スケジュール手帳のことです。
去年は「魔女の宅急便」、今年はシャア手帳。どちらもコンビニのレジ近くにあって衝動買いしてしまいました。
前者は表紙が黒猫ちゃんの布製っぽいブックカバーがついていて、それがすごく可愛かった。しかし中身は原作アニメの名場面がカラーで描かれていて、人前で開くのは躊躇われた。
でもそんなの、序の口でした。
今年のシャア手帳こそ、人前じゃ開けなかったよ(笑)。だって中、シャア・カラー(つまり赤)と黒の二色刷りで、随所にシャア様が。そんでもってウィークリーのページにはシャア様の名言が毎日記されているんだぜッ。即行、ブックカバー(文庫本用)買ったさッ。まあ、彼のパーソナルデータやら、ダカールの名演説が全文書かれたページが付いていたりして、ファンとしては涙ものだったけどさ(結局、満足して一年使い切ったのは私ですが、何か?)。
てなわけで「来年度こそは」と、いつもなら12月も中頃にならなきゃ購入しないスケジュール帳を、一ヶ月早く購入しました、またコンビニのレジ近くで恋に落ちるまえに(笑)。
猫のダヤン・シリーズの「音楽会」と題されたもので、大満足でございます。思わずシオリ代わりにト音記号型のクリップと、ボディーに鍵盤がプリントされたボールペン買っちゃった。
拍手、ありがとうございます♪
以下、patiレスです。
■はるか様
>diaryのコメント欄で字数オーバーになってしまったので、こちらからでごめんなさい。
いえいえ、ありがとうございます♪
>「批評」と「感想」の違いについての記述を大変興味深く読ませていただきました。
こちらこそ、コメントしていただいた「科学論文のレビューを書く際に求められる要件」、とても興味深かったです。科学論文は文系一筋の私には縁遠いものですけど、仰るように共通しているようですね。
私が引用した批評についての定義は、確か趣味で小説技術等の分析をしてらっしゃる方の持論だったかと思いますが(怪しいなぁ)、その方が仰いますに、批評は本来それを生業にしている人間、つまりプロが書く物だけを言うのだそうです。
それほどに難しく、また発信した言葉に責任があるってことなのだなぁと思います。
感想は感想で、また違った意味で難しいし、それなりに責任があると思いますねぇ。私は自慢じゃないですが感想コメントが苦手でして、どうも見当違いの感想を寄せているような気がしてなりません。
ただ文学と言う物は面白いもので、科学のように検証云々で図れず、数学のように明確な答えがない。つまり読み手の感性で読み解くことが許されるので、それに甘んじてそれほど多くはありませんが、書かせて頂いています。
だから甘口であれ辛口であれ、感じたままを寄せるってのは悪いことではないと思いますが、昔から「言霊」って言葉があるように、声に出したり文字に記したものには力があって、その一言で向けた相手(今回は字書き)の糧にもなり、痛打にもなるんですよね。
「言葉」にはそんな力があるんだと言うことを踏まえて、たとえ辛口でも書き手の励みになるように寄せて欲しいと思うし、寄せたい思います。
>紙森さんは紙森さんの伝えたいことを書き、なさりたい表現を自由にして欲しいということなんです。
ありがとうございます。精進して、思い描いたように書く技量を得られるよう、頑張りますね♪
>それから、「良くも悪くも一言何かを残さずにいられない作品だった=心に残ったのだ」という等式にも大賛成です。
例に出された『テレプシコーラ』は途中まで読んでいましたが、途中で挫折。「今、どうなってんだろう?」と店頭に並んだ帯で、第一部終わりの悲劇を知りました。『タッチ』は本も未読でアニメも見ていませんが、有名なのでカッちゃんの件も知っております。
きっとすごい反響だったと思いますが(特に『タッチ』)、どちらの作品も「死」の扱いは決して無駄ではなく、だからこそ読み手に号泣させたり、「なんで?!」と言わせるすごさがあるのだと。
お連れの方の「『好き』の反対は『嫌い』じゃないんだよ。『好き』の反対は『無関心』」は、私も同感です。それって一番辛いかも知れません。
コメントに共感して頂けて嬉しいです。
>長文で疲れさせてしまったらすみません。コメントを読んでの感想でした。
疲れるどころか何度も再読させて頂いてますよ~。コメントに反応して頂いた上に、興味深いお話でした。
いつも素敵なコメント、ありがとうございます♪
非公開 2010年12月18日(土)17時38分 編集・削除
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