Beginning  



 アスランは部屋に戻るなり、ベッドに倒れこんだ。ふんわりとしたフェザー・キルトが、彼の身体を柔らかく包み込む。このまま寝入っていまえ…と、誘っているかのようだった。
 停戦から講和へ――宇宙と地上との新しい関係は、加速度をつけて築かれて行った。閉鎖されていた大使館の再開、戦争で荒れた恒星間就航路の整備と新規開拓など公的外交はもとより、いち早く復活した民間レベルでの交流は、ビジネス・チャンスを求める人々の意欲を刺激して、大戦以前よりも活発に行なわれていた。
 アスラン・ザラは戦時における彼自身の諸事情をクリアにした後、この秋にプラントの駐在武官としてオーブに赴任した。以来、三ヶ月、引継ぎや顔見せのレセプションに追われ、私的な時間をほとんど取れずにいる。一年最後のこの日も、古き年を送り新年を迎える為のパーティーに引っ張り出されていた。若く将来を嘱望されたアスランをどのテーブルも呼びたがり、その度に慣れないワインを勧められる。一口、二口と重ねるうち、ほろ酔い加減を通り越す酒量となり、新年のために繰り返される祝杯の喧騒に紛れて、アスランはパーティー会場を抜け出した。
アスラン…
 うとうとしかけたアスランの耳に、声が滑り込む。よく知っている懐かしい声だ。忘れたことのない、しかしこの三ヶ月、聴けなかった声だ。
「キラ?」
 アスランは目を開ける。そして周りを見回した――はたしてその部屋には誰もいない、彼以外には。確かにはっきりとキラの声が聞こえたはずなのに、ただ空気が存在するだけ。
 ベッド・サイドの時計は午前3時を越していた。それと並んだ数字はプラントの標準時を示している。こちらは午前零時になったばかりだ。プラントも新しい年を迎えて、地上同様に祝杯を上げていることだろう。
 会いたいと思うのは、多分、酔っているせいだ…と、アスランはキルトに顔を埋ずめながら思った。



「キラ?」
 会場を出ようとするキラを、ラクスが呼び止めた。
「どちらに?」
 彼女の手には新年を祝うシャンパングラスがあった。新しい年が明けようとしている。激動と称するに相応しい一年は去り、新たなる関係を確固とする為の一年が始まるのだ。その明け初めは、今やプラントの象徴とも言える歌姫ラクス・クラインの、「乾杯」の一声と決まっていた。
「風にあたってくるよ。酔い覚まし」
 ちょっとわざとらしいかなとは思った。祝杯を間もなく上げるこの時間に、主賓の一人のキラが酔いを理由に席を外すことなど、許されるはずがない。第一、彼は勧められる酒杯はほとんど断っていた。酔いはその顔に見えない。
 ラクスは笑んだ。
「わかりましたわ。アスランによろしくお伝えください」
 彼女の言葉にキラの頬が上気する。その様子を見て、また彼女は笑った。それから「そろそろお時間です」と伝える声に従い、会場に設えられたステージに向かった。
 ラクスの後姿を見送って、キラは足早にその場を離れた。早く部屋に戻らないと、午前零時になってしまう。その急いた気持ちが、キラを走らせた。
 新しい年に、最初に聴きたいのはアスランの声。この三ヶ月、互いに忙殺され、メールのやり取りもままならない。クリスマス休暇を地上で取りたいとキラは申請したのだが、プラントを離れることは許可されなかった。ラクス・クライン同様に彼もプラントでは特別な存在となっている。彼女と共にコーディネーターに対する悪感情を払拭すべく、奔走する日々が続いていた。新年の挨拶を地球と衛星回線で交し合う席に、彼の姿はなくてはならない。
 しかしキラは結局、その席を外した。「新しい年の最初に聴くのはアスランの声」と決めていた彼には、それ以外のことは必要なかったからだ。
 キラの足は用意されたホテルの部屋に向かって走る――早く、早く…日付が変ってしまう前に。



 木管楽器の音に似た耳に心地よいアラームの音に、寝入りばなのアスランは半身を起こした。音はPCから発せられている。電話が入っていることを知らせているのだ。のろのろとベッドから下りて、アスランはスイッチを押した。
「キラ…?」
 モニターにはキラが映っている。アスランが呼びかけると、彼は微笑んだ。
ごめん、寝ていた?
「いや、さっき戻って、ベッドに横になっていただけ。どうした?」
 三ヶ月ぶりのキラだ。プラントの空港で別れたきり。時折、メールのやり取りはあったが、それも仕事が忙しくなり返事はお互い遅れがちになっていた。
 さっきは気のせいだった彼の懐かしい声が、今ははっきりと聞こえた。
新年、おめでとう、アスラン。君の声を最初に聴きたくて、電話したんだ
「キラ」
君にこうして「おめでとう」を言えたのは何年ぶりだろう? 本当はとても会いたい。君と新年を同じ場所で迎えたかった。でも僕はプラントを、アスランは地球を離れられないから、せめて誰よりも最初に君の声を聴きたいと思って
 モニター越しにキラはまっすぐアスランを見つめている。
「君は、思いがけないことを考えるんだな?」
 自分の頬が熱くなるのを、アスランは感じた。キラの素直な言葉はアスランを戸惑わせる。いや、戸惑わせると言うよりも思い知らせるのだ。自分もまた、彼にどれほど会いたかったかを。彼の言葉に呼応して頬が熱くなったのは、つまりはそう言うことなのだ。
君はおめでとうを言ってくれないの?
 キラの目から目を逸らせず一瞬黙ってしまったアスランに、彼はまた微笑んだ。
「新年、おめでとう。君に幸多かれ」
会いたいと思ってくれていた?
 今度はハッキリ自分が赤面したことがわかった。
会いたかった?
 再度、キラはアスランに尋ねる。
「…会いたかった」
目を逸らさないで、アスラン。こっちを向いて。やっとこうして話が出来るのに
 逸らした視線をキラに戻す。彼の手はアスランに向かって伸ばされていた。それにつられるようにして、アスランの手もまた彼に伸びる。二人の指先は触れあったがしかし、硬質の感触が時間と距離を思い出させた。この指の間には光の距離が存在している。機械を通した映像と音声では、温かい体温を感じることは出来なかった。
 頬の熱は引いて、アスランは現実の空間に引き戻される。その表情が我知らず曇ったのを、モニターのキラは感じ取ったようだった。
この新年のバカ騒ぎが終わったら、必ず君に会いに行くよ
「キラ」
だから今は、これで我慢する。最初に君の声を聴くことで、それから空間で君に触れることで
 キラの指がアスランの手に『触れる』――愛おしむように。先程の冷たい感触は薄らいだ。それは自分の体温で画面が温まったせいかも知れなかったが、アスランの指はキラの温もりを確かに感じて、その動きを追う。
 その時、モニターの中からノックのような音が聞こえた。キラの目と指は画面から外れる。二言三言のやり取りがあって、再び、彼はアスランを見た。
ごめん、お呼びがかかった。実は乾杯をすっぽかして来たから
「乾杯って、新年の?」
 プラントでも新年を祝うパーティーをしているに違いなかった。キラが出席するとなると、公式行事に近い意味合いを持っている。確か、ラクスが新年の挨拶を全コーディネーターに向けて行なうと聞いていた。そのパーティーに彼も出席していたのか?
もう行かなけりゃ。ラクスが君によろしくと言っていたよ
「俺からもよろしくと伝えてくれないか?」
伝えておく
 キラを呼びに来た人物はドアのところで彼を待っているらしく声がする。内容はわからないが、キラを促していることはわかった。
「呼んでいるぞ」
アスラン…
「うん?」
好きだよ
 自分を呼ぶ声を無視して、キラが紡いだ言葉。言った後、アスランを見つめて微笑んだ。頬を、耳を、薄く紅潮させて。それからしつこく呼ぶ声に小さく嘆息し、「それじゃ、また」と添えてモニターを切った。
 アスランはキラが消えたモニターをしばらく見つめていた。青いロゴのみの画面に、先程と同じように指先で触れる。伝わるのは無機質な感触だけだ。しかしキラと交わした短い会話が、アスランを温める。
 そうして、ひっそりと呟いた。
「俺も、好きだよ」



 新しい年を祝福する鐘の音が、街中で聞こえる。キラは廊下の途中で足を止め、ほんの少し開いた窓からその音を聞く。先んじるニューイヤー・パーティーのスタッフが気遣わしげに振り返るが、キラは気にしない。
 セキュリティー上、あまり大きくは開かない窓を限界まで押し開けて、キラは眼下から地平に広がる街に目を遣り、鐘の音色に耳を澄ました。
 冷たく澄んだ空気を割いて、空をも昇る清浄な音。次の年には必ず、この音をアスランと聴こう――国情が落ち着いてこの立場から解放されたなら、今度こそアスランと歩いていける。復学して、本来の自分の姿に戻れる。そうだ、アスランも退官して、一緒に大学に通えばいい。たとえそれが敵方であっても、相手の気持ちを感じ取って迷い苦しむ彼に、今の武官という立場が相応とは、キラには思えなかった。
 穏やかな日々を共に暮らそう。戦いのない安らかな時間に埋没しよう。
 その鐘の音を耳の奥に記憶して、キラは空の彼方のアスランを想った。彼もまた自分を想ってくれていることを願いながら。



                                         
2005.12.29


※このお話は、友人にしてお師匠である姫川あゆた様に捧げます。
 彼女のHP『冬宮』へは→
  http://karen.saiin.net/~togu/ 
 


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