ヴァイオリン弾きI


 中原さく也のヴァイオリンは、圧倒的な技量と豊かな音色が創り出す音楽で周りを魅了してやまない。対照的に彼本人の感情の起伏は乏しく、その上、冴えた美貌が冷たい印象を与えて、芸術家にありがちな気難し屋だと思われがちだった。だから、人は彼をついつい遠目に見てしまい、『孤高の』と言う固有名詞を冠して呼ぶようになった。
 しかし彼は表立って感情を表現することが苦手なだけで、喜怒哀楽も人並みにあったし、レッテルを貼られるほど気難しくもなかった。それに意外に『寂しがりな』ところがあって、重奏やオーケストラの一員として演奏することが、独奏よりもずっと好きだ。
 確かに音楽的感性が合わないと、弓が止まることもしばしばであったが、それだって最終的には妥協を見出し、よほどでない限りは共に音楽を創り、『楽』の世界を完成させた。
「寂しがりやなんだ」
とは知り合って間もない頃の彼の言葉。加納悦嗣は冗談だと取ったが、彼を知れば知るほど、その言葉に偽りのないことがわかった。


「第二ヴァイオリンがやっぱり弱いな」
 ヘッド・ホンで録音を聴く悦嗣は独りごちた。聴いているのは彼が鍵盤奏者として参加している市民オーケストラの、練習時の演奏だ。
 出来て間もないこの若いオケは、人数とやる気はあってもレベルは素人の域を出なかった。初めての演奏会を一ヵ月後に控えていたが、この時期になっても解消されないのが弦楽器の弱さ。それでも要の第一ヴァイオリンとチェロには、悦嗣の人脈を駆使して助っ人が用意された。
 問題は第二ヴァイオリンで、補強された第一ヴァイオリンに比べてどうしても聴き劣りが否めない。
 多少弱くなるのは計算済みだった。主旋律を奏でる率が高い第一が鳴る方が先決だ。だがここまで弱いと、さすがにバランスが悪い。
「何を聴いているんだ?」
 ソファでうたた寝していたさく也がいつの間にか目を覚まし、悦嗣のヘッド・ホンを外して自分の耳に宛がった。
「指揮者練習の録音。どうも第二ヴァイオリンが弱くてな。ファーストから回すにしても、もう日が無いし」
 一般団員を回すには時間が足りない。かと言って助っ人を回すとなると、今度は第一ヴァイオリンがやせてしまう。
「俺がセカンドに入る」
「え?」
 さく也の申し出に悦嗣は思わず聞き返す。彼は悦嗣が傍らに広げていた楽譜(スコア)に手を伸ばした。
 あと一ヶ月しかない…は中原さく也には愚問だ。アマチュア・オーケストラの初めての演奏会のプログラムは、そこそこ聴き映えはしても難曲とは言い難い。彼の技術を持ってすれば、初見でもこなせてしまうだろう。
 ただ、名だたる国際コンクールを総嘗めにし、世界最高峰と言われるWオケの第一ヴァイオリンの席に座っていた奏者を、素人の市民オケの、それも第二ヴァイオリンに迎えると言うのはどうだろう?
「そりゃ助かるけど、おまえの音とはレベルが違い過ぎる。浮いても困るからなぁ」 
「合わす」
「下手だぞ?」
 以前、悦嗣の友人でさく也のWオケでの同僚でもあった曽和英介から、「感性が合わないと弾かなくなることもある」と聴いたことがあった。どう考えても今回のオケと合うとは思えない。
「オケの中で弾くの、好きなんだ」
「アマチュアだし」
「音楽って音を楽しむって書くんだろう? 音を楽しむのにプロもアマチュアもあるのか?」
 言葉の少ないさく也は、時々、鋭いことを言う。意識しているのか、いないのか――多分、後者。彼の感性が、こと音楽に関して自然に語るのだ。
「みんなと合わせられるから、ヴァイオリンも練習した。今の俺が在るのはその延長線上なだけだ。独りで弾くのはつまらない。なのにいつも独りで弾けって言われる」
 さく也はソファから降りて、悦嗣の隣に座った。腕に腕が触れるほど近い。
「せっかくの休暇なのに、いいのか?」
 さく也の活躍の場は主にヨーロッパである。どのシーズンもスケジュールが詰まっていて、日本に戻れるほどの休暇はなかなか取ることが出来ない。
「あんたはこの演奏会にかかりきりだから、」
 彼が日本にいる間は出来るだけ時間を作るように、調律の依頼も調節し、音楽教室の方の仕事も替わってもらう悦嗣だったが、今回ばかりは、さく也の休暇よりも市民オーケストラの練習を優先せざるを得ない状況だった。音楽教室の講師だと言うこともあって、指導的立場も押し付けられていた。土日はそれこそ一日中、平日の夜も防音設備の整った音楽教室を、練習の場に提供して面倒を見ている。
「…一緒の時間を作りたいって言うのが、本音かな」
 少し間が空いて、さく也が呟く。伏し目を縁取る睫毛が、頬に小さな影を作っていた。赤みを帯びたその周辺に、表に出づらい彼の感情の欠片が見て取れた。
「不純な動機だな?」
 悦嗣は笑って誤魔化す。
 普段は無表情に過ぎるさく也が、たまに見せる素直な感情表現は、悦嗣にはかなり有効に作用した。柄にも無く、照れて言葉に詰まってしまうほどに。


 中原さく也と言うヴァイオリニストは、愛想が無く、冷たく近寄りがたい雰囲気を持っていた。
 その演奏を聴くと、誰もが驚く。弾き手本人の印象とは正反対に、伸びやかな音色が曲の本質を導き出し、喜怒哀楽を情感豊かに表現したからだ。数々の国際コンクールで得た彼の栄光から、正確無比な演奏技術が成せる技だと、その『ギャップ』は結論付けられた。
 しかし中原さく也のヴァイオリンが人々の耳を惹きつけるのは、決して技術的に優れているだけではない。
 内側には彼の繊細な感情が、確かに存在するからだった。無愛想なのではなく、あらわし方が下手なだけなのだ。
 想いは音となって解き放たれ、空間に広がった――言葉よりも、表情よりも、素直に、正直に、音楽となって歌う。
 

「わかりやすいんだか、悪いんだか」
 彼に以前、『天邪鬼』と称されたピアニストは笑った。
 音がすべてを語るヴァイオリニストは、微かにきょとんとした表情でピアニストを見つめた。

                                             

                 2007.05.05 (sun)

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