まった。彼の唇が答えるためか動こうとした時、
「お迎えの車が参りました」
と執事が声をかけた。オーベルシュタインは「わかった」と答え、立ち上がる。食事を終えたフェルナーも、慌てて後に続いた。





 彼がどう答えようとしたのか、はたして答えるつもりがあったのか、フェルナーは永遠に聞くことは出来なかった。
 帝国暦三年、宇宙暦八〇一年七月二十六日、皇帝ラインハルトが病没する。その際に勃発した地球教による仮皇宮襲撃事件において、オーベルシュタインもまた落命した。
 最期の言葉は執事への言付けと、飼い犬である老犬に対するもの。それ以外は何も語らず、静かに息を引き取った。フェルナーが答えを聞けなかったあの日から、わずかひと月後のことである。
「私は…、あなたの安定剤としての存在足り得ましたか?」
 執務室の、座る主を失った机にそっと触れて呟いた。
 答えは聞けるはずもなく――――




                                  
end.

                         (2008.01.31)


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